走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

腹蔵なく話す仲

2012年12月07日 23時46分56秒 | うれしい

 生石地区の勉強会のテーマが3回目と4回目を「大災害が発生すると」というテーマにしたため、講師をお願いしている地元にお住まいで、愛媛県防災インストラクターでもある西藤健次さんと打ち合わせをすることが頻繁にあります。

 西藤さんは既に退官をされておられますが自衛隊出身で、さまざまな大災害の被災地に赴いた経験をお持ちです。
 また、危機管理についても知識が豊富で、なによりもこの生石地区の地形や災害の歴史など、その知識は多岐にわたっておられます。

 本来であれば、この分野の権威ある人たちに講師をお願いすべきかもしれませんが、この地区に住み、生活をしている、いわゆる当事者意識を有する人の方が話の内容に重みがあるように感じたからです。

 地域には、さまざまな人的資源が眠っています。
 この人的資源を発掘し、活用するには平素の四方山話から発展する機会が多いのです。
 そして、失礼を承知で、本人に猛烈にアタックする。
 そのときに大切なことは、なぜ自分が取り組んでいるのか、明確な理由を端的に説明できなければなりません。
 そして、明確なテーマが必要です。
 例えば、今回であれば「一人でも多くの生命を守る」でしょうか。

 西藤さんに「住んでもいない地区のことをここまでよく考えていただけますね。その理由は何ですか?」と聞かれたことがあります。
 応えたのは、「カミさんが、『あんたら役人さん(妻は、よく私のことをこう呼ぶ)は平素、あんまり役に立っている実感がないのよね。せめて、大災害くらいは本当に役に立って欲しいよね。』と、よく言うんですよ。そういわれて自問自答すると、『そのとおりやなあ』と。なら、普段は昼行灯でもいざという時くらいは、がんばろうて。そしたら、いざという時に役に立つためには、平素がかんじんやとわかってきたんです。それをやってるだけです」

 「あんた、おもろいねぇ。(この地区のために)一緒にやりましょう。」

 「でも、大層なことはようせんのですが(笑)」

 それから、大地震が発生した直後からのシュミレーションを行う。
 そして段階ごとにどのような対応をすべきかを話し合う。
 私が思いつきでいったことが、自衛隊が危機管理として対応していることと同様で理に適っているということをわかりやすく解説してくれる。

 物理的なことや制度、規制的なことはとりあえず横において、自由な発想をめぐらす。
 結構、無責任な話が続く。
 その分、楽しい時間が経過する。

 「あんたと話してたら、今まで難しかったことができるような気がしてきた。不思議やなあ。」

 「でも、西藤さん、これって私がするんではなく、西藤さんを含めた地域の人がやるんですよ。」

 「そう言われても腹がたたんのが、また不思議や。」

 「多分、根っこにお互い一人でも多くの人を助けたいという思いがあるからではないですか。」

 「そうやなあ。がんばらないかんなあ。」

 「西藤さんがそう思ってくれたら、何よりも心強いです。よろしくお願いします。」

 「なんか上手いこと乗せられたなあ。あんたに言われたら、断れんわい。」

 心から感謝である。
 西藤さんのような方を一人づつ増やすこと。
 それこそが私のミッション(使命)である。
 
 


 

誇り高く、生きる!

2012年12月06日 21時50分31秒 | つぶやき

 皆さんは、水谷隼さんをご存知であろうか?

 若くして日本の卓球界を担う稀代の天才プレーヤーである。
 (水谷隼:1989年6月9日、静岡県生まれ。ドイツでの卓球留学を経て、'07年、史上最年少の17歳で全日本王者に輝き、同年から史上初の5連覇達成。青森山田高から'08年、明大に進学。'09年世界選手権ダブルスで銅メダル獲得。北京五輪より2大会連続五輪代表。)

 そんな彼も、卓球というスポーツの中で、世界的な“不正行為”の犠牲となり、苦しんできた。
 違法な用具を使うことなく、ただ、「フェアな条件で戦いたい」という一念で、卓球という競技の未来のため、選手生命を賭け、問題提起を行っている。

