<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



今日のニュースで関西空港を発着する国際旅客便の全便が欠航になったしまったと伝えられていた。
新型コロナウィルスの影響は航空業界では深刻で某エアライン系列の会社でバイトをしているカミさんは現在自宅待機中。
出社してもやることがないので、多少とも給与を頂戴しながらの待機中なのだ。
仕事の無いところへ出社しても迷惑なのだろう。
それとは対象的に自宅で私と娘にネチネチと小言を言いながら家事をするのはいささか迷惑ではある。

そんな状況の中の国際線全便欠航のニュースはいささかショックなのであった。
関西空港は私の家から電車または車で20分の至近距離にある地元自慢の空港なのだが、その空港が再び飛行機ではなく閑古鳥の飛ぶ飛行場になってしまったショックは小さくない。

本日のフライト情報を見ると確かに全便欠航。
国内線は東京行きは7割ほどの運行で、その他の宮崎や長崎などという多少とも中途半端なところへの便は欠航になっていて仙台や沖縄便は多少運行されえているようだ。

悔しいので羽田はどうかと見てみると、さすが日本の玄関口である。
全便欠航は免れていて1日に3便だけが運行されているようだ。
飛んでいるのはいずれもJALでサンフランシスコ、シアトル、ロサンゼルスへ向かう便で、その他は無い。
国内線は流石に東京なのであちらこちらがあるものの、それでも小さな都市への運行はほとんど欠航になっていた。

この先一体どうなるのだろう。
と関空の貨物便を見てみると、びっくり。
1日発着数は発着合わせて80便近くになっている。
貨物は関空。
日本で唯一、完全24時間運営空港の本領発揮がこんなカタチで出てくるのはいささか皮肉ではある。
その約半分がフェデックス。
フェデックスに見初められて同社の東アジア拠点空港に選ばれた効果も個々に出ているようだ。
国債貨物便は増えこそすれ減ることはないのかもしれない。

ということだが、早く元の関空に戻っていただきカミさんの小言を聞かなくていい毎日を取り戻したい今日このごろではある。


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我が家では時々「生八ツ橋」がおやつの時間に登場する。
京都の定番お土産品である生八ツ橋。
最近はニッキ以外の味、たとえばチョコレートやイチゴなどもあるがそれらはゲテモノ。
私はニッキオンリー。
百歩譲って抹茶を許すかどうかというところだ。
で、大阪や京都では普通にスーパーマーケットで売られていて手軽に楽しめる和菓子の一つなのだが、どういうわけか個装になったものがなかった。
食べたいと思って買ってきてパッケージを開けたらすぐに食べきらなくてはならなかった。
なんせ生ものなので消費期限が限られている。

先日、東京へ出張しなければならないが「どうするどうする」という状況で新幹線に乗るべきか中止すべきかどうか迷いながら新大阪駅をウロウロしていると「おたべ」の広告を見つけた。

「おたべ再生 おたべは生まれ変わりました」

と改札外のコンコースの天井に大きな看板が吊られていた。

何が生まれ変わったのかというと、おたべは個装になったというのだ。
プラスチック包装資材を削減しなければならないこの時代に大胆な、と思ったが生八ツ橋の個装は確かに革命的な発想かもしれない。
これでパッケージを開けた瞬間から急いで食べる必要がなくなるわけで、保存もしやすくなるというものだ。

おすそ分けもやりやすくなる。

ということで、出張は迷っている間に客先の責任者と連絡が取れて、
「打ち合わせ、やめときましょう。午後からWEB会議形式で」
ということになったので即事務所である我が家にもどることになったのであった。

で帰宅してみるとカミさんが、
「おたべもろてん」
と、個装になったおたべが一箱。

お茶を入れてWEB会議に備える一時なのであった。



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カミュの「ペスト」がベストセラーになっているという。
今回の新型コロナウィルスの拡散が進行する中、このような小説に注目が集まるのは当然の成り行きだろう。

