goo blog サービス終了のお知らせ 

走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

社会の役に立つということ

2010年06月13日 23時06分50秒 | ちょっといい話
 今日のお昼に松山市小中学校PTA連合会の中村和憲会長にお会いした。

 昨日の潮干狩りについてお聞きすると、天気にも恵まれ、全部で2,500人くらい参加されたそうでたいそう喜んでおられました。
 また、5年間潮干狩りを続けたおかげで、子どもたちがとったアサリの中にとっても小さな貝が見つかったというのです。
会長の推測によると「これはですね、毎年、とりそこなった貝が居ついて子どもを産んだんじゃないかと。これをもっと続けると、そのうち梅津寺海岸にアサリがもどってきて、最後には海水をきれいにしてくれるんじゃないかと思うとうれしくなってしまって...」
 私は、中村会長のこの純粋さとあどけなさ(ゴメンナサイ)がとっても好きです。

 その中村会長がある中学校の2年生の職業科授業の講師を依頼され、今春から引き受けたそうです。
 その最初の授業で早速、宿題を出したそうで、内容は「次の授業までに家の仕事で手伝ったことを次回に発表してください」というもの。
次の授業の時に生徒たちはその宿題をしてきたそうですが、しっかりと毎日家の手伝いをしている子と、明らかに今回だけ手伝った子がわかったというのです。
 そして、子どもたちが手伝った仕事を板書すると、驚くくらい家の仕事があったというのです。
 そこで、これらの仕事を日々誰がやっているかという質問を投げかけたところ、答えは「お母さん」になったというのです。
家の仕事をやったからといってお金を稼ぐわけではありません。
でも、仮にお母さんがその仕事をしなかったとしたら家族はみんな困るわけです。

 仕事は必ず誰かの役に立つということをまず教えたかったというのです。

 確かに、どのような仕事も必ず社会の役に立っているのです。
  かごに乗る人、担ぐ人、そのまたわらじを作る人...
 子どもたちにとって、「心豊かに生きる」ことを教えてくれる素敵な先生だなと思ったのは私だけでしょうか

熱血!ホンキ応援団

2010年06月12日 23時20分58秒 | ちょっといい話
 皆さんは、土曜日の19時からテレビ朝日系で「熱血!ホンキ応援団(番組ホームページ  http://www.tv-asahi.co.jp/nekketsu/)」という番組が放映されているのをご存知でしょうか?
 この番組は、ホンキで頑張っている人をホンキで応援する、ドキュメントバラエティです。

 今日は、『赤字の洋食店を立て直したい!』そんな62歳の吉祥寺の洋食店店主・怱那義昭さんのために、人気シェフ川越達也が立ちあがるというもの。

 忽那さんは、約30年前に、アメリカで人気店を経営していたことがある実力の持ち主。
しかし現在では、時代の流れにのれず赤字経営が続いていた…

 そこへ、人気シェフ川越達也が店の再建を目指し訪れる。

 川越シェフは、忽那さんにお客さんが遠のいたわけを自分なりに見つけ出させるところから始めました。
ここからスタートしたのは、「今のお客さんの嗜好はこのような味です」と教えるのは簡単ですが、それでは一過性で終わると判断したためだと思うのです。

 まず、店の前に定点カメラを備え付け店の前を通る通行人の年代を自ら集計させたのです。
今までの「おいしいものをつくっておれば、お客さんの方からやって来る」といった待ちの姿勢をかえる必要性もあると判断したからでしょう。
川越シェフは、何よりも忽那さんの意識改革にこだわったところがあります。

 次に、忽那さんのつくる料理を試食してみて、「料理が枯れている!」と川越シェフは言い放つ。
その味が現代人にそぐわないことを自ら売れている料理を作り比較させたのであります。
そしてただ一言、「今の若い女性が好む味はこういう味です」と言い放つ。
しかし、レシピは教えない。
それは、川越シェフが忽那さんを一流のシェフだと認めていたからでありましょう。

 忽那さんにとって料理の味を変えるということは、過去の栄光とプライドをすべて捨てることだったのです。
そのことを悩む彼を奥さんが「今のお客さんに合わせて味を変えたらいいんじゃないの」と後押しをします。
その一言に、忽那さんはすべて捨て去ることを決断します。

 そうと決めたら、実力のある忽那さんの動きはモーレツでありました。
そして、「女の料理」と「男の料理」の二通りを創りあげます。
メニューを二つ創りあげたのも忽那さんがきちんとターゲットにあわせて何をしなければならないか、しっかりと受けとめていたからでありましょう。

 そして、試食の日、川越シェフが「女の料理」を食べて納得をし、続いて「男の料理」を食べ終わると涙をこぼし始めます。
「今まで大変えらそうなことを言いまして失礼しました。最高においしいです」
職人の意地にも似た、男と男の真剣勝負だったからこそ自然と出てきた涙でしょう。