 日の丸を背負って北京、ロンドンと2度の五輪を戦った水谷隼。
 Number815号に掲載された勇気ある告発を以下に引用する。

 僕はこれから、選手生命をかけて卓球界に横行している不正行為と戦っていきたいと思っています。
 もちろん、アンフェアな状況への憤りがあるからですが、それだけが理由ではありません。
 このまま不正行為を放置すれば、卓球というスポーツの未来にも暗い影を落としていくという危惧が心の底にあるからです。
 「補助剤」をラバーの裏側に塗ることで、大きく変わる打球の質。
 卓球をしている人なら「補助剤」、英語で「ブースター」と呼ばれる液体のことは聞いたことがあると思います。
 その多くは石油系油脂ですが、ラバーの裏側に塗ると、油の分子がラバーの分子と結合してテンションがかかり、反発力が強くなります。
 補助剤を塗りこんだラバーは打球のスピードや威力が増してスピンがかかりやすくなるだけではなく、表面が柔らかくなってボールコントロールも安定します。
 魔法のような液体なのですが、国際卓球連盟(ITTF)は補助剤の使用を明確に禁止しています。
 つまり、補助剤を塗り込んだラバーは“違法ラバー”です。
 日本以外の国で、不正行為に手を染める選手が増え続けている。
 もちろん、僕たち日本選手は厳格にルールを守っています。
 ところが、日本以外の国では、この違法ラバーを使って国際大会に出場している選手がたくさんいるのです。
 これまでも何度かこの問題を指摘してきましたが、不正行為に手を染める選手は増え続けているのが現状です。
 僕は技術を磨くことで、こうしたルール違反をおかす選手たちに勝とうとしてきました。
 世界ランキング5位という地位を手にしたのはその勲章だと思っています。
 でも、ロンドン五輪が終わったあと、自分が今やるべきことに気づいたのです。

 10代の頃から「天才」と呼ばれ、全日本選手権で前人未踏の男子シングルス5連覇を達成した水谷隼が、年内に出場を予定していた国際大会への出場をキャンセルした。
 「選手生命をかけて」補助剤問題の実態を明らかにし、ルールの厳格化を世界中に訴えるためである。
 日本卓球界の至宝がさまざまなリスクと向き合いながら、それでも立ち上がった背景にはどんな葛藤と決断があったのだろうか。
 なぜ、補助剤が使用されるようになってしまったのか?
 卓球を知らない人にはわかりにくいでしょうが、補助剤が登場した経緯を簡単に振り返っておきます。
 2008年の北京五輪までは「スピードグルー」という接着剤を僕を含めたほとんどの選手が使っていました。
 ラバーをより弾ませるために、この「グルー」を大量に塗り込んでラケットに貼り合わせていたのです。
 ゴムの分子と溶剤の分子が結合して膨張するのは補助剤と同じですが、グルーは有機溶剤が主成分なので、人体への影響が懸念されていました。
 グルーの使用が禁止されたのは、'07年にグルーを塗っていた日本の選手が意識不明の重体になった事故がきっかけです。
 日本卓球協会がいちはやくグルーの使用禁止を選手に勧告し、ITTFも北京五輪後にグルーの全面禁止に踏み切りました。
 同時に、ラバーに接着剤や接着シート以外の付加的な処理、いわゆる「後加工」を禁じることもルールに定めたのです。

