<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



国会という場所はどういうところなのか。
もしかするとそこは「社会の役立たず共を集積する場所」なのも知れない。

桜を見る会への非難にせよ、大臣連中の失言とりあえげにしろ国会でそのような話題ばかりピックアップする議員のいかに多いことか。
そんなことを国民が指示するとでも思っているのか、彼らの頭の仕組みを理解することはできない。
国民が望んでいるのは国会できちんと国政について話し合ってもらいたいというその一つに集約されるのであって人の揚げ足取りやヤッカミについて多額の費用を消費しながら時間を潰されることではないのだ。

憲法、防衛、教育、社会福祉、インフラ整備、高齢化、育児などなど。
数え上げればキリが無いほど話し合わなければならない問題が存在する。
それを放置して「さくらの会が...」。

アホか!ちゅうねん。

国会が役立たずの集まりであることを国民が気づいている。
それに気づかない議員が国政を論じるのは無理なのかもしれない。


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今夕の産経ニュースによると奈良県屈指の進学校で有名な東大寺学園の教諭が就寝時間を守らなかった22人の生徒を平手打ちで制裁。
これが問題になっていて学校側は保護者会で謝罪してこの教師を処分するのだという。
関西人なら誰でも知っている兵庫の灘高と並ぶ進学校・東大寺学園。
失礼とは思いながらも言ってしまうと、実のところここはアホだった可能性が出てきた。

就寝時間を過ぎて勉強していたのならわからなくもない。
が、騒いでいた生徒を先生が平手打ちで叩いたというのは「躾」以外のなにものでもないように思う。
それに文句をつける保護者がいたのか、本人たちが文句を言ったのか。
私が古いのかどうかはわからないが、確かここは男子校。
だからこそ平手打ちはもちろんのこと竹刀でもってどつかれても文句はいえまい。
怪我をしたわけでもないのだから。
私なんぞは高校生の時は竹刀で叩かれこそしなかったが、叩かれていた連中は大勢目撃した。その連中に誰も文句をいう生徒はいなかった。
その生徒の保護者も同様なのであった。
そして叱ってくれた先生はもちろん卒業してからも生徒からは愛されていたのだ。

少なくともこの学校ではモーレツ先生は愛されないのかも知れない。
学校というのは受験勉強の技術を教えるところ。
躾をするのは学校ではないというのであれば、そんなところは要らない。

なお、台東区本郷にある某有名大学には仕事でちょくちょく行くのだが、時々わけのわからない学生をエレベータなどで目撃することがある。
もしかするとここ出身の学生なのかもわからないと思った。


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今日の昼。

たまたまFMラジオを聞きながら自動車で西宮市に向かって移動していると1970年代のアイドル歌謡の特集が始まった。

最初は天地真理、小柳ルミ子、南沙織。
天地真理と小柳ルミ子がアイドルというのは時代を感じさせるものがあったが南沙織こと篠山紀信夫人の歌声は明らかにアイドル。しかも上手い。

続いてフィンガー5、アグネス・チャン、麻丘めぐみ。
アグネス・チャンはともかくフィンガー5の歌唱力に度肝を抜かれた。
彼らが大人気だった当時、私は小学校5年生だったので自分と似たような子供が歌うその歌唱力をまともに評価する力はなかったのだが、今聴いてみるとジャクソン5をパクったとはいえ、子供なのにその歌唱力はマイケル・ジャクソンもビックリではないかと思える説得力があった。
延びがあり、美しい。
また麻丘めぐみの「わたしの彼は左利き」は売れたのが当たり前の爽やかさが輝いていたのだった。

そして男性アイドルで郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹。
残念ながら西城秀樹の歌が始まる直前に電話がかかってきて聞き逃してしまったのだが、3人とも第一線で活躍し続けてきた人たちなのでその質は新鮮さを失っていなかった。
新御三家が出てくるなら次は必然的に花の中3トリオになる。

森昌子は「中学三年生」。
桜田淳子は「初めての出来頃」。
山口百恵は「横須賀ストーリー」だった。
電話を切ってラジオのスイッチを入れると森昌子の歌が流れていた。
当然演歌ではある。
しかしその歌のクオリティは中学三年生が歌っているとは思えない迫力と安定感で、思わず聞き入ってしまったのであった。
さらに、それほど歌はうまくないと思っていた桜田淳子もなかなかだったのだが、圧巻はやはり山口百恵なのであった。
今や伝説の人である。
その神秘性を差し引いても、その魅力は今聴いてもちっとも変わらないのだ。
「横須賀ストーリー」の超大人な歌詞もその効果を発揮しているのかも知れないが、どう聴いてみても中学3年生の女の子が歌っているとは思えない。
大人の女性の魅力あふれるつややかなパンチ力だった。