 また店再建の裏に怱那親子の感動秘話も隠されていました。
忽那さん夫婦は子どもさんに恵まれなかったために5歳の子どもを養子にしていました。
その息子さんも19歳。
今は消防学校に入り、消防士を目指しています。
そして、リニュアールオープンの日、最後のお客さんはその息子さんでした。
息子さんは、食べ終わると
「おいしかったです。
 5歳の時にこの家に来た時から父さんは厨房で調理していました。
 その背中をずっと見ながら『かっこいい』と思っていました。
 僕も父さんのような人になりたいと思いました。
 (今は、道はちがうけれど)私が消防士としていつか父さんを支えます。
 どうか、それまでがんばってください」と

 この親子の歴史を顧みたとき、忽那さんがどれほど真摯に仕事をしてきたかがわかります。
でも現実は、そんなに甘くないのです。
外部環境の変化やお客様のライフスタイルの変化などなど、変わらなければならない部分があるのです。
それを自覚した忽那さんの勇気と努力に敬服するとともに、今後の繁盛を願いたいと思います。


やぶられてもいいルールとは?

2010年06月11日 04時20分35秒 | ちょっといい話
 昨日の研修を受けたときにマニュアル化の大切さと、そのことに依存する怖さみたいなものをしっかりと学びました。

 特に、私たちの仕事はコンプライアンス(法令の遵守)が前提にないと成り立たない仕事です。
しかし、それは時にトラブルや相手側をひどく傷つけることがあります。
そのことを承知しながら、貫き通さなければならないことがあります。
非情だとか、融通が利かないと罵倒される場合もあります。
でも、守らなければならないことは、守らないといけないのです。

 でも、この中で業務を運用する中で定めた要綱や規則には、幅広く表記することで現場の裁量に委ねてもらえているものもあります。
その時の運用時に注意しなければならないのは、特定の人だけが得をするようなことがあってはならないということです。
そして、その運用した内容を、いつでも、誰にでも、きちんと説明できなければなりません。
いわゆる透明性と公平性を確保しておくということだと思います。

 この話とは矛盾するかもしれませんが、「素敵なルール破り」について、林住職が話してくれていますので、ご紹介します。

 皆さんは東京ディズニーランドに行ったことがありますか?
 このアミューズメント施設は、決め細やかなサービスと、いっとき異空間にお客様を誘(いざな)うという類を見ない施設です。
この施設が他の追随を許さないのは、徹底したスタッフ教育にあり、膨大なマニュアルにあると言われています。

 そして、そのマニュアルの中に、レストランでの「お子様ランチ」が出せる年齢を8歳までと制限しているものがあるそうです。

 ある日、若い夫婦がお店に入ってきて、自分たちが食べるメニューと「お子様ランチ」を注文したそうです。
応対した女性スタッフは、お子さんを探しました。
でも傍らには小さなお子さんがいなかったそうです。
そこで、そのスタッフは「恐れ入りますが当店では8歳以下のお子様のみにお子様ランチのサービスをしておりまして、大人の方にはお断りしております。誠に申し訳ございませんが、ご了解いただけますでしょうか」と丁寧に断ったそうです。
 夫婦は顔を見合わせて、曇った表情でご主人が話し始めました。
「実は、私たちには今年6歳になる息子がおりました。でも、先月、交通事故で亡くなってしまいました。その息子は、このディズニーランドが大好きで、この店のお子様ランチがとても好きでした。ですから、今日はその息子と一緒に来ているつもりになり、お子様ランチを頼んだのですが、どうしてもだめでしょうか」
スタッフはこみ上げる涙を抑えて、「少々お待ち願えますか。今から上司に相談してまいりますから」と言って、彼女は急いで上司のところに行き、この旨を相談しました。
 
 上司は、すぐに出すように指示しました。

 女性スタッフは、その若い夫婦をテーブル席に案内をし、子供用の椅子まで準備しました。
そして、注文されたメニューとお子様ランチを出したそうです。

 この様子を見ていた他のお客様からクレームがついたそうです。
その内容は、「きちんとルールを決めたなら、それを守ることが大切であり、これじゃあ差別じゃないか」と言うものでした。
それを許可した上司は、そのお客様に丁寧に「私たちは心のこもったサービスをお客様に提供することを第一義に心がけています。そのためには、時に例外を認める場合があってもいいと思います。私は、やぶってもいいルールがあってもいいと思っています」ときっぱり言われたそうだ。

 私たちサービス業に携わる者として、この話を聴いて、何が大切で、何をしなければならないかということを常に自問自答しなければならないという好例だと思いました。

 常に心豊かに、心のこもったサービスを提供することを心がけたい


お金の価値

2010年06月09日 05時21分35秒 | ちょっといい話
林住職の講話第五弾。

 知的障がい者を生活苦や家庭の事情等で面倒を見ることが出来ない家族のために18歳まで預かる施設があるそうです。
 そういった施設は、子どもたちを家族に代わって献身的に慈しみ育んでくれているそうです。
その中で、子どもたちを送り出すときにテストをしている施設のお話です。