 初めてグルーを塗らないラバーで打った時、全然弾まないし、摩擦力も落ちて愕然としたことを覚えています。
 同じラバーを使っても、感覚がまったく違うんです。
 いろんなラバーを試し、違和感なく打てるようになるのに2カ月ほどかかりました。
 しかし、グルーと同じ感覚を求めた一部の選手は、新たな方法でラバーを弾ませることを考えました。
 それが、補助剤です。
 もちろん、補助剤を塗る行為は「後加工」にあたりますから、補助剤はこの時点で卓球界に存在してはならないものだったのですが……。
 考えられないボールの回転や速度、金属を叩くような打球音。
 半年もしないうちに補助剤を使っている選手が何人か現れました。
 いつ、誰がどこで最初に使ったのかはわかりませんが、'09年4~5月に横浜で世界選手権が開かれたころにはかなり増えていたと思います。
 対戦すると、ITTFに公認されたラバーの性能では考えられないスピードと回転でボールが返ってくるし、金属を叩くような打球音が会場に響くからわかるんです。
 僕たちはミリ単位の繊細な感覚で技術を競っています。
 補助剤を塗った選手との試合を100m走にたとえれば、スタートラインの10m先に相手のスターティングブロックが設置されているようなものなんです。
 大事な試合で違法ラバーを使う選手に負けるたび、もし、補助剤がなかったら……と考えないわけにはいきませんでした。
 用具ドーピングを見抜くはずの検査方法にも問題が。
 練習場で堂々と補助剤を塗ったり、補助剤を塗ったラバーを持って移動バスに乗り込む選手を何度も目撃するようになったのは、ここ2年ぐらいのことです。
 ルールを破る選手が増えるにしたがって、彼らのなかに罪悪感がなくなっていったのです。
 日本のスタッフに、製造メーカーの関係者が補助剤を使うよう勧めてきたこともありました。
 補助剤を塗り込めば膨張してラバーが厚くなります。
 ラバーの厚さは4ミリ以下に制限されているので、ラケットの表面をくり抜き、その上に違法ラバーを貼り付けて厚みをごまかす選手もいるのです。
 問われているのは、選手や指導者、メーカー関係者のモラルだけではありません。
 ITTFが用具ドーピングで使う検査器は揮発性の高い有機溶剤を検査するためのもので、揮発性の低い補助剤の成分はほとんど検出できません。
 補助剤は健康問題ではなく、後加工の問題ととらえて新たな検査方法を設けるべきなのですが、今のままだと簡単に検査をすり抜けてしまうのです。
 北京五輪後に国際卓球連盟へ直訴も、ロンドンでは何も変わらず。
 北京五輪が終わったあと、僕はメダルを逃した悔しさを次のロンドンで晴らそうと練習を積んできました。
 その思いが強かったから全日本選手権を5連覇し、世界ランキングも5位まであげることができました。
 補助剤の問題が起こっても、ロンドンまでには解決すると信じていたのです。
 ロンドン五輪の直前、僕はITTF副会長で日本卓球協会副会長も務める木村興治さんに直訴しました。
 「卓球をやめる前に、一度でもいいから、補助剤なしのフェアな条件で世界の頂点を争ってみたい」と。
 木村さんは僕の思いを受けとめてくださり、ITTFのアダム・シャララ会長にフェアプレーの精神を選手に徹底させるよう強く訴えてくれました。
 そのことにはとても感謝しています。
 でも、結果的にロンドンでも何も変わらなかったのです。

 議論の対象として受け止められない日本の問題提起。
 水谷の思いを受け止めた木村氏は「新しい検査器を導入しても、いたちごっこに終わる懸念が残ります。問題を解決するには、抜本的な改革が必要なんです」と語る。
 「例えば、日本卓球協会では接着剤を使わずにラバーをラケットに貼り付ける接着シートを研究開発し、すでにITTFにも提言しています。 
 『簡単にはがれてしまう不安がある』とアスリート委員会から反対されていますが、他にも薄いアルミをラケットの表面に貼り付け、ラバーの厚さを簡単に計測できる方法、あるいは接着剤を公認制にし、成分を正確に把握したうえで試合後にはがして異物が混入していないか検査する方法などを検討しています。
 しかし、他の国の理事たちの問題意識が薄く、ITTF内では日本が投げたボールを議論の対象としてきちんと受けとめてくれていないというのが実感でした」
 「メダルを獲れなかった言い訳にするな」という声も。
 だが、ロンドン五輪開催中にアダム・シャララ会長が「不正行為をしている選手がいるのはわかっている」と、日本のテレビ局の取材に語ってから流れが変わってきたという。

 「これは大きな前進です。トップが不正を認めたのですから、ITTFは急いで問題解決にあたらなければいけません。水谷選手の憤りは理解できますが、今は自分の技術を磨くことに集中してほしい。問題が解決したとき、改めて日本選手のフェアプレーの精神が讃えられるはずですから。シャララ会長は同じ取材で『リオまでには解決したい』と語ってましたが、私個人の思いとしては、この1年以内にすべての状況をフェアにしていきたい」

