綾部山古墳群は揖保川河口の西側、瀬戸内海を眺望できる海岸沿いに西走する、綾部山の尾根上に展開する。
本古墳群のうち、綾部山39号墳は、平成15年2度に亘る、綾部山麓線の改良道路工事に伴い発見されたが、綾部山地で39番目の古墳遺跡。



写真は上から、たつの市御津町綾部山古墳群の墳頂部梅林、本古墳の墳頂部から望む瀬戸内海及び本墳頂部から望む姫路市街遠景。
播磨灘に面した丘陵地一体に広がる綾部山梅林は西日本随一の梅の里で、2月中旬から3月後半の観梅期は、紅白の花で埋め尽くされ「ひとめ2万本」と言われる見事な盛りを迎える。
また、綾部山には3~6世紀の古墳30基ほどが散在しており、さまざまな句碑や歌碑にも接する事ができると云う。



写真は、綾部山39号墳現場。
綾部山先端部の小高い尾根上・標高27mほどに立地している。南側に瀬戸内海、北東方向には、写真の通り、菜の花畑が眺望できる風光明媚な場所。
墳形は円形を意識した多角形で墳丘の裾部に列石を巡らし、南北約15m以上・東西10m・高さ約1.7mを測る。
中心部の埋葬施設は箱形木棺を竪穴式石槨で覆い、その周囲は河原石を積んで囲む特徴な形態を示す。
竪穴式石槨は割石小口積みで壁体をほぼ垂直に積むもので、木蓋と推定される。
ということで、綾部山39号墓では平成15年9月、二重構造の埋葬施設と画文帯神獣鏡が出土し、墳形も前方後円形の可能性が強いとされる。
石槨部の石囲い施設は、讃岐や阿波地域で発達したもので、古墳出現期の徳島県西山谷2号墳の墓壙の「積み石」などにその影響が認められると云う。
次回に続く・・・・・
本古墳群のうち、綾部山39号墳は、平成15年2度に亘る、綾部山麓線の改良道路工事に伴い発見されたが、綾部山地で39番目の古墳遺跡。



写真は上から、たつの市御津町綾部山古墳群の墳頂部梅林、本古墳の墳頂部から望む瀬戸内海及び本墳頂部から望む姫路市街遠景。
播磨灘に面した丘陵地一体に広がる綾部山梅林は西日本随一の梅の里で、2月中旬から3月後半の観梅期は、紅白の花で埋め尽くされ「ひとめ2万本」と言われる見事な盛りを迎える。

また、綾部山には3~6世紀の古墳30基ほどが散在しており、さまざまな句碑や歌碑にも接する事ができると云う。



写真は、綾部山39号墳現場。
綾部山先端部の小高い尾根上・標高27mほどに立地している。南側に瀬戸内海、北東方向には、写真の通り、菜の花畑が眺望できる風光明媚な場所。

墳形は円形を意識した多角形で墳丘の裾部に列石を巡らし、南北約15m以上・東西10m・高さ約1.7mを測る。
中心部の埋葬施設は箱形木棺を竪穴式石槨で覆い、その周囲は河原石を積んで囲む特徴な形態を示す。
竪穴式石槨は割石小口積みで壁体をほぼ垂直に積むもので、木蓋と推定される。
ということで、綾部山39号墓では平成15年9月、二重構造の埋葬施設と画文帯神獣鏡が出土し、墳形も前方後円形の可能性が強いとされる。

石槨部の石囲い施設は、讃岐や阿波地域で発達したもので、古墳出現期の徳島県西山谷2号墳の墓壙の「積み石」などにその影響が認められると云う。
次回に続く・・・・・
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