 その施設では、子どもたちの前に硬貨をバラバラにおいて、価値の高い順に並べ替えをさせるそうです。
それは、世の中と触れ合ったときに最低限、お金の価値だけは知っておいて欲しいという親心にも似た思いからなのだそうです。

 そして、500円玉・100円玉・50円玉・10円玉・5円玉・1円玉と子どもたちが硬貨を並べてくれると雲にも上ったような嬉しさだというのです。
でも、この大人たちの思いを覆(くつがえ)すような出来事が起こったそうです。
 それは、A子ちゃんのテストのときでした。
どきどきしながら先生たちがA子ちゃんを見守る中、A子ちゃんは10円玉を最も価値の高い硬貨と選んだそうです。
もう一度やらせたそうです。
でも結果は同じでした。
何度やっても同じ結果です。

 でも、先生方はここであきらめなかったというのです。
これは、何かあると。
そこで、A子ちゃんの平素の生活様式について先生方は話し合ったそうです。
朝起きて、夜寝るまでの生活習慣は毎日毎日判を押したように繰り返されます。
それを時系列に話していくうちに、「A子ちゃんにとっての最大の喜びは何だろう」ということになりました。
A子ちゃんはお父さんと二人きりの父子家庭です。
でも、そのお父さんも病気で入院されておられるために、A子ちゃんの面倒が見られないという家庭の事情があったそうです。
ですからA子ちゃんは毎日、そのお父さんに電話をして、お父さんの声を聴くのが何よりの楽しみでした。
「あ!!」と一人の先生が声を上げました。
「みなさん、赤電話です。A子ちゃんがかけている電話は公衆電話の赤電話です。赤電話は10円玉を入れます。500円玉でも、100円玉でもありません!!」
先生方は顔を見合わせて、自分たちが言う「お金の価値」について改めて考え直させられたそうです。

 林住職は続けて言われます。
 お金も含めて、モノの価値は人それぞれでちがうと思います。
 世間で言う常識が、その常識といった価値観で判断されていいものでしょうか。
 私たちはもっと柔軟に幅広くいろいろな価値観があり、それがあってもいいということを認めるところから始めないと何も始まらないと思いませんかと。

 私もA子ちゃんのような価値観を持つことが出来るのだろうかと問いかけながら、これからの生き方を見つめ直したいと思います。


あったかい心

2010年06月04日 22時25分03秒 | ちょっといい話
 松山に「すみれ」というお好み焼き屋さんがあります。
 とても流行っていて、ほかのお好み焼き屋さんとは雰囲気もメニューも、またスタッフ教育も同業者とはまったく異なります。
このお店を経営するのは元地方公務員です。
昨年、あるきっかけで知り合うことになり話をしたところ、意気投合しました。
 そして、今、お好み焼き屋「すみれ」は三店目をオープンする予定です。

 この「すみれ」のユニークなところは、具材の「地産地消」にこだわるだけでなく安心安全な商品提供を目指して具材づくりからすべて自分たちでやってしまおうというところまで行き着いてしまったところです。
 そこに、「奇跡のりんご」つながりでNPOユニバーサルクリエートに声がかかりました。
無農薬無肥料で具材をチャレンジドに作ってほしいという要望です。
すみれさんは、これによりチャレンジドの就労支援につながるということを理解してくれているのです。

 そして、まず、麦と豆を植えました。
 麦の効用は、地下深くまで根を張りますから土の改良につながります。
 そして豆は、食いしん坊ですから肥えすぎた土の栄養を吸い取ってくれるのです。
 この二つの植物の力を借りて土を元気にしておいてから主役のキャベツを植えることとしています。
 そして、蝶が嫌うハーブなどもあわせて植えることとしています。
 これにより、見た目は悪くても元気で安全なおいしいキャベツを作ることとしています。

 私たちは、このプロジェクトを「キャベツ・プロジェクト」と呼んでいます。
 そして、NPOユニバーサルクリエートにチャンスをくれたすみれさんの温かい心に感謝です。



  

 

いっしょに泣いてあげれる心

2010年06月03日 22時31分02秒 | ちょっといい話
林住職の講話第四弾。

 林住職は、医療関係者たちと毎月一回、一年間勉強会をしたことがあるそうだ。
その何回目かの時に、寺本さんという看護士のカリスマ的存在の方を講師に招いたそうです。
 そして、講演が終わり聴衆者から質問を受け付けました。