 ロンドン五輪のあと、問題を解決するためには自分の進退をかけるしかないと思いました。
 それで静岡に帰省したとき、新聞記者の人たちに補助剤の問題を訴え、解決するまでは国際大会を欠場する意向を伝えたのです。
 いろんな反応がありました。
 「メダルを獲れなかった言い訳にするな」という声も聞こえてきました。
 僕の立場が危うくなることを心配してくれる人もいましたが、僕は自分の競技人生だけではなく、卓球という競技が歪んだ方向へ流れていくのをなんとかしてくい止めたいのです。
 ルール違反を認めれば、卓球はスポーツでなくなる。
 僕は5歳で卓球を始め、14歳でドイツへ渡りました。
 外国で生活するのは大変でしたが、多くの観客の前でプレーすることが楽しかったから耐えられました。
 卓球をするのが楽しいという気持ちが、僕の原点なんです。
 今、ラケットを振り始めたばかりの子どもたちにも、同じように楽しいと感じてほしい。
 でも、トップ選手たちによる不正を放置したままでは、胸を張って子どもたちに卓球を楽しんでほしいとは言えません。
 日本の女子代表は五輪で銀メダルを獲得し、僕も世界ランクの上位にいます。
 そうした結果をとらえて「補助剤を塗ってもあまり変わらない」と指摘する人もいますが、それならなぜ、補助剤を塗り続ける選手がいるのでしょう。
 なにより、ルールに反する行為を認めてしまえば、それはもうスポーツではありません。
 「日本選手も使えば、フェアになる」という意見もあるが……。
 「体に無害なら、ルールを改正して補助剤の使用を認めてもいいのではないか」という意見も耳にします。
 「日本選手も使えば、フェアになる」と。
 でも、後加工を認めると、卓球はどんどん用具偏重の特異な競技になってしまいます。
 それに、もし今から補助剤が認められたら、僕は卓球をやめるでしょう。
 誠実にルールを守りながら、技術を磨いてきたこの4年間、19歳から23歳までの日々が無駄になるからです。
 アスリートにとって、時間は命です。
 もし、今回の行動でなにも変わらなければ、これまでと同じ気持ちで世界選手権やオリンピックを目指すことはできません。
 一刻でも早く、この問題に終止符が打てる日が来ることを願っています。
 卓球という競技は、エスカレートする用具開発に歯止めをかけるルール改正を繰り返してきた。
 使用する用具の差ではなく、アスリートが心技体のすべてをぶつけて勝敗を競うというスポーツの本質から逸脱しないためだ。
 だが、補助剤の問題は明確なルールがありながらそれが守られていない点に、これまでとは違う闇の深さを感じてしまう。
 今はこの問題を解決するために、自分がいるんだと思っています。

 インタビューを終える直前、水谷隼は「自分は捨て石になってもかまわない」とも言った。
 だが、その覚悟の強さが、稀有な才能を孤立させることにつながらないだろうか。
 そんな危惧を伝えると、さらに力のこもった言葉が返ってきた。

 もちろん、協会をはじめ、いろんな人と協力してこの問題を解決していきたい。
 でも、仮に声をあげるのが僕一人になっても考えは変わりません。
 それは、卓球という競技を守るために、自分は正しいことをしているという確信があるからです。違う時代にプレーできていれば……と否定的に考えたこともありましたが、今はこの問題を解決するために自分がいるんだと思っています。

 この話を聞き、水谷さんの中に武士道のようなものを見出しました。
 勝利することだけにこだわる。
 勝利すればやり方は何でもいいのか。たとえ卑怯なことをしても。
 正々堂々と戦う。
 その結果として勝ち負けがある。
 私たち日本人は、古来からその精神を受け継いでいる民族である。
 常に、水谷さんのように気高く、正々堂々と生きる。
 今、私たちが置き忘れてきた精神である。

欠点が魅力

2012年12月05日 20時12分55秒 | 悩める君へシリーズ

 人にはさまざまな欠点がある。

 中には完全無欠な御仁もいるかもしれない。
 だが、私は欠点だらけである。

 そして、私自身、若い頃、人の欠点が許せなかった時期がある。

 本当に青く、稚拙だったと思う。
 今思うと、顔が赤くなる。

 いつの頃か...

