昨日、INGの原田さんから電話がありました。
原田さんの親友のNさんがバイクの事故で亡くなられたということです。
私は、直接、Nさんを存じ上げませんが、原田さんの話ではツーリングの際には必ず最後尾に付け、みなさんを優しく見守られていたそうです。
そして、Nさんの人生は、決して幸せではなかったということです。
「課長、ついてないまま死んで逝く人間がいるんですね。」
この言葉が、つらく聞こえました。
私たちの使命は、一人でも多く幸せな人生を送ってもらうことにあります。
でも、現実はNさんのような人をたくさん解決できずにいるのかもしれません。
また、23歳のときにリンパ腫にかかり逝った友がいます。
一年間患いましたが、一年間毎日、見舞いに行きました。
途中からは眼が見えなくなりました。
そんなある日、屋上で次のような会話をしました。
「竹村、オレの分まで生きてくれ。」
「なにいよるんぞ。お前の人生はお前が生きな。はよ、治してがんばれや。」
「そうやなあ...」
眼の見えぬ友の前で肩を震わせている自分がいました。
今、誰よりも熱く、誰よりも働けれるのは、その友との出会いがあったからです。
Nさんのご冥福をお祈り申し上げます。
合掌
原田さんの親友のNさんがバイクの事故で亡くなられたということです。
私は、直接、Nさんを存じ上げませんが、原田さんの話ではツーリングの際には必ず最後尾に付け、みなさんを優しく見守られていたそうです。
そして、Nさんの人生は、決して幸せではなかったということです。
「課長、ついてないまま死んで逝く人間がいるんですね。」
この言葉が、つらく聞こえました。
私たちの使命は、一人でも多く幸せな人生を送ってもらうことにあります。
でも、現実はNさんのような人をたくさん解決できずにいるのかもしれません。
また、23歳のときにリンパ腫にかかり逝った友がいます。
一年間患いましたが、一年間毎日、見舞いに行きました。
途中からは眼が見えなくなりました。
そんなある日、屋上で次のような会話をしました。
「竹村、オレの分まで生きてくれ。」
「なにいよるんぞ。お前の人生はお前が生きな。はよ、治してがんばれや。」
「そうやなあ...」
眼の見えぬ友の前で肩を震わせている自分がいました。
今、誰よりも熱く、誰よりも働けれるのは、その友との出会いがあったからです。
Nさんのご冥福をお祈り申し上げます。
合掌