で、ここでハタと思ったのはなんて今のアイドルは幼稚なんだ、ということだ。
他の記事ともダブルところがあるものの、昭和の中学3年生アイドルは大人にもちゃんと通じる実力を持っていて妙に媚びることなどなかったんだ、ということだった。
ヒラヒラ衣装をまとって集団で踊りながら歌う現代の某アイドルグループを見てカミさんなんかは、
「ん〜〜〜、保育所のお遊戯やね......」
と呟いていたが、今日の歌を聴いていて改めてなるほどと思った。

それにしてもアイドルのクオリティは半世紀近くをかけて退化してすっかりお子ちゃまになってしまったようで。
聴いていても詰まらないのは当然と言えるのかも知れない。


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年が明けるとサラリーマン生活にピリオドを打ってからまる3年が経過する。
その間、新たな就職先を探しては断念し、病気の疑いがあって入院もしたが結局この歳で今更就職もできまいと思ってその年の夏前に起業をして現在に至っている。
最初はなかなか注文が取れずに苦労をしたが、営業を回っているうちに勤務していた会社の得意先の一つが、

「辞めたんだったら、うちの会社のプロジェクト手伝ってくれますか?」

と声を掛けてくれた。
プロジェクトそのものは他社とのコンペで負けてしまったのだが、声をかけてくれた会社が誰でも知ってる大手だったことが自信を持つきっかけになった。
とはいえ十分な売上を上げるにはまだまだ修行が要った。
今も修行中の身の上だと思っている。

そんなこともあって自分のオフィスを借りるにはまだまだ。
だから自宅の一室を事務所にしてそこで仕事をしている。
自宅で仕事をすると仕事とプライベートの境目がなくなる欠点があり、何度もオフィスを借りようと思った。
しかしその都度考えると賃料を払ってまで仕事をする時代なのかどうか悩んでしまうことこれ事実なのだ。
仕事はパソコンと通信環境があればデスクワークはできてしまう。
会議もFaceTimeで完了だ。

だからソフトバンクの孫氏が損をしたというシャレにもならないWeWorkの価値急落はわからないでもない。
シビアな現実でもある。

私のような起業早々の個人事業主がデスク1つの賃料が5万円もするWeWorkを借りたいと思うのかどうか。
考えてみればわかるもの。
行政が運営しているインキュベーション施設なら5,000円ほどで借りることができる。
ブースとなるとWeWorkの価格設定なら裏路地のワンルームマンションの一室を借りることも可能な金額だ。
裏路地のマンションとWeWorkのあるような渋谷や梅田の一等地の差はあるものの、起業したばかりの者にとっては固定費の削減という至上命題があるため高い賃料の民間オフィスを借りることは死活問題でもある。

2ヶ月ほど前にWeWorkのオフィスを見学する機会があった。
格好いい玄関、シャレたイベントスペース、アルコールもあるドリンクのサービス。
ガラス張りのオフィス。
Wifi環境。
しかしデスクは巾1mほどの作業台のようなもので、それを規格サイズにして1箇所月5万円。
誰が借りているのか見てみると並み居る大企業の企画部門や新規事業部。
私のような個人事業主が借りるようなものではなかったのだ。

普段私は大阪市内や東京都内ではスターバックスかマクドナルド、公共図書館を臨時のオフィススペースとして使用させていただいている。
大阪なら大阪市立中央図書館、東京都内なら日比谷文化図書館と言ったところだ。
当然会費は要らず月利用料も要らない。
スタバやマクドはドリンクで1時間ぐらいは作業できる。
当然シェアオフィスの数よりもスタバ、マクドの方が圧倒的に多いので場所も探す必要がないくらいだ。
お客さんとの打ち合わせはお客さんのオフィスですればいいし、
「スタバで打ち合わせしませんか?」
と訊いて嫌がる人はほとんどいない。
内緒の話には適さないがそれはシェアオフィスも同じことだ。

そもそもシェアオフィスはニューヨーク市立図書館を起業したばかりの人が利用して図書館自身もビジネス支援を積極的に取り組んだところあたりが始まりではないかと思っており。
ニューヨーク市立図書館は当然無料だろうし、日本の大阪市立中央図書館も日比谷文化図書館も公立なので無料である。