 多分、チャレンジの子どもたちと接する機会が増えてきたおかげからか。

 誰しも欠点はある。
 でも、それがその人の魅力なんじゃないかと思えるようになった。

 そう思えるようになってから、自分の欠点や失敗を人に話せるようになった。
 本当に肩の力が抜けた。

 人より優れている点ばかりを主張していた自分がいる。
 恥ずかしいと思えるようになった。

 至極、当たり前になった。

 人の悪口や中傷をする前に、一度、咀嚼(そしゃく)し、自分のものとし、飲み込んで欲しい。
 人を傷つけても何も得るものはない。

 上手くいかないとき、それは人や世間が悪いのではなく、自分に責任があると思えば、きっと新たな自分が生まれる。

教えるということ

2012年12月04日 23時57分19秒 | つぶやき

 上野由岐子さんを皆さんは覚えているだろうか。

 福岡県福岡市出身のソフトボール選手(投手)。
 2004年アテネオリンピック銅メダリスト、2008年北京オリンピック金メダリストである。

 そして、今年のロンドンオリンピックからソフトボールがなくなってから、スポットライトが当らなくなった。
 
 人生の目標を失い、失望の日々を送くる時、人はどう再起を目指せばいいのか。
 おそらく、頂点から奈落の底に突き落とされたような思いではなかったか。
 それが自身の責任でそうなったなら仕方がない。
 しかし、自分の及ばない力によって突き落とされたのである。
 まさに、「不条理」としか言いようがない。
 きっと、プライド(自尊心)もズタズタになったことであろう。

 そして、そこから学んだことは、自己のスキルだけを突き詰めようとしていた思いから、新たな使命を心に抱いて挑戦を続けようとしている。

 なによりも、その挑戦し続ける思いは、「それでも私は投げる」という思い。
 今、彼女は、自身を高めながらも、その思いは後継者育成へと振り向けられようとしている。

 自分のスキルアップも大切だが、球界全体の発展も大切なんだと気付く。

 私のような終わりかけの職員が役に立つこと。
 それは、何よりも後継者育成である。

 自分のもてるものすべてを乞われればいつでも提供しようと思っている。

 だが若い人たちにとっては、年寄りの戯言にしか聞こえないかもしれないが...


第三回 生石地区 明日のまちづくりを考える会

2012年12月03日 20時25分49秒 | 地域情報/その他

 11月20日に開催されました「第三回 生石地区 明日のまちづくりを考える会」の議事内容は次のとおりです。
 第三回目のテーマは、「大災害が発生するとⅠ」についてでした。
 出席者数は48名でした。
 会議の進行及び内容については、次のとおりです。

  1.会長 開会あいさつ                 福山 勝幸
  2.地区自主防災連合会長あいさつ            高藤 頼夫
  3.勉強会      講師 愛媛県防災インストラクター 西藤 健次
  4.副会長 閉会あいさつ                角田 敏郎

  

 ◎内 容   
  ○災害は、温故知新からはじまる
  ○芸予地震は南海大地震の警告
  ○芸予地震が大地震との境目
  ○松山周辺の地盤の弱いところ判明
  ○予想震度6弱
  ○自然災害は頻繁にはおこらない
   ●災害は忘れたころにやってくる
   ●いかに災害への備えを続行するか
   ●遠くの親戚より近くの他人
   ●互いが理解しあう地域の指導
   ●安心安全な住みよいまちづくり
   ●多くの特技取り柄を評価活かして助け合う
  ○プレート移動         (年間) 4センチ~6センチ
  ○歴史に残る南海地震
    宝永 1707年  安政 1854年  昭和 1946年
    684年11月29日    M8
    887年 8月26日    M8 ~ M8.5
   1099年 2月22日    M8 ~ M8.3
   1361年 8月 3日    M8
   1498年 9月20日    M8.2 ~ M8.4

  ○もしも地震が起きると・・・
   ●東海、東南海、南海地震 同時に発生する可能性大
   ●人口密集地
   ●商工業の重要地帯
   ●重要な交通網
   ●防災力=自治力=地域力
   ●生石地区では津波の危険性もあるが、液状化も深刻な問題である。
    生石地区の地質は、砂の上にあるようなもので、液状化になりやすく、
    いったん起これば、電柱や大きな看板が倒れてくる可能性あり。
    大きな人身事故になる可能性もあるが、電柱が倒れれば道路を遮断し、
    電気や通信回線がストップする。

  ○東南海・南海地震による津波に備えて
   ◆平  時
     コミュニケーション指導 人、地域避難場所、防災資器材、状況把握
     防災知識の普及と防災マップ作り、安全安心なまちづくり、防災訓練
   ◆災 害 時
     救出活動と初期消火の陣頭指揮
     秩序ある避難場所の運営

