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近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

縄文人の謎・ロマン 呪術的遺物の“石刀・石剣・石冠”とは!

2007年10月20日 | 歴史
縄文後・晩期になると、“石刀・石剣・石冠”などのように、元の形が分からなくなるほど抽象的な造形へ変化した。







写真は上から、北海道余市町内から出土した石刀、青森県八戸市内の縄文遺跡から出土した石刀・石剣及び山梨県大泉村の“金生遺跡”から出土した石剣・石刀など。

縄文晩期の東北地方を中心に、石棒に見られた男性器の写実的表現を離れ、石刀・石剣などのより抽象的な形態に発展していった。

当初の“子孫繁栄”と云う、石棒祭祀目的が変化し、一人前の大人になっていく過程での、“通過儀礼”として、石刀・石剣による“成人式”のような、セレモニー的機能に変化したのかもしれない。

祈り・願い・呪い・占いなどに心を委ねる機会が多くなるほど、揺るぎない縄文的信仰内容を進化させたと云える。

中部・北陸地方では、石棒が“石冠”に発展し、ひとつの石に男性器のような突起と女性器のような溝の両方が、彫り込まれた。





写真は上から、岐阜県宮川村の“家ノ下遺跡”から出土した石冠及び岐阜県長良川沿いの縄文遺跡から出土した石冠。

これらの石冠は、埋葬された人骨の頭部近くから出土したことから命名された経緯があるが、石冠の原形は、男性器を表した石棒頭部の造形物で、底に凹みがあるものが多いことから、男女両性を具有した呪術具と云える。
縄文時代の呪術具の中には男女の性器を抽象化した造形物が実に多い。

しかし石棒・石刀・石剣・石冠などの呪術具は、縄文時代の終焉と共に姿を消し、弥生時代の農耕社会に引継がれることはなかった。
ここに縄文文化と弥生文化との間に大きな断絶が見られ、世界観の交替劇があったと云える。


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