<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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テレビに出てくる人はもしかすると全部で100人もいないんじゃないかと思うことが少なくない。
例えばコマーシャル。
出てくる人といえばほおとんど同じタレント。
人気があるから出演しているのかもしれないが、悪く言えば扶安なタレントの使い回し。
出ている顔はというと橋本環奈、本田翼、深田恭子、芦田愛菜、IKKO、指原莉乃、吉岡里帆
製品は違うが、出演者がいつも同じなのだ。

バラエティショーの司会を見ると、決まった顔ぶれがさらに多くなる。
有吉弘行、マツコ・デラックス、加藤浩次、恵俊彰。
朝も昼も夜も同じ顔。
何か特別な理由でもあるのかと勘ぐりたくなるが、それだけ製作する側に創造性や冒険心がないからだろう。
「この人を使えば無難なんだ」
なんといってもサラリーマン。
危ない橋を渡って消されたらたまったもんじゃない、という感覚があるのは間違いない。
しかも朝のワイドショーなんかの場合、発言はあっちへころころ、こっちへころころ。
無責任のオンパレード。
「そんな発言しても差別じゃなきゃ問題ない。だって漫才師なんだもん。」
という感覚が伝わってきてたまらない。
もうテレビはやめてネットをみることになる。

ということでテレビは見れば見るほどもう要らないんじゃないかと思えてならない20世紀の遺物で、出演者の固定や発言の無責任さとバカさ加減は21世紀に入って21年放置している20世紀の腐敗臭気の一種かもしれない。


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