  ○生石地区の特性(人口等のデータ) 省略

  ○まずは、まちを守る施設を知る
     生石地区避難場所資料 省略
     生石地区避難所別収容人員数等 省略
    ※生石地区の人口は、18,868人なので一万人以上収容できない人が出てくる可能性がある。

  ○次に、まちを守る人を知り、守ってあげる人を知る

  ○避難の仕組み

  ○救援の仕組み

  ○周辺地域の地質

  ○交通アクセス道路

  ○生石地区災害ハザードマップ

  ○周辺洪水ハザードマップ

 次のような質問が出ました。

 質問:生石地区は災害時に逃げるところがない。どこに逃げたらいいのか?
 回答:災害といっても、例えば、地震のときには、この地区では津波の可能性が
    あるので、「遠くより、高く」へ逃げるように心がけて欲しい。
    理想は、埴生(ハブ)山へ逃げるのが理想だが、お年寄りや子どもたちに
    とっては大変なので鉄骨構造の建物の3階以上のところへ逃げるように
    心がけて欲しい。

 質問:埴生(ハブ)山へ逃げるといっても道路(山道)状況がかなり悪い。
    このことはタウンミーティングでも提案したが私道なので難しいといわれた。
    しかし、災害時を考えると整備する必要があるがどうするのか。
 回答:桑原地区では展望台整備を地域の人たちの力で行ったといわれている。
    そのときに山道整備もあわせて行っているが、行政からは資材だけを負担
    してもらい、地域の人たちが力を合わせて作り上げたということである。
    また、久米地区では子どもたちのために里山づくりを行っている。
    大切なことは、災害時のためにといって山道を整備しても、いざという時に
    利用されなくては無駄になる。
    そのためには、平素から、子どもたちのために里山として整備しておけば、
    いざという時に埴生山へ逃げることを思いつく。
    また、すぐに山から降りられない状況になった場合、里山遊びの中で食べ
    られる植物がわかっておれば役に立つと思う。

 質問:行政が備えている防災機材や飲料水、非常食の状況はどのようになっている
    のか。
 回答:富久町にある西部消防署に200㎡の備蓄倉庫があるが、恐らくそれでこの
    生石地区だけでなく周辺地区もまかなうとなれば、足りない可能性がある。
    大事なことは、まず「自助」の精神である。
    個人が非常食や飲料水を平素から備えておくことが大事である。

 質問:現状では避難場所になっている学校等には備蓄倉庫がないと思うが、それを
    含めて学校現場の状況をお伺いしたい。
 回答:(西中)学校には備蓄はありません。また、津波対策については、埴生山は
    少し遠いので、校舎の3Fへ誘導するようにしている。液状化の場合の避難
    方法は現段階では未定である。

 質問:災害になれば近くの高いところへ周辺住民が避難してくる可能性があり、
    学校などは人が押し寄せてくる可能性があるが大丈夫か。
 回答:(西中)収容人員3,000人ということになっているが、現実は子ども
        たちで体育館は満杯になる可能性があり、周辺住民まで取り込め
        るかというと不安である。
    (高藤)避難場所は決められているが、どこへ避難すべきかの明確な指示は
        ない。
        そのため避難民が一極集中しないよう整合性の取れる避難計画の作成
        が課題である。そういう意味では、そこまで行政に任せるというのは
        限界がある。
        むしろ、現実的なことを考えると、地域の中で話し合って災害に
        どのような対応をとるか、地域がつくる「避難計画」が必要である。

  (さくら小)昨日、避難訓練をしたところである。その時に西部消防署に問い合わ
        せをした時に防災センターへ連絡して欲しいと指導された。
        近くにあっても指揮命令系統等の事情からすぐに対応できないことを
        知った。ちなみに運動場への避難については10分、校舎3Fへの
        避難は二班に分けて7分でできた。
        ただ、東日本のような津波だと3Fに逃げても安全とはいえない。
        また、まずは子どもたちの安全を確保することを優先するので、
        周辺住民の方々が逃げ込んでこられた時にどこまで対応できるか
        不安である。