パンデミックを扱った映画も少なくない。
例えばダスティン・ホフマンが主演した「パンデミック」、草刈正雄やオリビア・ハッセーが主演してた「復活の日」、ロバート・ワイズが監督したSF「アンドロメダ」がすぐに思い浮かぶところだ。
小松左京原作の「復活の日」は見たことがないのだが「パンデミック」は小品ながらもなかなかおもしろい映画だった。
冒頭、伝染病が蔓延して救いがたい状態になっているキャンプに対して燃料気化爆弾が爆撃機によって投下されるシーンはかなり衝撃的だった。
今回に例えれば武漢市を中国軍自ら爆撃すようなものだ。
「アンドロメダ」は特殊撮影を「2001年宇宙の旅」「未知との遭遇」のダグラス・トランブルが担当していたので観たくて仕方がなかった映画だった。
ところが実際に見る機会ができて映画館に行ってみると途中で寝てしまうという体たらく。
映画としては悪くなかったと思うのだがきっと静かなSF映画だったので寝てしまったのだ。
なお同様に途中で寝てしまったSF映画に「惑星ソラリス」がある。

テレビではパンデミックを単体で扱ったドラマの記憶は少ないが、シリーズの中で頻繁に題材にしてドラマ化していたものに「スター・トレック」がある。
スタートレックは私の大好きなSFTVシリーズなのだ。

初期のスタートレックは今の映画版スタートレックと大きく異なりアクションは重要視されず各エピソードには社会的テーマが存在した。
この社会的テーマが子供向けと思われていた当時のテレビSFシリーズの印象を大きく突き崩すことになった。
そして結果的に今日でも続く人気シリーズの下地になっている。

放送が開始された1960年代後半、アメリカはベトナム戦争真っ只中だった。
外国の戦争をイデオロギーのために戦うことの無意味さが若者を中心に叫ばれていたころで深刻化する東西冷戦、人種差別問題や核爆弾や化学兵器など科学の進歩で生み出される負の要素などがあちらこちらにエッセンスとして散りばめられたのだ。
SFにすることで政府が主導する戦争や社会システムの盲点などを鋭く突くことが若い視聴者を中心に観る者の心を掴んだのだった。

パンデミックや細菌戦争は重要なテーマで、それらを扱ったエピソードは少なくない。

「400才の少女」というエピソードでは細菌戦争のために大人が全滅してしまった惑星が舞台になっている。
大人になると死んでしまう伝染病と思春期を迎えた少女の心を上手くからませた優秀なエピソードなのであった。

細菌戦争といえば「細菌戦争の果て」というエピソードも強く印象に残っている。
人類が避け得た細菌戦争を実行してしまたある惑星がある。
ここではコム族とヤン族という2つの種族お互いのイデオロギーで争っていた、というストーリーだ。
まさに東西冷戦の虚しさを取り扱った作品だった。
このエピソードのハイライトは勝利を得たヤン族が「神の言葉」と捉えていた有名な文章なのであったが、その意味の履き違えは細菌戦争によって文明が破壊され、真の意味を失ってしまうという恐ろしさを伝えていたのではないかと思えるのだ。

新型コロナウィルスのパンデミックは中国の隠蔽とそれを養護する世界保健機構により発生したと言っても過言ではない。
その後の両者は責任はそれぞれにまったくなく、中国に至っては米国の陰謀説を唱えだしたぐらいだ。
ある意味、新型コロナウィルスは一種の細菌戦争といえなくもない。

現に中国マネーはコロナで疲弊した欧州の企業の買収を始めている。

細菌戦争ならぬパンデミックの果てにあるものは?




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新聞を読んでいたら非常事態宣言をしているのに外出して街に遊びに来たという52歳男性の言葉が載っていた。

「せっかくの休みなのに家に居るのは嫌なので出てきました。これからあちこち回るつもりです」

緊急事態宣言の意味がよくわかっていないのか、単なる反抗期を迎えた悲しい中年男なのか。
インタビューは東京でとられたものだったが大阪にも、福岡にも同様の輩は居るもんだろうと思うと、現行法制下の日本では緊急事態に対応できないのが在々でいかにももどかしい。

反抗期を迎えたおっさんのインタビューを読んでつくずくそう思ったのであった。


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全編ワンカット撮影で話題を呼んだサム・メンデス監督の「1917 命をかけた伝令」は第一次世界大戦を題材にした妙にリアルでスリリングな戦場モノであった。

