<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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大阪にある2つのニュータウンが完成から約半世紀を経て建て替え問題やら高齢者問題やらを抱えているという。
千里ニュータウンと泉北ニュータウン。
いずれも大阪万博の頃に造成された新興住宅地で規模的には日本最大級のうちの2つだ。
このうち泉北ニュータウンは私が高校時代を過ごしたところ。
堺市内の実家からこの地区にある学校まで毎日泉北高速鉄道に乗って通った。
泉北ニュータウンはもともと大阪府南部の丘陵地帯を造成して作った住宅地なので自然は豊かだった。
春には桜が咲き誇り風に散った花びらが舞い、夏は緑が美しく蝉の声も賑やか。
秋の紅葉も色づき方が華やかで、
「こういうところに住んでみたい」
と思わせるものがあった。

学校からの眺めもよかった。
晴れた日には遠く大阪市内の南港大橋や高層ビル群がよく見えた。
周辺は団地のエリアと戸建てのエリアがあり、戸建ては敷地も広くて建屋も大きかった。
高校生にもそこそこのお金持ちが住んでいるに違いないと思わせるものがあった。
ニュータウンにはどんな人が住んでいるんだろう、と時折想像したりしたものだった。

昨年末、久しぶりに何か小説を読みたいと思って買い求めたのが重松清著「希望が丘の人々」上下巻(講談社文庫)。
架空の古い新興住宅地「希望が丘」を舞台にした、そこで生まれ育ちあるいは主人公のように引っ越してきた人々の人間模様を描いたライトではあるものの、私の世代には大いに共感を呼ぶ物語だった。

主人公は若くして病のために亡くなった妻の生まれ育った「希望が丘」に子供とともにやってくるところからドラマは始まる。
2階の窓から子供が「海が見える」と叫ぶところで私は学校から遠くに眺めることのできた大阪市内の風景や、向こうの丘からこちらの丘にむかって走り下り、登ってくる泉北高速鉄道の電車の風景を思い出した。
希望が丘は駅からバスで15分ほど移動しなければならない、泉北ニュータウンというよりも、どちらかと言えば神戸の外れや奈良の新興住宅地を彷彿させるところだったが、その雰囲気はよくわかった。
物語はその新興住宅地がまだ新しかった頃、つまり主人公の妻が中学生だったころのエピソードと現在のその人々の生きざまとが交錯し、進んでいく。
この2つの時系列を自分の高校時代と30年以上経過した今の時代とを重ねあわせることで、言い知れぬ共感と、なにか物悲しき人生を実感したのだった。

誰にでも取り戻したくても取り戻せない時間というものがあるはず。
それは切ない初恋の思い出かもしれないし、温かい家庭のぬくもりかもしれないし、それとは反対に家族の確執かもわからない。
あの時にこうすればよかったという単純に後悔とは言い切れない何かを持っているに違いない。
「大人は過去を振り返り、子供は未来を見つめている」
物語の中でのセリフは単純だけど、随所随所にこんな心を打つエッセンスが入っている強い印象に残る素敵な小説なのであった。


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