   (生石保)避難訓練を兼ねて生石小学校や埴生山は園児の足では遠いので、
        二年前から生石八幡神社に登る訓練をしている。
        ただ、そこが本当に安全なのか地質などの情報が欲しい。
        また、園児の足では避難場所への距離や回数に限界があり、周辺
        住民を交えた合同避難訓練を催していただければありがたい。
        また、ミネラルウォーターは購入すると高いので、水道水をペット
        ボトルにいれ、備蓄水を作るようにしている。
        保育園には調理場や炊き出しの備品があるので、災害時には炊き出し
        の協力もできると考えている。

   (生石小)実態は避難場所の看板は上がっているが、備蓄や緊急時の電源の確保
        など、未整備状態であることを知っておいて欲しい。
        また、学校が休みのときに災害が起こった場合は、当然、子どもたち
        が避難してくると思うが、その時に鍵がかかっており現段階では入れ
        ない。
        こういったことも見直しをしなければならないと感じた。
        耐震構造的には、現在その工事が進んでおり、来年度には完成するが、
        例えば子どもたち全員を3Fに逃がし、さらに周辺住民を受け入れて
        も大丈夫なのか、そういった説明は受けていないため不安である。
        また、災害時には情報が最も大切であるが、現状では遮断されるの
        ではないかと不安である。
        避難場所としての機能の見直しが必要と思う。

   (桃山幼)当園では、子どもたちに、災害の話をしてもわからないと思い、毎月、
        欠かさず避難訓練をしている。
        また、毎日、3Fまで走って上がる訓練もしている。
        身体の鍛錬と身体で覚えさせることが大切だと思っている。
        さらに、昨年、防災頭巾を購入し、屋外に出る時には水筒と防災頭巾
        は常用させるようにしている。
        水については家族が迎えに来ることを考え、半日分程度の水の備蓄や
        ゴミ袋を使った緊急トイレなども備えている。
        イベントで炊き出しを行い、炊き出し訓練としている。
        ただ、災害が送迎時間帯に起こることを想定すると、地域の人たちと
        の合同訓練を希望する。

 質問:昼間と夜間では当然対応がちがってくると思う。電気等の照明の問題。
    食料などの備蓄も大切であるが照明器具などの備蓄も必要ではないか。
    4月の防災訓練の時に西消防署の人から4F以上の建物に逃げるように
    言われた。
    そこで近隣のマンションの管理組合に避難時の受け入れについてお願いに
    行ったが、話が進まない。行政の力が必要だと思う。
 回答:照明器具の備蓄については、今後、行政に提案すべきと思う。
    また、マンションの管理組合に依頼する時には遠慮なく支所に相談に来て
    ほしい。同席した方がいいなら、支所長が同席します。

 質問:説明の中であった緊急道路とは、災害時に一般輸送道路が緊急導路になり、
    通れなくなるということか。
 回答:災害対策本部が設置後、緊急物資運搬用として緊急道路を指定するが、あく
    までも被害者の搬送が優先される。

 【まとめ】
  災害が発生した場合、行政の救助・救援活動は3日間機能不全に陥ると覚悟した
  方がいい。
  そこで3日間は自分たちで助け合わなければならない。
  そこで、「自助」として、まず自分で何ができるかを問いかけ、実践して欲しい。
  次に「共助」として平素のコミュニティ活動や避難訓練等に積極的に参加し、絆を
  深めていただきたい。

 次回は、災害時のリーダーシップやリーダー育成について話し合われる予定です。

  

 【4回目以降のスケジュール】  

  ◆第4回会議 12月17日(月) 19:00~21:00 「大災害が発生するとⅡ」

  ◆第5回会議  1月23日(水) 19:00~21:00 予定 「無縁社会について」

のぼうの城

2012年12月02日 20時45分53秒 | 映画

 久しぶりに映画館で観てよかったという映画を紹介しよう。

 「のぼうの城」である。
 小説は既に読んでいたので筋的にはおもしろいことはわかっていた。

 しかし、映画の持つ魅力からか、最後までワクワクしながら観てしまった。
 そして、主役の野村萬斎さんの演技は、圧巻だった。
 この人をおいて他には絶対いないと思わせる演技だった。

 あらすじは、こうである。

 舞台は武蔵国忍城(埼玉県行田市)。
 “のぼう様(でくのぼうの意)”と領民から慕われる城代・成田長親(野村萬斎)は、天下統一を目指す豊臣秀吉方2万人の大軍を指揮した石田三成の水攻めに、わずか500人の兵で対抗する。

