近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

東大阪市と八尾市の池島・福万寺遺跡出土のコウノトリ足跡!そのⅡ

2011年06月11日 | 歴史
コウノトリの足跡を探し求めて、当遺跡巡りを続けます。

池島・福万寺遺跡の調査面積が広範囲に亘るため、水田に水を引き込む為の灌漑施設、水田継続に伴う祭祀、生産域と居住域の構成など、沖積地における水田発展史を物語る遺跡として、日本国内はもちろん、外国からも注目されている。





写真は、今回池島・福万寺遺跡から出土した、コウノトリ足跡及びコウノトリ親子のアップ写真。

コウノトリは、全長約110~115cm、翼開長160~200cm、体重4~6kgにもなる非常に大型の水鳥。羽色は白と金属光沢のある黒、クチバシは黒味がかった濃い褐色で、脚は赤く、目の周囲も赤い。

平成23年5月の調査では、弥生時代前期の池島・福万寺遺跡水田跡で見つかった鳥の足跡がコウノトリと判明したと、奈良文化財研究所が発表した。

足跡は約400㎡の水田跡に約千個残され、人の足跡も混じっていた。

平成20年11月から恩智川治水緑地の整備に伴う発掘調査で、南から北へ流れる川跡(幅19~24m、深さ約2m)約70m分を確認した。

川跡の東側には人工の土手(幅約2m、残存の高さ0.5~0.6m)、その東側に、畦で区切られた水田跡4枚(1枚約200㎡)が広がっていた。川跡には杭40~50本を打ち込んだ堰の痕跡があり、そこから取水して、水田に供給していたとみられる。

水田跡からは、川から水を引くための堰や水口と共に、地面の傾斜にしたがって小規模の水田が多数造られ、一番低い水田から水路へ水を戻す工夫の跡が良く残っており、水と仲良く共存していた智恵が窺える。

今回の発掘調査で明らかになったのは、河川の氾濫で泥をかぶった水田に足跡が付き、直後に流れ込んだ砂でパックされたらしい。

弥生時代前期の水田稲作が始まった頃から人と共生したことを示す発見で、同時代の祭器・銅鐸に描かれた鳥もコウノトリの可能性が高まった。専門家は「農耕祭祀の中で人々の信仰を集めた鳥だったのでは」とみている。

これまでは群馬県内で出土した6世紀の足跡が国内最古だったが、今回はさらに約900年さかのぼる。

洪水で埋まった水田跡で鳥の足跡数十個と、人の足跡約100個を確認した。

その後、鳥の足跡1個を石こう型に取り、同研究所に鑑定を依頼。

しばらく特定できなかったが、豊岡市の兵庫県立コウノトリ郷公園や千葉県我孫子市の山階鳥類研究所も分析に加わり、足跡の大きさが約15cmと大型であり、サギに比べて指が太い点、更に指の間が広い等々の特徴からコウノトリのものと判定したと云う。

同遺跡の他の鳥の足跡も写真鑑定の結果、コウノトリの特徴と共通していた。

しかしサギとの説もあり、今後も真偽を争うことになりそう。



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