有名シェアオフィスが見かけ倒しでビジネスとして難しいのは金を節約せねばならないスターターから良いことで誘惑して金をむしり取ろうとするそのスタンスにあるのかも知れない。


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いつもなら大阪〜東京の出張は飛行機を利用するのだが、その日は自腹で移動ということもありできる限り安いチケットを購入したため新幹線での移動となった。
新幹線のぞみ号新大阪(大阪市内)〜東京(東京都区)往復指定席乗車券と東京メトロ+都営地下鉄24時間乗り放題切符と東京スカイツリー展望デッキ入場券がセットになった日本旅行の日帰りツアーチケットで〆てお値段17800円なのであった。
東京〜大阪の新幹線だけでも普通は片道14000円ほどかかるので、いかにお得なのかが良く分かるチケットなのであった。

自腹の場合はLCCを利用する方針だったのだが、成田空港と都内の往復に2000円強、ピーチが第三ターミナルに引っ越したなどの要因を考えるとLCCがちっともお得ではないということを証明するツアーチケットなのであった。

尤も、仕事なので東京スカイツリーのチケットはどうなのよ、という感じなのだが、電車の時間に余裕があったのでちゃんと押上まで移動してスカイツリーに登ってきたのは言うまでもない。

で、この日。
いつもの飛行機で羽田と往復していたら私は自宅に帰ることができなかったのだ。

私はいつも東京からの帰りはANAとスターフライヤー共同運行の羽田発大阪行最終便21:30発を利用するのだが、この日は例のドローン事件で当該便は関空に着陸することができずに羽田に戻っていたのであった。
私はめったに使わない新幹線を経費節減を理由に利用した幸運を喜んだ一方、世界屈指の国際空港の一つの上をドローンを飛ばす輩は即刻逮捕し大阪湾の藻屑とすべきだと考えたのは言うまでもない。

このドローン。
正直言って一般ルートでの販売を禁止してすべて免許登録制にしてはどうかと以前から思っている。
ちゃんと講習を受けて試験を受けて合格した人のみが所有し操作することができる。
販売される機体も大小に関係なくすべて登録制。
飛行時は機体の機種や所有者が確認できる信号を発信することを義務付け、当然飛行プランの提出も必要にする。

「そんなことをしたら写真撮影など気軽にできなくなるじゃないか」
と、言う人も現れるかもしれない。

でも、できないで結構である。
写真を取りたいのであればちゃん手続きすればいいわけだし、免許も取ればいいわけだ。
それにドローンを使って何をするんだ?
今までドローンがなくても写真ぐらい撮影することはわけなかったのだから。

反対にドローンが今回のような業務妨害に使われたり、テロに利用される方がよっぽど恐ろしい。
社会的リスクがある。

例えば市販のカメラを搭載できるぐらいのドローンであればコップいっぱいのガソリンを運ぶこともできよう。
そういうガソリンを積んだドローンを群衆の中に墜落させたり、離陸しようとしている飛行機のエンジンに突っ込まさせたりしたらどうなるか。
推して知るべしであろう。

ということで固い話かもしれませんが、ドローンなんか許認可制で十分。
誰でも無許可で使えていいものではないのだ。



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デモ活動中に政府公安側の暴力を受けて危篤状態だった学生が亡くなった。
このニュースは昨日、日本国内でも大きく報じられ、現地の民主化を求める群衆の慟哭がたちまち巨大なものになってきたことを感じざるを得ない。

とはいえ。
冷めた目で見ると今回の一連の香港民主化運動の成功率はゼロではないかと私は予想している。
法律改正は撤回されたものの、時間が経過すると再び上がってくることは明白で、政治体制の異なる香港とメインランド中国のギャップは埋めようとすると必然的に中国に飲み込まれるのに決まっているからだ。

香港は自分たちの体制を守りたいのであれば、それは「独立」しか手段はない。

中国からの独立となれば話は異なる。
中国本国が黙っているはずはなく、もし認めれば複数民族が混在し、しかも民族に一体感のない中国はたちまち分裂の危機に見舞われる。
ウィグルやチベットの問題だけではなくなるのだ。
だから中国は香港の独立は認めないし、スタートレックのボーグ集合体のごとくいかにして民主化連中を同化するのかを現在も模索しているわけだ。

誰かが亡くなり、それがシンボライズされてしまう。

民主化運動は常にこういう事件と感情がうずまき世界中に報道されるが、なにかを成し遂げたものは非常に少ない。
香港市民の民主化要求は次元タイマー付きのものしか認められることはないだろう。
気の毒だが、それが中国とその領土なのだ。