 深く書くと怒られそうなのでこれ以上はふれない。
 でも、とにかくおもしろい。

 主人公・成田長親は、普段はひょうひょうとしながらも肝心なところでの毅然とした態度には、現代の日本が求めるリーダー像が垣間見えたと、取材を行った鈴木元さんも言っている。

 鈴木さんの文章を引用すると、
 長親は、小田原城に向かった氏長から三成率いる天下軍に対し無条件で開城せよとの命を受ける。
 本人もそのつもりだったが、使者である長束正家の不そんな態度に表情を引き締め「戦いまする」と言い放つ。
 とても戦略があるようには見えず、丹波たちもあっけにとられる。 
 その後の現代的な言葉遣いのような丁々発止のやりとりが実に面白い。

 2万対500。

 数の論理では圧倒的不利は明らか。
 それにあえてあらがい、領民も一体となって反撃を見せる合戦シーンが小気味良い。
 長親は合戦には参加せず、総大将として戦況報告を受ける立場だが、周囲の奮闘に押されるように武将として頼もしくなっていく。

 「自他ともに認めていない人が、だんだん勝負師の器があることが見えていく眠れる獅子が目を覚ますイメージ。
  マスクは格好良くないんだけれどね(笑)。
  そこに人間の成長や不思議がある。
  のぼう様は彼自身がそれを見いだしたわけではなく、周りが引き立てることで伸びていった。
  それは無意識のうちに、本質的なことのみを考えて行動していたから。
  降伏して当然だけれど、人間の尊厳として数が多けりゃいいのかと。
  全部が理詰めで落ちてしまって先が見えるとつまらないと思う。
  この映画はある意味、『のぼう様はしようがねえなあ』というところから始まっているのかもしれません」と萬斎さんも語る。

 何よりも萬斎さんの真骨頂である狂言を踏まえたシーンがある。

 ラストに近い一番山場のシーンと言ってもいいかもしれない。
 自身も次のように語っておられる。

 「あそこは2万対1。
  2万人を1人で乗せるにはどうしたらいいかといったら、まあ小難しいことより下ネタだろうと。
  いきなり変なヤツが出てきて、寝小便してお尻見せてというところから始まって、すきを見せれば恐らく興味を持ち始める
  だろうから、そこから振り幅をつくりだんだん乗せていくということを考えました。
  (相手に)撃たせる狂騒感を大事にしたいなとも思いました。
  皆が楽しくなっていく中で、僕の目だけがマジになっていくのはすごく好きですね。
  ふざけた感じからちょっと怖い感じになっていく、合戦以外のシーンでの見どころでありたいなと思います」

 そして、小説では気付かなかった、主人公・長親の大衆心理をつかむ力。
 それは策を労したわけでなく、何よりも平素の自然体の生き方が大切であるということの証みたいなものを感じた。

 私たちが市民と接するときの姿勢を学ばせてくれる貴重な映画でもある。

「どうして」から「どうすれば」へ

2012年12月01日 11時30分47秒 | 悩める君へシリーズ

 人は、失敗続きやがんばっても報われないとき、フッと「どうして」と思いがちである。
 そして、どんどんマイナスの方向に自分を向けていってしまう。

 すると、何をやってもうまくいかなくなってしまう。

 周囲の人たちもそんな様子を見ていて少しづつ離れていく。
 すると、さらに「どうして...」と思うようになる。

 冷静に見ると、すべて自己の問題に帰着する。

 そんなとき、「どうして」という(自己への)問いかけを「どうすれば」にスイッチを切り替えるだけでずいぶんと変わる。

 「どうすれば」には、自己への挑戦がある。
 自己に打ち勝つ。
 ここからすべてが始まる。

 だからといってうまくいくわけではない。
 だが、常に「どうすれば」へと切り替えることができれば、少しづつ切り拓けていく。

 人は一生懸命な人を応援したくなる。

 打開策は自分以外の人によるところが大きい。
 ただ、がんばっているとどうしても人の力を受け入れにくい。
 そういう時、もう一度、「どうすれば」という言葉を心の中でつぶやけばいい。 

 そうすれば、肩の力が抜ける。
 人の力を借りれることも大切だとわかる。

 決して無理をする必要はない。
 大切なことは、目的や目標を達成すること。

 ただ、それだけである。