 一人の若い女性が手を挙げました。
指名されると、その女性は
「私も看護士です。
でも、今は休職をしています。
その理由は、ある若い女性の患者さんが乳がんで亡くなられたときに、小さな子どもが二人いて、その母親にしがみついて泣きじゃくる様子を見て、思わずその二人の子どもを抱きしめて、いっしょに泣いてしまったのです。
それから、さまざまな指示が飛んできたのですが、私はそのまま泣きじゃくってしまい、その指示をこなすことができませんでした。
あとから、医師や先輩から『おまえは看護士にはむいていない。指示通り動けないならやめてしまえ』と罵倒され、自信を喪失してしまい、休職してしまいました。
私は看護士にはむいていないのでしょうか」と。

 林住職は、寺本さんがどう応えるのか、会場の一番後ろで聴いていたそうです。

 寺本さんは優しい声で、
「その時に泣けない人は、看護士にはむいていないし、なってはいけないのだと思います。
私もいつも泣いていました。
指示通り動けなかったのは単に経験不足ということだけです。
経験を積めば、泣きながら指示通り動けるようになります。
どうか、いつまでも、いっしょに泣いてあげれる心を忘れないで下さい。
本当に大事なことですよ」
 質問した女性は泣きながら何度も何度もお礼を言ったそうです。

 今、世の中はあまりにも温かい心をどこかに置き忘れてきたという気がします。
相手を思いやる心があれば、相手の心がわかり、同じ気持ちになれると思うのです。

 少しだけの思いやりからスタートしませんか...

一流の客室乗務員(フライトアテンダント)

2010年06月02日 23時31分33秒 | ちょっといい話
林住職の講話第三弾。
今、なにかとお騒がせのJAL(日本航空)の国際便のフライトアテンダントの話。
林住職は、様々な企業の社員研修の講師としても活躍されておられるそうですが、よくそのネタ探しとして事前に現場スタッフの話をヒアリングされるそうです。

 そして、紹介されたフライトアテンダントに「何か想い出に残った経験はありますか?」という質問を投げかけたところ、「日々のサービスをいつもと変わらずに提供していますので、これといって想い出といわれても..」と悩まれたそうです。
事前に彼女がトップクラスのスタッフであり、超VIP対応も任されるくらい有能であると聞いていたので、この応えは意外だったそうです。

 すると急に彼女は顔を曇らせて「ひとつだけとっても忘れられないことがあります。」
林住職は「それは何ですか?」
彼女は話し始めました。

 カナダ・バンクーバー便に搭乗したときのことです。
 その日はビジネスクラスを担当させていただいたのですが、窓際に座られている男性が険しい顔をしておられたのです。
私は、おそらくこれから難しい商談に向かわれるか、飛行機の長旅で緊張されておられるのではないかと感じました。
私たちは、そういったお客様が搭乗中、少しでもリラックスしていただくことを願い、最善のサービスを提供しています。
 そこで、まずお客様の名前を覚え、そのお名前を呼ぶことでお客様との距離を縮めようと思い、搭乗者名簿を見ました。
すると、ご夫婦連れになっていました。
でも、奥様がおられませんでした。

 奥様が急にトイレに立たれたので、そんなに険しい顔をしているのかと思い当たりました。
 しかし、一向に席に戻られないのです。
 そうこうするうちに飛行機が動き始めました。
 私は、あわてました。
 急いで、その男性の席に行き奥様の様子を尋ねようと駆けつけました。

 そして、その男性の隣のシートを見て、思わず息を飲み込みました。
そこには、女性の写真が入った額に黒いリボンが巻かれていたのです。
行きすぎとは思いましたが、
「きれいな方ですね。奥様ですか?」とたずねました。
男性は目に涙をためながら、
「はい、家内です。現役当時、旅行へ連れて行ったことがなかったので引退をしたら海外旅行へ連れて行ってやるといったらたいそう喜びまして、行き先も本人が決めたのですが、一ヶ月前に脳梗塞で急に亡くなりました。
そこで今回の旅行をキャンセルしようと子どもたちに相談したところ、お母さんはとっても楽しみにしていたのだからぜひ行くべきだと。
そして、二人で行くのだからチケットも二人分取りなさいと。
一人分だと見ず知らずの女性が座るとお母さん、焼きもちやくよと。
そこで、旅行会社に行き相談したら、担当の女性スタッフが泣きながら『大丈夫ですよ、ご主人の隣には奥様が座れるように常に隣の席を空けておきます』と言ってくれたんです」

 その話を聴いた私は、すぐに機長に相談しました。
機長は、「機内にある赤ワインの中で最高級のワインを二人分、私からと言ってプレゼントしてください」と指示があり、すぐにグラスに入れご主人と奥様の前に出させていただきました。
すると、機長から機内放送があり、「はじめて海外旅行に行かれるご夫婦の記念に私からワインをプレゼントさせていただきました。どうぞ、ご旅行をお楽しみ下さい」と。