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「厚さ数ミリの靴の底と、アルミでできた着陸船の脚部分との違いしかない。だからどちらが先に降り立ったなんて馬鹿げた話だよ。」

とニール・アームストロングが言っていたことを私はちっとも知らなかった。
アポロ11号で月に向かって出発する前そんな会話がかわされているとは当たり前といえば当たり前。
だが私は今日に至るまでちっとも気づかなかったのであった。
月着陸船イーグルに乗り組んだアームストロングとオルドリンのどちらが先に月の地表に降り立つのか。
そんな驚き満載だったのが、
ジェイムズ・R・ハンセン著「ファーストマン:ニール・アームストロングの人生」
なのであった。

人類が月に降り立ってから50年。
アポロ計画が終了してから日本を含め探査機は何度も飛んでいったものの人類は一度も月へは訪れていない。
だからなんだか遠い昔の出来事で、もしかしたらウソだったんじゃないかと思われる人も少なくない今日ではある。
事実「あれはNASAが作り出したフィクションの世界。月着陸は特撮で月を歩く光景はスタジオ撮影だ」というトンデモ説がまことしやかに囁かれるのも当然といえよう。
しかしアームストロング含め12人のアメリカ人が上陸し、さらに6人がその周回軌道まで行ったことは厳然たる事実なのだ。
高性能のレーザー装置で月をターゲットに距離を測ると、アポロの飛行士が手で下げていった反射鏡が置かれていることを我々は利用することもできる。
だから月へ人間が行っていないのは費用対効果の問題以外の何物でもない。

アポロ11号が月に着陸したとき、私は幼稚園児だった。
だからそのときのことはまったく記憶にない。
アポロが月に着陸したのは米国東部時間で午後4時頃だったので日本では早朝。
子供の頃から早起きだった私だが、まだ寝ていたのかも知れない。
しかしその翌年に大阪で開催されたEXPO70大阪万国博覧会の最大の目玉が米国館に展示されていた月の石であったことは今も鮮明に記憶している。
そして群衆の列に並ぶのが大嫌いだった両親のおかげでその石を見ることはついになかったことも忘れられない思い出なのであった。

よくよく考えてみると1960年代の科学技術でよくも月まで行ったもんだと感心してしまう。ほんとは命がけだったんだと今回この本を読んで初めて気がついたのだった。
「もしも...」
という危うさがすべての段階に存在していたのを全く意識せずにこれまではこの歴史的偉業を思い出していたのだった。

もしもサターン5型ロケットの発射に失敗していたら。
もしもロケットの段切り離しがうまく行かなかったら。
もしも着陸船と司令船がドッキングできなかった。
もしもドッキングしたあとにジェミニみたいに制御不能に陥っていたら。
もしも月の軌道に入るルートから外れてしまっていたら。
もしも着陸途中で燃料が無くなっていたら。
もしも着陸した地点にでかい岩が転がっていて、イーグル着陸船がひっくり返っていたら。
もしも月からの離陸エンジンが点火できなかったら。
もしも司令船エンジンが再点火できていなかったら。
もしも宇宙服が破れてしまっていたら。
もしも帰還カプセルのパラシュートが開かなかったら。
もしも帰還カプセルが浮かばず海に沈んでいたら。
などなど。

様々なもしもな可能性を克服した結果、アプロ計画の成功が存在するわけだ。

とりわけ今回この本を読んでいて最も緊張してしまったのがイーグルの離陸。
「人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」
とい有名な一言を発したアームストロング船長とオルドリン飛行士。
もしもエンジンが点火しなかったら、この言葉の意味も大きくことなっていただろうし、二人の月からの中継がどのように打ち切られたのか想像するだけでもサブイボが立ってしまう恐ろしさがあるのであった。

ということで「ファーストマン」はニール・アームストロングの伝記ではあるが、あのアポロ計画がいかにスリリングでオッカナイものであったかをひしひしと感じることのできるスリルあふれるノンフィクションなのであった。



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政府専用機でもボヤのニュースは少しビックリした。
そのまま火災に発展して安倍首相以下政府の要人、航空自衛隊のスタッフ、同行記者などが南シナ海の藻屑となった果には少々困った事態が出現したことだろう。

その1
人材不足の自民党による二軍政府の誕生。
自民党は主力メンバーの喪失より民意をつなぎとめておくため小泉進次郎を総裁候補に。
棒読み演出、機転が効かず政経運営に失敗。急速に支持率を失う。

