近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

縄文人の謎・ロマン 南九州縄文人のルーツは!

2007年07月30日 | 歴史
これからは、縄文時代のユニークな遺跡を紹介する。
先ずは、鹿児島県国分市の“上野原遺跡”を取上げる。







写真は上から、鹿児島県国分市の上野原遺跡復元現場、同遺跡出土の連穴土壙及び復元された、連穴土坑。

大小2つの穴をトンネルでつなぎ、大きな穴の方で火を焚いて、小さな穴の上にイノシシ・シカ等の肉を吊るし、煙で燻して薫製を作る施設と考えられている。

縄文草創期の“栫の原遺跡”からも発掘され、南九州独特の定住食文化の象徴。
年間を通じて四季の気象変化を乗り切るためには、保存食の維持・確保が不可欠。

氷河期には、日本列島はアジア大陸と陸続きであったことを考えると、アジア大陸の人々が陸伝いに動物を追って南九州に移り定住したと考えられている。
アジア大陸文化が食生活にも影響を及ぼし、南九州独特の、文化度の高い生活様式が全国に先駆けて定着したのではないか?



写真は、上野原遺跡から出土した集石遺構。
集めた石を火で焼き、その中に魚・肉類を入れて蒸し焼きにした、いわば調理場であり、連穴土坑と共に定住食生活を支えたと考えられる。



写真は、上野原遺跡の磨製石器・打製石器・石皿等。
これらの石器類は、ドングリやクリを調理する道具として南九州地方でいち早く導入され、生活用具として普及していたと考えられる。
木の実をすりつぶす為の石皿・磨石、木を切るためのノミ形石斧等の石器類から生活文化の高さが窺がえる。



写真は、上野原遺跡から完全な形で出土した壷。

鹿児島の上野原には、約9,500年前には定住したムラがつくられ、縄文時代の早い段階から多彩な文化が開花し,個性豊かな縄文土器文化が築かれた。
土器の口縁部を貝殻文で装飾した上、縦方向にも貝殻で文様を付した手法は、南九州固有のモノと言われる。

 ”前平式土器”と呼ばれる、円筒・角筒の2種類が、鹿児島県から宮崎県にかけて出土。ドングリ等のあく抜きには欠かせない土器であり、土器の発明が縄文時代の幕開けと言われるが、土器の起源は南九州地方の貝殻文であったと言える。

以上の点から要約すると、南九州縄文文化は定住生活を支える高度な食生活文化を持ち、そのルーツは、ローカル人培養の独自文化ではなく、アジア大陸にあったと考えられる?



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