 そして、その様子を見ていた後輩たちが「私たちも何かしたい」と言って、機内に飾ってあった生花を集め、リボンで巻いて奥様の席にもって行き、「奥様の旅が素敵なものになりますように」と言って置いたのです。

 それからしばらくして、その席から声を殺した泣き声がしばらく聞こえてきました。


 JALとは、こんな素敵なお客様サービスができる会社なのです。



温かいパチンコ屋さん

2010年06月01日 20時20分49秒 | ちょっといい話
 林住職の講話第二弾。

 あるサービス産業の従業員300名の研修にいった時の話。
 数が多いので100人づつ3班に分けたそうです。

 研修は無事終わり、しばらくしてその研修を受けた人たちから感想文が手元に届いたそうです。
しかし、300人からの感想文です。
なんといっても忙しい。
担当者に電話して、全部読まないといけないかたずねました。
担当者は「ぜひ、一番上の感想文だけでも読んで欲しい」という回答でした。

 読み進めるうちに涙したというのです。
 その内容は、次のようなものでした。

 私は6年前に恋人を亡くしました。
 直後、私は彼の死を信じられず、しばらくの間、彼とデートをした思い出の場所を休みのたびにたずね回りました。
そして、ある日、パチンコ屋さんの前を通った時、彼と来たパチンコ屋さんだと気づきました。
そして気づくと、そのパチンコ屋さんに入り、彼が定席にしていた端っこの台の前に腰掛けていました。
なんだか彼のぬくもりが伝わってくるような気がしました。
私は、いつも彼の席の横に座り、二人で楽しくパチンコを愉しんでいたことを思い出すと、涙があふれてきて止まらなくなりました。

 そんな私の様子を心配して、店員さんが声をかけてくれました。
私は、彼のことを話しました。
するとその店員さんは、「ああ、覚えてますよ。とても仲のよいカップルで、いつも笑いながら楽しくパチンコをしておられましたね。そうですか、しばらくみないなあと思っていたのですが、亡くなられたのですか。それは残念ですね。」
 私は、彼のことを私以外の人が覚えてくれていると知ったとき、よけいに涙が出てきて涙が止まりませんでした。
 そして、私は泣きながら、その店を後にしました。

 それから何ヵ月後かに、そのパチンコ屋さんの前を通ると新装開店の花輪で埋め尽くされていました。
「ああ、とうとう彼との思い出のパチンコ台もなくなったのか」といいしれようのない寂しさに包まれました。
そして、気づくとその店に入っていました。

 すると、彼の台だけがそのまま残っていたのです。

 私はすぐにわかりました。
 彼と私のために残してくれたことを。
 涙があとからあとから出てきて、立ち止まったまま泣いていました。

 すると、あの時の店員さんがやってきて、「この席はあなたたちの思い出の席ですから、店長と相談してそのまま残すことにさせていただきました。」と話してくれました。

 そして、それから半年後、やはり新装開店で花輪が並んでいました。
 今度こそ、あの台はなくなっただろうと思いながら店内に入ると、やはりその台だけはそのままでした。

 私は、サービス業の仕事をしています。
 でも、店長さんや定員さんのようなサービスをお客様に届けたことがありません。
 なぜできないのか、ずっと悩んでいました、
 そして、先生の話を聴いて、その答えを見つけることができました。

 温かい心を持たないと、温かいサービスを提供することはできないことを。
 日々の忙しさにかまけて、このことをいつしか忘れていました。

 温かい心、ずっと持ち続けたいと思います。

この感想文は、このように結ばれていたそうです。

先生の香水

2010年05月31日 23時57分18秒 | ちょっといい話
 福岡に南蔵院というお寺があり、そこに林覚乗(はやしかくじょう)住職(http://www.sbrain.co.jp/keyperson/K-4160.htm)という方がおられます。
この林住職は、全国各地で講演をされており、その話の内容は吸い込まれるような話ばかりです。
たまたま「同行二人」というテーマの講演ビデオを見る機会があり、観ていると笑いあり、涙ありと、久しぶりにとてもいいお話を聴けたのでぜひ紹介したいと思いました。
内容は覚えている限り正確に伝えようと思いますが、完璧でないことはご了承ください。
また一度には書けないので何篇かにわけて書くことも許してください。

 ある現役を退いた女子教諭の寄稿文の紹介でした。

 その女子教諭が小学五年生を受け持った時の話です。
 クラスの中に一人、身なりのよくない、消極的で勉強もできない少年がいました。
その教諭は、どうしてもこの少年が好きになれませんでした。
 ある日、身上書(?)を書こうとしたときに、一年生から四年生までの身上書がその教諭の元に届いたそうです。
 一年生の記録は「とても明るく、つねに人を引っ張り勉強がよくでき、将来が楽しみである」と書かれていました。
その教諭は、「何かの間違いだろう」と思ったそうです。
 そして、二年生の記録を読むと「母親が病気になり、その看病のせいか勉強がおろそかになった」と書かれていました。
教諭は「ハッ」としました。
 さらに三年生の記録では、「母親の病気がひどいせいか、授業中、いねむりをするようになり成績はよくない」
記録は続きます。
「母親が死に、父親はアルコール依存症となり、家庭内暴力にあっているせいか成績は悪い」と書き綴られていました。
 その教諭は自分の愚かさに気づいたというのです。
 身なりや姿かたちにとらわれて、自分は大切な教え子に対して大変なことをしてしまったと後悔しました。
その少年は、苦しい逆境の中で必死で乗り越えようとしている。
そんな最中に自分はなにをしてやったのかと。