戦争映画の長回しといえば「史上最大の作戦」の1シーンを思い出す。
連合軍がドイツの占領した街の橋を渡り攻めていくシーンで1分以上も上空から俯瞰した戦闘シーンが続くのだ。
このシーンを映画解説者の荻昌弘だったか淀川長治のどちらだったか失念してしまったのだが「神様の視線を表現したシーン」と解説していた。
確かに、人が銃を持って頭を低くしながら敵弾を避け、前へ進んでいく姿を空撮で追うという視点は戦闘シーンの迫力を表現するとともにそれは雲の上から人間の悪行を見つめる神様の目であったに違いない。

それでは今回の「1917」の長回しはどういう意味があるのだろうか。
編集とカメラワーク。
そして最新のデジタル技術でつなぎ合わされた伝令兵の動きは神の目線ではない。
昔、横山光輝の漫画で「時の行者」という作品があった。
主人公はタイムトラベラーである種の時空カプセルの中から歴史が展開される様を観察するといような話があった。
主人公からはその歴史が見えるのだが、歴史の側からは主人公の姿は見えない。
でも、直ぐ側で彼はそれを見て体験することができる、というような内容だった。

今回の長回しはまさに観客が兵士と一緒に伝令の任務を受けて目的の場所まで歩いていくという感覚だった。
観客から兵士は見えるが兵士からは観客は見えない。
観客は安全を保証されているが兵士は命の危険に晒されながら歩んでいく。
それだけにスリリングで、生々しい。

「1917 命をかけた伝令」は戦場を体験する映画だったのだ。



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テレワークということでテレビ会議の機会が増えた人も多いことだろう。
自宅でPCの画面に向かって色んな人と会話を交わしている光景が想像されて一昔前のSF映画みたいだ。
実は私は3年前に脱サラしてから最初に取引をしてくださったお客さんが東京に担当部門があったこともありFACE TIMEを使ってやり取りをしていた。
お客さんもそういうことに手慣れたオフィスメーカーだったこともある。

PCの画面越しに、
「お世話になります」
「じゃ、始めましょうか」
「そうしましょう」
「さっきメールで資料を送ったんですけど、見られます?」
「大丈夫です」
てな具合に。

直接ミーティングを実施するため大阪〜東京を往復するとどうしても交通費で3万円近くもかかってしまうのでFACE TIMEの安直さに結構助けられることになった。

仕事場は娘とシェアをした。
居間で仕事をしたりすると家の中を暴露することにもなったしまいあまりよろしくない。
幸いに受験が終わったばかりの娘は父親が脱サラをして自宅で仕事をすることを悪しとせずシェアを許してくれたのだった。
私は壁を背にしてデスクを設置してその上にiMacを設置。
その背にした壁が白いクロスが貼られていてテレビ会議の背景としては申し分なしなのであった。
仕事時間である日中は娘も大学へ行っていて私一人仕事に集中することができた。

問題は服装なのであった。

自宅とはいえまさかTシャツ姿で会議に出るわけにいかず、かといってネクタイ締めてスーツを着るのもなんだかバカバカしい。
そこで選んだのはカジュアルで気の利い白いコットンのシャツだった。
これはカミさんの評判も良かった。
普段着にしてもいいし、工業デザイン系のお仕事をする人としても、ま、まずくはないファッションだった。
ということで私はその服装で毎回打ち合わせに臨んで円滑に職務をこなしていたのだった。

ただし上半身しか写らないということもあり下はいい加減だった。

上半身はバチッと決めていたものの夏だったこともあり下半身は半ズボン、娘が留守にしていることを良いことに時にはパンツ一丁というときもあった。
が決してバレることはなかったのだ。
当たり前だ。
注意点は一つだけ。
話している途中で立ち上がらないこと。

今、在宅勤務でテレビ会議というパターンも少なくない。
世間ではどれぐらいの人が往年のコント55号のコントよろしく上だけバチッと決めて下半身をパンツ一丁で会議に臨んでいるのか。
大いに知りたいところだ。


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新型コロナウィルスが猛威を奮っている関係で移動が制限されてしまい仕事の打ち合わせがなかなか難しい状況が続いている。
コンタクトする方法はメール、電話、そしてテレビ電話。
テレビ電話など一昔前は特別な設備がなければできなかった技術だが、スマホの登場とその発達が我々にとって身近なものにしてくれた。
テレビ電話を使った会議についてもちょっと前まで専用の機器が必要なこともあったが、今ではパソコン、スマホとネット接続の環境さえあれば地球上どこからでも可能になっている。