その2
その1の結果、日和見公明党が連立を解消。〇〇民主党とくっつき〇〇民主党が政権与党となる。

その3
ボヤの責任を追求された空自は政府専用機の運営から除外され、要人輸送は北朝鮮へ行った実績のあるANAとなる。
また余計な予算をボヤを出すような自衛隊に回すのは無駄、と言い出し国防費を削除。
第三国による尖閣侵攻。
与党による憲法養護で国家財産を失う。

その4
仕分け再開。
国家予算が逼迫しているからと科学技術やインフラ整備から予算を大幅カット。
国別ランキングは2位どころかベスト10から陥落。
株価暴落。
令和不況に突入。
新・失われた20年始まる。

とまあ、そんなことを想像してしまう。
いずれにせよ火災はシャレにならないので厳重注意していただきたい、なぜか影の薄いニュースなのであった。




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いくら暑いからと言って別の街、しかも500km以上も離れた別の地方で開催するというのはいただけない。
しかもそれを「東京オリンピック」と呼んでいいのかどうか。
マラソンと競歩だけ、それは「札幌オリンピック」と呼ばなければならない。
もはや東京オリンピックではなく東京プラス札幌オリンピック2020の状況だ。

そもそも今回の大会は東京以外での開催種目がいくつもあり、IOCに対して別の地域での開催を決めさせる環境をすでに持っていたということができる。
しかも1964年大会と異なり、国や地域の発展ではなく金儲け目当ての多くのスポンサーついていてスポーツの国際大会という素朴な想いはすでに皆無だ。
なぜ前回のように10月開催にしなかったのだろう。
テレビの中継料の関係なのか、それとも他の国のスケジュールに合わせなければオリンピックの誘致ができなかったのか。
誰でも日本の夏は金鳥の夏で暑いことは周知のこと。
学校の授業で真夏の炎天下、グランドでランニングをさせていると教育委員会から罰せられるような時代であり、季節なのだ。
そんなことを考えたら暑いにきまっているのではないか。

尤も、選手や関係者は東京の暑さを避けることができることに本心は喜んでいるという。

話は違うが、札幌で良かったかもしれない。
というのも、いつぞやのワールドカップみたいにどっかの国と一緒にやろう、となったらそれこそ目も当てられない悲劇だから。


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何が悲しくてこんなに歩かなくてはならないのか。
成田空港第3ターミナルは公共交通との繋がりがなく、電車に乗るためには第2ターミナルまで公称600メートルの通路を延々と歩かねばならない。
重いカバンを引きずって、エスカレータを上り下りしながらてくてくと歩くこと20分ほどかかる。
通路にはエアコンはなく、夏場は暑く冬場は寒い。
雨が降ると天井と壁のすき間から雨が吹き込んでくる部分もある。

私がLCCを利用して関西空港から成田空港へ飛ぶ時はピーチエビエーションを利用していた。
成田空港でのピーチの搭乗口は第2ターミナルのANAのエリアの一番端っこにあったからで、同じLCCのジェットスターは第3ターミナルにあったから。
このピーチの搭乗口が第3ターミナルに変わっていたのを知ったのは今週の月曜日。
東京都内の大学での研究会の会合に出席するため自腹で安物のチケットを買って東京に移動したときなのであった。

「ん?いつもと景色違うやん」

今までであればピーチはターミナルから延びたボーディングブリッジに接続され、そこからターミナルを抜けて京成電車の駅まですぐなのであった。
それがボーディングブリッジではなくタラップ階段が横付けされ階段をトボトボ降りていくではないか。
横を見ると春秋航空の旅客機が駐機され、反対側にはジェットスターが。

「なんてことだ......」

ピーチは10月27日から魔の第3ターミナルに搭乗口が変更されていたのだ。

この変更は旅の予定に大きく影響する。
飛行機が到着してから電車に乗るまで40分かかることはざらにあり、帰路についてもギリギリに到着すると飛行機に乗ることが難しくなり、長さ600メートル、高低差20メートルの通路をダッシュしなければならなくなる。

こういう不便極まりないターミナルビルを建築した発想はどこから出てきたのだろう。
土地がないのか、土地があっても反対過激派を未だ警戒する中途半端国際空港なので安全のために設置箇所が限られるのか。
このターミナルを使うたびに成田空港は不要だ、と強く意識してしまうのだ。

ということで、魔のターミナルに移ったピーチを使うのであれば、座席に余裕のあるジェットスターを使うことになるだろうなと思う私なのであった。


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