 ある日、その教諭はその少年に「先生は夕方まで学校にいるから、もしよかったら残って勉強をしない?」と声をかけてみました。
少年は、初めてその教諭に笑顔を見せて頷いたというのです。
それから、その少年は毎日毎日教室に残り自分の机で勉強をしました。

 ある日のこと、授業中、「これわかる人?」と質問した時、その少年が自信を持って手を挙げたというのです。
教諭は涙が出るほどうれしかったといいます。
少年の瞳は自信に満ち満ちていたというのです。
「先生、わかるよ。わかるよ。」と叫ぶ少年の心の声が伝わってきたといいいます。

 そして、この話は続くのです。
 クリスマス・イブに少年は小さな紙包みをその教諭に手渡し、そして逃げるように帰って行きました。
教諭が、その包みを広げると香水の小瓶が入っていました。
その教諭は「ハッ」として、「その香水が母親のつけていたものだ」と気づきました。
教諭は、その香水をつけると少年の家に駆けつけました。
少年の家は、荒れ果て、薄暗い部屋のすみに少年はいました。
少年は、駆け寄ってくるとその女子教諭に抱きつき「母ちゃんの匂いや!!」といって声を上げて泣いたそうです。

 六年生になった少年はその教諭の担任から外れたそうです。
でも、卒業式の日、少年はその女子教諭に手紙を手渡しました。
内容は、「先生のおかげて僕は無事卒業できました。五年生の時に先生にめぐりあえたことでがんばることができました」
それから、六年後、その少年からカードが届き「先生のおかげで無事高校を卒業し、奨学金で医学部にいけることになりました」
さらに、六年後「先生のおかげで人の役にたてる医師になれました。これも五年生の時に先生にめぐり合えたおかげです」
そして、それから何年かして結婚式の招待状が届き、「先生のおかげで、私も結婚ができるようになりました。そこで、私の母親の席に(先生が)座っていただけませんか」という内容だったそうです。

 住職は、この少年にとっての心の支えはずっとこの小学校五年生の女子教諭だったのでしょうと。
「同行二人」とは、弘法大師だけでなく自分の支えとなる人とともに生きることだと。
この話を聴きながら、思わず父親が死んでしばらくして恩師が自宅まで尋ねてきてくれて、その教師にすがり付いて声を出して泣いた自分を思い出し、涙が止まりませんでした。



君の椅子プロジェクト

2010年05月21日 23時56分32秒 | ちょっといい話
 北海道の東川町では、赤ちゃんが誕生すると特産木材で作られた椅子がプレゼントされます。
その椅子がデザイナーとのコラボで、毎年、デザインが変るというのです。
なかなかオシャレでぜひ、ホームページ(http://www.kiminoisu.com/)でご覧になってください。

 そして、何よりもまち全体で子どもの誕生を祝う、この素敵なプロジェクト、心温まります。
 また、ホームページに素敵なメッセージがありましたので以下に掲載させていただきます。

君の椅子プロジェクトとは

 「誕生する子どもを迎える喜びを、地域の人々で分かち合いたい」。

 このプロジェクトは、旭川大学大学院ゼミのそんな会話からはじまりました。
 そして、旭川大学大学院教授磯田憲一を代表とする同大大学院生などのプロ
 ジェクトチームが設立された。


 『君の椅子』は、地域の人々が生まれてくる子ども達に地域に集積されてきた
 技術と道産の木材によって創られた“椅子”を贈るプロジェクトです。


 「ようこそ。君の居場所はここにあるよ」。

 椅子を通じて、地域で子どもの成長を温かく見守るとともに、
 世界に誇る旭川家具を内外に発信したい、そんな願いを込めて構想しました。

 構想から今日まで、この取組に共感いただいた方々のご協力により準備を進め、
 この度、東川町の皆さんのご尽力によりプロジェクト初の具体的な取組が実現
 することになりました。

 今後は、市町村はもとより、町内会、地域グループなど、全道・全国の幅広い
 方々にもご賛同、ご参加いただき、子どもたちを温かく見守る輪が広がること
 を期待しています。

