<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



スター・ウォーズの最初の作品、つまりエピソード4 が公開された頃。
映画解説者の淀川長治さんは、
「ま~、おもちゃ箱をひっくり返したような映画ですね~」
と言っていた。
淀川さんだけではない。
当時の月刊スクリーンやロードショー、創刊されたばかり(今は廃刊)の日本語版スターログでもスターウォーズは往年のターザンのような活劇シーンあり、ロマンスあり、それでいて伝統的なスペースオペラの要素を最新技術て描いた娯楽大作である。
と、紹介されていた。
「A long time ago in the galaxy far faraway」
で始まる物語はおとぎ話的雰囲気を備えていて「ウォーズ」といいながら血生臭さとは無縁で、心躍るテンポ良い編集で(アカデミー最優秀編集賞)実に何回見ても妙される不思議な魅力を持っていた。
ちなみにいま見ても持っているのだ。

その活劇としての顧客の心を引っ掛けるのは冒頭のシーン。
オープニングタイトルが終わると共に共和国軍の宇宙船が画面右から前方へ遠ざかっていったかと思うと、続いて帝国の戦艦スターデストロイヤーがそれを追尾。
いくらたっても船尾が見えないその巨大さに観客は度肝を抜かれたのであった。
このカットは映画史に燦然と輝く印象的なシーンでもある。

映画は冒頭でお客さんの心を鷲掴みにしてしまう必要がある。
こういうことを大学の映画論で習ったかどうかは忘れてしまったが、この理論は数年後に公開される同じルーカスが製作し、スピルバーグが監督をするという「レイダース 失われた聖棺」に顕著に表現されているのだ。

今回のディズニー版スターウォーズでは残念がらそのような驚きはなかった。
むしろ失望が待ち受けていた。
タイトルが終わって次に何が登場するのか期待してい待っていると、その期待は大きく裏切られることになる。

私の場合、鑑賞したのがIMAXシアターでの3D上映だった。

これがいけなかった。
実はIMAXは2Dで見ると迫力があるのだが、3Dで見ると立体ではあるもののスクリーンの巨大さは失われ立体メガネのグレーさで明るさも失われて安モンの飛び出すメガネ状態になってしまうのだ。
IMAX社はそういうところを理解しているのだろうか。
甚だ疑問だ。
スターウォーズとて、同じ運命。
IMAXシアターの3Dで見るすスター・ウォーズの画面はちっこい17インチの液晶テレビで任天堂3DSの画面を見ている。
そんな感じの仕上がりなのであった。
だから立体は立体だが実に安っぽい、スター・デストロイヤーもタイ・ファイターもXウィング戦闘機もすべて「本物の」おもちゃに見えてしまう詰まらない特撮になってしまうのだ。
あの巨大なスター・デストロイヤーは関西の方にはわかるかもしれないが、当時お好み焼き千房のCMに出てきていたバッチもんスター・デストロイヤー以下の仕上がりなのであった。

正直、ガッカリしてしまった。
スターウォーズは基本的に驚きで始まらなければならないのだ。

さらにガッカリさせられることは極めて血なまぐさい映画に仕上がっていたことだ。
冒頭のシーンからいきなり、
「惑星の住民を銃で皆殺しにせよ」
というところがあったりするのだ。
帝国はいつからISになってしまったのだろうか。
いやISではない。
これはベトナム戦争のソンミ事件ではなかろうか。

1977年(日本は1978年)公開のスターウォーズ一作目の流血シーンは酒場でオビ=ワンがライトセーバーでバッサリと切り落としたならず者の腕だけであった。
それも「活劇」的なシーンの流れであっただけに、サムライスピリッツ溢れるジェダイナイツの生き残りオビ=ワン・ケノービの渋さがにじみでているシーンで嫌味はなかった。
しかし今回の虐殺シーンはユーチューブ駆使するISや狂気の1960年代の軍規に背いたアメリカ軍とちっともかわらなかったのだ。

こういう映画は活劇ではない。
活劇ではないスター・ウォーズはなんなのさ。
といったところだ。

つづく

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