近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

河内湖の縮小と古墳時代の進展状況とは!

2011年06月01日 | 歴史
河内平野は、約7000年前には河内湾という大きな内海であったが、次第に淀川・大和川水系の川による流送土砂により埋まり、河内潟・河内湖を経て現在の河内平野に至っている。





写真は、弥生時代の大阪湾岸線と近郊地図及び古墳時代の河内平野。

古墳時代の頃までには、汽水域である河内湖が淀川・大和川系による土砂で埋められつつあり、河内平野の原形が出来つつある。

河内平野は、北から時計回りに千里丘陵・枚方丘陵・生駒山地・羽曳野丘陵と上町台地に囲まれた平坦地を指す。

平野の北東隅からは淀川が、南東隅からは大和川が流れ込み、それらは大阪城の北側で合流し、やがて大阪湾へと流れ出る。

かつて河内平野には海が広がっていたが、淀川や大和川が運んできた土砂により埋め立てられ、河内湾・河内湖を経て更に陸地化が進み、今では全域が陸地になっている。

河内は、北河内・中河内・南河内の3つの地域に分類される。

行政的には北河内は大東市・四條畷市・交野市・門真市・寝屋川市・守口市・    枚方市・大阪市鶴見区(既に合併されている)

中河内は東大阪市・八尾市・柏原市

南河内は藤井寺市・松原市・羽曳野市・富田林市・大阪狭山市・河内長野市・太子町・河南町・堺市美原区(堺市と合併して和泉の一部)・千早赤阪村

河内の面積辺りの古墳数は全国一とされる。

河内の古墳群のうち、代表的な古墳群は以下の通り、

☆古市古墳群
日本有数の大型古墳が密集する古市古墳群は、大阪府の東南部に位置する、羽曳野市・藤井寺市を中心に広がる古墳群で、4世紀末から6世紀前半頃までのおよそ150年の間に築造された。

東西約2.5キロ、南北4キロの範囲内に、墳丘長日本第2位の誉田御廟山古墳(伝応神陵)など墳丘長200m以上の大型前方後円墳6基を含む、123基(現存87基)の古墳で構成されている。

6基の大型前方後円墳とは、誉田御廟山古墳は墳長420m、仲津山古墳・伝仲姫皇后陵286m、岡ミサンザイ古墳・伝仲哀天皇陵242m、市野山古墳・伝允恭天皇陵227m、墓山古墳224m及び津堂城山古墳208m。

いずれも標高24m以上の台地や丘陵上にあり、古墳造営には渡来系の土師氏などが関与していたと考えられている。

2001年1月に国の史跡に指定された。

叉2008年9月、仁徳天皇陵を含む百舌鳥古墳群とともに世界遺産の国内暫定リストに追加された。歴史学や考古学の一部学会には、世界遺産登録やその登録条件となる文化財指定が、宮内庁管理下の天皇陵古墳の公開や発掘調査に道を開くものとして歓迎する声がある。

☆八尾市内の古墳群
八尾市東部の生駒山地西麓に位置する遺跡群には、高安古墳群・高安城跡・花岡山遺跡などがある。

高安古墳群は、生駒山地西麓に分布する古墳時代中期末~終末期にかけての群集墳。

南から、神宮寺・恩智・垣内・黒谷・郡川・服部川・山畑・大窪・神立・楽音寺など広範囲に存在している。

この古墳群は、生駒山地西麓(標高50~450mの斜面)に分布しており、中心は郡川や服部川で特に群集しており、千塚と呼ばれる地名が残る。

古墳数は現在180基前後しかわかっていないが、数百基以上が存在していたと言われている。

更に、北には楽音寺・大竹古墳群、東大阪市域の山畑古墳群、南には岩戸古墳群、柏原市域の高井田古墳群・平尾山古墳群が連なっている。






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