                        チーム「君の椅子」


「向こう三軒両隣」

  かつて暮らしの中で息づいていた、優しく柔らかな地域の絆を
  ほのぼのと思い起こさせてくれる言葉です。

  一見、過去の記憶の中に閉じこめられた言葉であるように見えて、
  しかし、私達がこれから目指すべき地域社会の未来を指し示す、
  古くて新しい言葉です。

  高齢社会がスピードを上げて到来し、少子化も予想を超えて一段と
  進んでいます。

  少子高齢社会は、年齢を重ねることに、勇気の持てる社会、
  そして新しい生命のスタートを地域が支え、その誕生に「ありがとう」を
  言える社会でありたいと思います。

  その循環があってこそ、それぞれの人生を懸命に、豊かに生きて、
  限りある生命の営みを未来にバトンタッチしていけるのです。

  経済性や利便性だけでなく、地域社会の優しく、柔らかなネットワークを
  少しでも取り戻していきたい、
  そのためにひとりひとりがそれぞれに小さな取組みを重ねていく、
  そんな思いを込めて私達は「君の椅子」プロジェクトを立ち上げ、
  その一歩を踏み出しました。

  北海道という地域の持つ財産とその潜在力を活かして、
  「新しい生命」、「新しい市民」の誕生を暖かく見つめ支え合う
  地域コミュニティ、その再生の火を灯す役割を担いたい、
  それが私達”チーム 君の椅子”の願いです。


  チーム 君の椅子 代表 磯田 憲一


森の子育て

2010年05月11日 00時14分25秒 | ちょっといい話
 BS-11で「プラネットベービズ」という番組をしていて、『森の子育て』というテーマを放映していた。

 小さな男の子と姉がいて、男の子がとってもやんちゃで姉をいじめていた。
母親は、そんな様子を見ても、その男の子を怒りも、諌めようともしない。

 そんなある日、その母親の母親が野草を持ってやってくる。
男の子が姉をいじめるのは、悪霊のせいで、その悪霊を追い出すために薬草を煮たお風呂で身を清めるといいというのだ。
だからといって別に熱湯をかけるわけではない。
行水みたいなものである。
でも、その男の子はただならぬ雰囲気に泣きじゃくる。

 しかし、男の子は泣きじゃくりながらも諦めて、おばあちゃんが手にした薬草で身体を清めてもらうのである。
そして、その儀式が終わると、うって変わって兄弟仲良く遊ぶようになる。
まさに悪霊が落ちたように。

 これを見ながら、前に書いた「閻魔様」の話を思い出す。

 でも、この話の凄いのは、母親がまったく子どもを叱っていないということである。
叱らなくとも、子どもは自らが学び、同じ過ちを起さなくなってくるのである。


 そして、この話は「お手伝い」へとつながる。
 野良作業をしている傍らで、その男の子は、その小さな手にナイフを握り、見よう見まねで母親と同じ仕事をし始める。
母親は、まったく無視である。
ナイフの持ち方を教えるわけでもなく、ナイフが危ないからと怒るわけでもない。
傍らで仕事のような遊びをする子どもとは一言もコミュニケーションを交わさない。
そのかわり、黙々と仕事をする。
ほめるわけでもない。
邪魔するわけでもない。

 でも子どもは、その時の自分の能力の範囲でナイフを操る。
 メキメキ上達し始める。

 解説者は、かつて我が国にもこれと同じ姿があったという。
 私も振り返れば、畑仕事をする父親の近くで遊んでいた。
 父親は、何も声をかけてこない。
 黙々と仕事をしている。
 でも、子供心に背中に父親の温かい眼差しを感じていたような気がする。

 「教え育む」ということ。
 やはり、立ち返るときだと思う。

多機能型事業所 「ひかり」

2010年04月19日 21時53分25秒 | ちょっといい話
 夢紙芝居事業で紙芝居を上演するときに、昔懐かしい水あめが売られています。
 販売は紙芝居団体「のぼ~る」ですが、商品の包装はチャレンジドの就労支援に取り組むNPO法人「ころころ」(丹直文理事長、松山市)さんにお願いをしています。

 ですから、この水あめを買うと「のぼ~る」さんの活動支援になるだけでなく、チャレンジドの皆さんの就労支援にもなっています。

 その「ころころ」さんと同じくチャレンジドの就労支援に取り組むNPO法人「ぶうしすてむ」さんとが、今回協力して多機能型事業所「ひかり」(大石澄江所長)を砥部町に新設するという記事が今日のえひめ新聞に掲載されていました。

 このように1つの団体ではなかなかなしえないことを、互いが保管しながらカタチにしていくことが大事なことだと思うのです。

 現実的には、まず自分たちが幸せになりたいと思うのは当然のことでありますが、それにより自分たちの殻に閉じこもってしまうケースが見られます。
何事も助け合いながら協力し合ってやってみること、このことが新たなチャンスを見出せるのだと思うのです。

 ぜひ頑張ってほしいと思います。

 

