近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

たつの市御津町の綾部山39号墳とは!そのⅡ

2009年04月12日 | 歴史
綾部山39号墳について、更に続けます。
先ずは、本古墳の積石造りを外観してみましょう。





写真は、綾部山39号墳の竪穴式石槨。



写真は、綾部山39号墳の突出部周辺。

多角形の墳丘の一隅に設けられた突出部は、古式の四隅突出型墳丘墓の突出部を思わせる、長さ約1.6m・幅約1mの狭小なもの。

多角形の墳丘は、岡山県津山地方の墳墓のように“一隅突出の五角形”を思わせる。

また、突出部と墳丘の境の両側には配石を伴う箱形木棺が2基伴い、徳島県の萩原1号墓に似た配置となっている点も興味深いところ。



上の写真のような副葬品、画文帯三神三獣鏡1面のほか、砥石1個体・碧玉製管玉・鉄製ヤリガンナ1本・少量の讃岐系土器片などが出土。

以上の内容から、築造時期は弥生時代終末~古墳時代初頭と推定され、被葬者と阿波・讃岐地域との密接な関係が窺われる。

ということで、“石囲い竪穴式石郭構造”が、“ホケノ山古墳”の構造・「石囲い・木槨・木棺」に似ており、石槨と木槨とが違うだけの構造。

副葬品の画文帯神獣鏡・管玉・砥石・ヤリガンナなども、ヤマト・箸墓古墳傍の、ホケノ山古墳(3世紀中頃:卑弥呼の没年の頃)に似ていると云われている。

ホケノ山古墳と共通する墳形や埋葬施設・副葬品は、同じ信仰や価値観念を共有し、結びついていた証拠で、その中心が邪馬台国であり、畿内地方とも密接な関係を持っていた人物で、後の大和王権につながっていると云える。








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