ミーティングの段取り。
まずメールで資料を送る。
打ち合わせ時間を調整する。
資料をプリントアウトしておく。
後はミーティングの相手を呼び出してスマホまたはパソコンの画面に表示される相手の顔を観ながらの会話になる。

事務的な話はほぼこれで進行することができる。
メーカーの商談なら製品の個数や送り先の確認。
特別仕様に関する要件のやりとり。
色、材質などなど。

でもこれが微妙な課題になると一気にテレビ会議では難しくなる。
事業展開に関する管理職からの決済説明。
取引先の状況報告。
ライバル他社のお客様へのアプローチに関する見解の伝達。
などなど。

リアルなオフィスは「感情を共有する場である」という考え方がある。
同じ場所にいて雰囲気を共有しながら物事をすすめる。
これは非常に重要なエッセンスだ。
テレビ会議で伝わる「雰囲気」には限界がある。

テレビ会議に不足している重要なポイントだ。



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明日4月7日に7都府県で緊急事態宣言が発せられるという。
東京と大阪。
それぞれその近隣ということだろうか。

措置は学校の休校、人が集まる場所の休業。
そして生活必需品以外の買い物の外出「自粛」。
などなど。
仕事の継続についても「自粛」なんだそうだ。
私の付き合いのある中小企業は皆「営業します」との回答。

この法律は諸外国のものと比べても非常にゆる〜い内容で果たして効果があるのかどうか疑わしい。

だから発令してこなかったのか。
平和ニッポンの真骨頂ここにあり。

「わしら子供じゃったが、国家総動員法の方が大変じゃ。」
親父の一言に戦前世代のパワーを感じたのであった。




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イタリアのボッテガという有名ワイン醸造会社のトップが。
「新型コロナウィルスの被害は中国政府が補償すべきだ」
と主張したところ、中国で不買運動が発生。
件のトップが謝罪したそうな。
「イタリアの命を飲む資格なんぞない!」
と言えないのか。

主張を簡単に撤回する骨のある奴がいないイタリア。
自らの罪を反省しない中国。

新型コロナウィルスの収束は当面見込めそうにない。


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新型コロナウィルス対策として先月の末頃から俄にBCGに注目が集まっている。
BCGは日本人ならほとんどの人が受けたことのある予防接種。
その目的は結核の予防なのである。
結核は今も国民的な伝染病で患者数は少なくない。
その昔は不治の病で患者が出た家は近所から敬遠された。

宮崎駿の映画「風立ちぬ」の中で主人公の嫁さんが終盤結核で亡くなるので若い人もその病気の恐ろしさを知っていることだろう。

この結核予防目的で接種するBCGは実は結核以外の伝染病にも有効であることが現在わかってる。
毒性を弱めたものとはいえ野口英世の命を奪った黄熱病。
ハンセン氏病。
など。
いずれも致死性あるいは社会性に問題のある伝染病だ。
これらに有効に作用することが確認されている。
さらに肺炎を負った高齢者に投与した例では投与していない人に比べて3倍以上の治癒力が臨床の現場で確認されているという。

今回、世界的危機に陥れている新型コロナウィルスにこの歴史あるワクチンBCGが有効かもしれないという統計があり、俄に世界中で注目を浴び始めたというわけだ。

もともと日本やポルトガルなどパンデミックが発生している国と隣接国でなぜ患者数が少ないのかという疑問が医療の世界で疑問視されていた。
とりわけ日本は東京や大阪といった人口密集地で満員電車や繁華街の雑踏があるにも関わらず感染者数は人口比でいくと欧米に比べて劇的に少ない。
その謎が、どうもBCGにあるのではないかと各国の研究機関が気づき始めているという。

パンデミックが発生しているイタリア、イギリス、スペイン等ではBCGの接種をしていない。
ところが数千人の死者を出しているスペインの陸続きの隣国ポルトガルは患者数が劇的に少ない。なぜならポルトガルはBCGの接種を義務付けているから。

このデータはブラジルにも当てはまるらしく、その患者数は発生している国の100分の1から1000分の1。

オーストラリアなどの臨床試験結果が待たれている。


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