走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

生石散策(その2)

2011年04月19日 21時27分01秒 | 地域散策
 生石地区も秋祭りは勇壮な神輿が繰り出されるそうで、そのときに宮出し・宮入りする神社が、この生石八幡神社だそうです。
 今日は階段したまでは行ったのですが、時間の都合で諦めました。
次回は上がってみようと思うのですが、追加の写真はそっと足しておくことにします。






地域の現場での仕事の始め方

2011年04月19日 01時20分31秒 | つぶやき
 地域の現場で仕事をし始めて感じることは、まず、その地域が好きになれるかどうかである。
そのためには、できるだけその地域のよさを探し始めるわけであるが、そこに住む人たちがその場所を終の棲家として決めた理由があるはずである。

 私がまずやることは、地域の地図を引っ張り出して東西南北の端っこがどこら当たりか頭の中に叩き込む。
次に、名所旧跡などの場所をその地図上に落とし込む。
さらに、その歴史などを調べるのである。

 そして、自分の歴史の中でこの地域とのかかわりがないか見つけ出す。

 今回の生石地区には、母方の叔母も父方の叔母もいる。
特に、母方の叔母とは一回りしか違わなかったので、叔母というよりも姉である。
その夫に当たる叔父には、本当に(現在も)世話になっている。

 この職場から自転車で5分以内のところにその家はある。
先日も、人のいい叔父は現役を退き、自宅にいるため、電話がかかってきて「昼飯食いにこんか?」と言ってくれた。
相変わらず心根の優しい叔父である。
せっかくの申し入れだったが、「ごめん、出れんのよ」と断る。

 昔、ここいらあたりは砂地で、らっきよやイチジク、ザクロしか植わっていなかったような気がする。
飛行場が今ほど長くなかった時代に、砂浜で地引網をし、その後、貝(たしか「カラス貝」と言っていたような気がする)を焼いて食べた記憶がよみがえる。
ジュウジュウ焼けた貝の上に醤油を落としただけのシンプルな食べ方だったけれど、いまだに記憶のすみに残っている。

 泊まった夜は、昔は外トイレで、そこに行くまでに飛行場の青色のライトがくるくる回っていて、その光が襲ってくるような気がした。
宮沢賢治のようにさまざまなものを擬人化する子どもだったために、そのライトの光が追いかけてくるような気がして、トイレを出ると走って家まで戻った。
息の上がった私を見て、叔母の姑さんは良く笑った。

 この生石地区を好きになるかどうかより、子どものころからこの地区をこよなく愛していたような気がする。
はじめて自転車で遠出したのもここである。

 少しづつなじみながら、このまちの元気の創り方を模索しようと思っている...