誇りと品格を持つ

2010年04月08日 21時06分26秒 | ちょっといい話
 心が萎えそうに成るとき、サントリーが毎年贈る新成人向け新聞広告が中古になった私にも勇気をくれるのでご紹介しょう。


新社会人おめでとう。
この言葉を私は十年、フレッシュマンたちに贈ってきた。
だが今年は少し趣をかえる。
何十年に一度の不況のときに君は出発する。
これを不運と思うか?
違う。チャンスだ。
今この時こそが“千載一隅”だ。(辞書を引きなさい)
今、日本も世界もさまざまなものが変わろうとしている。
政治のあり方も、経済のとらえ方も企業の理念さえ揺らいでいる。
あらゆるものが見直されている。
自分たちだけが富や幸福を得ればいいという考えでは世界は閉塞するのがわかった。
エリートや、特権を持つ人々のやり方は通用しなくなった。
では何もかもが変わるのか?違う。
世の中がそう易々と変わるものか。

          

千載一隅。
汗をかこう。
誇りと品格を持て。
道に迷ったら元の場所に帰るのだ。初心にかえろう。
基本にたちかえろう。皆がしてきたことをやるのだ。
“汗をかこう”懸命に働くのだ。
これを君たち若者がダサイと思うなら、君たちは間違っている。
真の仕事というものは懸命に働くことで、自分以外の誰かが豊になることだ。
汗した手は幸福を運んでいるのだ。
だから仕事は尊いものなのだ。仕事は君が生きている証しだ。
ならば働く上で、生きる上で大切なものは何か。姿勢である。
どんな?
それは揺るぎない。
“誇りと品格を持つ”ことだ。
これを実行しようとすれば、それは夕刻には疲れも出るだろう。
そんな夕暮れは、喉に爽風とおるがごときハイボールの一杯で元気をとりもどそう。
君に乾杯。

伊集院 静

持続可能な地域社会システムの構築に向けて

2010年04月03日 22時18分24秒 | ちょっといい話
 今夜、NPOの報告会に招かれた。
いくまでは、ありきたりの報告会だろうと思いながら、期待もせずに出かけた。
それ以上に部外者である私を招く必要などあるのだろうかと思いながら出かけた。

 ひと言。驚いた。
 ここまで成長しているとは思わなかった。
そして、何よりも驚いたのがきているお客さんである。大学の先生は勿論、企業や同社の団体、機関の関係者など、バラエティに富んでいた。

 いつの間に、この団体はこのようにオープンな団体になったのだろう。

 地域社会の中にあり、地域社会の中で志を持って進もうとすると自己の利益だけではぜったいに広がらない。
いつのまにか、そのことを心得ていて、一人でも多くの人や団体、企業を取り込もうとする術をいつの間にか会得していた。

 さまざまな報告を聞きながら、今後の成長が楽しみに思えた。
 がんばってください、NPOのみなさん。

ソーシャル・アクション・スクールin松山(第2回)

2010年03月04日 23時36分04秒 | ちょっといい話
 今夜、第2回の「ソーシャル・アクション・スクールin松山」が開催された。
 講師は、元経済産業省の鈴木英敬さん。

 今は同省を退職し、政治家の道を歩んでいる。
 昨年の衆議院議員総選挙で三重二区で立候補するも、惜敗。
 久しぶりの再会だったので元気か、心配していたが、要らぬことであった。

 少し太った以外は相変わらずの英敬ちゃんであった。
 ただ、中身は大きくちがっていた。
 またまた進化していたのである。
 
 人のことを相変わらず「変態」呼ばわりする。
 全国の285万人いる地方公務員の中でも三本の指に入る変態だという。
 喜んでいいのか、悲しいんでいいのか。
 でも、英敬ちゃんに言われると、かえってうれしくなる。

 彼が一番変わったのは、弱音を言うようになった。
 その分強くなったのだろう。
 辛い思いや苦しい思いをたくさんしてきたに違いない。
 でも、元気である。
 もともとの楽天的な部分がそうさせるのか。

 今夜の酒は、うまかった。
 彼が話してくれた話の中で、気に止まった言葉を紹介しよう。(無断でゴメン)

 「こころのコップが上を向いているか、下を向いているか。
  世の中は、下を向いている人が殆どである。
  この人たちをどうしたら上を向かせられるか、日々苦労している。」

 「一人ひとりが、『がんばろう』と思わなければならない。
  そういう社会をつくりたいと思った。」

 「節のない木は折れやすいが、節のある木は折れない。」

 「夢のない人は、夢のある人の傍にいけ。」

 「人に負けてもいい。しかし、やるべきことをやらない自分の弱さには負けたくない。
  強い自分をつくっていきたい。(ソフトボールでオリンピック金メダルをとった上野さんの言葉)」

 またまた、英敬ちゃんに元気をもらった。

 捲土重来を期していただきたい。心から祈っています。