<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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カミュの「ペスト」がベストセラーになっているという。
今回の新型コロナウィルスの拡散が進行する中、このような小説に注目が集まるのは当然の成り行きだろう。

パンデミックを扱った映画も少なくない。
例えばダスティン・ホフマンが主演した「パンデミック」、草刈正雄やオリビア・ハッセーが主演してた「復活の日」、ロバート・ワイズが監督したSF「アンドロメダ」がすぐに思い浮かぶところだ。
小松左京原作の「復活の日」は見たことがないのだが「パンデミック」は小品ながらもなかなかおもしろい映画だった。
冒頭、伝染病が蔓延して救いがたい状態になっているキャンプに対して燃料気化爆弾が爆撃機によって投下されるシーンはかなり衝撃的だった。
今回に例えれば武漢市を中国軍自ら爆撃すようなものだ。
「アンドロメダ」は特殊撮影を「2001年宇宙の旅」「未知との遭遇」のダグラス・トランブルが担当していたので観たくて仕方がなかった映画だった。
ところが実際に見る機会ができて映画館に行ってみると途中で寝てしまうという体たらく。
映画としては悪くなかったと思うのだがきっと静かなSF映画だったので寝てしまったのだ。
なお同様に途中で寝てしまったSF映画に「惑星ソラリス」がある。

テレビではパンデミックを単体で扱ったドラマの記憶は少ないが、シリーズの中で頻繁に題材にしてドラマ化していたものに「スター・トレック」がある。
スタートレックは私の大好きなSFTVシリーズなのだ。

初期のスタートレックは今の映画版スタートレックと大きく異なりアクションは重要視されず各エピソードには社会的テーマが存在した。
この社会的テーマが子供向けと思われていた当時のテレビSFシリーズの印象を大きく突き崩すことになった。
そして結果的に今日でも続く人気シリーズの下地になっている。

放送が開始された1960年代後半、アメリカはベトナム戦争真っ只中だった。
外国の戦争をイデオロギーのために戦うことの無意味さが若者を中心に叫ばれていたころで深刻化する東西冷戦、人種差別問題や核爆弾や化学兵器など科学の進歩で生み出される負の要素などがあちらこちらにエッセンスとして散りばめられたのだ。
SFにすることで政府が主導する戦争や社会システムの盲点などを鋭く突くことが若い視聴者を中心に観る者の心を掴んだのだった。

パンデミックや細菌戦争は重要なテーマで、それらを扱ったエピソードは少なくない。

「400才の少女」というエピソードでは細菌戦争のために大人が全滅してしまった惑星が舞台になっている。
大人になると死んでしまう伝染病と思春期を迎えた少女の心を上手くからませた優秀なエピソードなのであった。

細菌戦争といえば「細菌戦争の果て」というエピソードも強く印象に残っている。
人類が避け得た細菌戦争を実行してしまたある惑星がある。
ここではコム族とヤン族という2つの種族お互いのイデオロギーで争っていた、というストーリーだ。
まさに東西冷戦の虚しさを取り扱った作品だった。
このエピソードのハイライトは勝利を得たヤン族が「神の言葉」と捉えていた有名な文章なのであったが、その意味の履き違えは細菌戦争によって文明が破壊され、真の意味を失ってしまうという恐ろしさを伝えていたのではないかと思えるのだ。

新型コロナウィルスのパンデミックは中国の隠蔽とそれを養護する世界保健機構により発生したと言っても過言ではない。
その後の両者は責任はそれぞれにまったくなく、中国に至っては米国の陰謀説を唱えだしたぐらいだ。
ある意味、新型コロナウィルスは一種の細菌戦争といえなくもない。

現に中国マネーはコロナで疲弊した欧州の企業の買収を始めている。

細菌戦争ならぬパンデミックの果てにあるものは?




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