近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

縄文人の謎・ロマン 北海道縄文人のルーツは!

2007年07月31日 | 歴史
本日は、北海道縄文人のカルチャーについて紹介する。
紀元前20,000年頃の晩氷期は海水面が現在より85mほど低く、宗谷海峡が陸橋当時、サハリン経由で北部旧石器人が南下し、道内に住み始めたと考えられる。

その後紀元前10,000年頃までには宗谷海峡・津軽海峡ができて北海道は陸の孤島になると共に、それ以降独自の文化・生活習慣を築き上げて行ったと考えられる。

縄文時代の出土遺物に見られる、“個性豊かな独創性・本土とは異質の表現方法”は、激しい自然環境が育んだと考えられる。

日本海を流れる対馬海流の変動・海水面の変化・気温の温暖化に伴い、特に紀元前約4,000年の縄文前期以降、貝塚が大型化し分布が拡がって行った。

津軽海峡沿岸・北海道南西の日本海沿岸・噴火湾を含む太平洋沿岸などの段丘・砂丘上に貝塚集落が増加・敷衍すると共に道内はもとより、東北北部との物的・人的交流が活発化したことは、当時の出土遺物が物語っている。

所謂“円筒式土器文化圏”として知られている。
しかし東北北部との交易を通じて、物づくり文化や生活習慣に多少の影響を受けたものの、北海道縄文人の独自性高い固有文化を維持発展させた。

北海道には貝塚が約200ヶ所あると云われているが、縄文海進最盛期(紀元前約4,000)・縄文後期の温暖期(紀元前約2,000~1,500年)に貝塚が多く形成され、貝塚のお陰で当時の北海道固有の異質な文化遺産に巡り合うことができ、その豊かな独創性には唯々驚嘆させられる。

以下北海道縄文人の生活文化遺産・カルチャーの一端を紹介する。
先ずは祭祀・儀式などに使われたと見られる、呪術品・セレモニー用具などを紹介する。
いずれの作品も“精緻・繊細・独創”などの美的表現が当てはまる。



上の写真は、千歳市美々4遺跡の動物形土製品、海獣の姿を変える不思議な力は?



写真は、千歳市ママチ遺跡の土製仮面、顔に装着したか? お墓の柱に取り付けられたのか?



写真は、千歳市ウサクマイ遺跡群の男性土偶、全国的にも極めて珍しい発見。



写真は、南茅部町著保内野遺跡の中空土偶、高さ41cm・幅20cmと日本最大。



写真は、南茅部町八木A遺跡の異形香炉型土器。



写真は、千歳市内縄文遺跡出土の朱塗り櫛。



写真は、千歳市内縄文遺跡出土のヒスイ製首飾り。

次に北海道内縄文遺跡固有の実用石器類の一端を紹介する。



写真は、北海道伊達市北黄金貝塚出土のナイフ型石器。



写真は、北海道伊達市北黄金貝塚出土の北海道式石冠。

上から伊達市北黄金貝塚のツマミ付ナイフ形石器と北海道式石冠。
いずれも使い易さを探求した結果辿り着いた、極めて実利的な“生活の知恵”溢れる作品と云える。



写真は、北海道八雲町栄浜遺跡出土の魚型石器。



写真は、北海道余市町大谷地貝塚出土の魚形石錘。

いずれの魚形石器も、網差し漁労の石錘として使われたと見られる。
“大陸的おおらかさ・遊び心”が感じ取れる。

以上のように北海道ならではの縄文時代の作品からは、親しみと愛着を禁じえない。


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