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野獣死すべし


 大藪春彦       角川書店

 偉大なる大藪春彦のデビュー作である。デビュー作にはその作家のすべてがふくまれているというが、その言、この作品にもいえる。とはいいつつも、この「野獣死すべし」には確かに大藪作品のエレメントはふくまれてはいるが、この作品には大藪のすべてがふくまれているわけではない。なんだか日本語の文章として非常におかしな文章になっているが、なにせ、ずいぶん久しぶりに、この作品を読んだので、いささか興奮している。
 正確にいうのなら、この作品には大藪春彦作品の種子がふくまれているといった方が正鵠を得ているだろう。反権力、目的達成のためのストイックな姿勢、銃、車といったメカに対する信頼とこだわり、社会的な善悪、価値観、常識、とはまったく違う己の価値観によって動く主人公、といった大藪作品の主人公が持っている要素の萌芽は全部この「野獣死すべし」に入っている。ただし、それはあくまで種子であって、大藪はこのあと、長年にわたってその種子をはぐくみ、大木に育てて、大きく花を咲かせるのである。
 世に、だれが主人公か判らぬ小説もあるが、大藪作品の主人公ほどわかり易いモノはない。小説の主人公、それは、作者が最も読者に伝えたいこと=テーマを具現化するキャラクターであると定義することができる。この「野獣死すべし」の主人公伊達邦彦は、デビュー作の主人公だけあって、数多ある大藪作品の主人公たちの原型といえよう。
 この「野獣死すべし」は大藪が学生の時に書いた作品である。学生がワカゲの至りで書いた作品でないことは、その後の大藪の仕事をみれば納得する。その証拠に、大藪春彦の前半生は伊達邦彦の前半生に大きく反映されているのである。そういう意味からも、この作品はその後の大藪作品には決してみられない、私小説的な香りがする。
 いわずもながら、この「野獣死すべし」は日本のハードボイルドの嚆矢と見るムキもいるが、小生はこの作品はハードボイルドとは思わぬ。いや、そもそも大藪春彦は厳密な意味ではハードボイルド作家ではない。極論をいえば大藪春彦は私小説作家というべきではないか。だから、この作品は、たんなるエンタティメント小説ではなく、日本文学史上に燦然と輝く大名作である。ただ、「公序良俗」なる色眼鏡をかけて、この作品を読むと読み間違うかも知れないから、気をつけなければいけない。

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阪神、強力ソフトバンクに惜敗

先発岩貞。きょうは負けやなと思うた。岩貞にあの強力ソフトバンク打線をおさえられると思えん。ところが岩貞、なかなかの好投。被安打6失点3。合格やないの。打線は狩野以外、去年の(仮)日本シリーズに痛い目にあわされた武田におさえられた。けんど四球でなんどもチャンスをくれる。
 で、3対3のまま延長11回。安藤が松田にサヨナラホームラン打たれて負けたけど。互角の試合やったな。
 マートン。もうあかんで。打撃といい守備といい、やる気がないんやったらスタメンから外せ。きょうの試合、マートンがおらんかったら勝ってたかも知れん。
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