<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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「あの日に戻れるよ、と神様に言われたら、わたしはどの日を選ぶだろうか」

東京からの戻り道、大阪梅田の紀伊國屋書店に立ち寄ったら店の入口に元理化学研究所研究員・小保方さんが執筆したという手記「あの日」(講談社)が平積みされているのが目に留まった。
「お、これはこれは」
と好奇心にかかれて手にとり一枚目のページに目をやると、そには冒頭に記した乙女チックな文章が記されていた。
私は思わずひっくり返りそうになったのであった。
やっぱり小保方さんは半端な研究者ではなかった。
めちゃくちゃ中途半端な出来損ない研究者なのであった。

そもそも小保方さんが手記を発表するというニュースが流れた段階で、私はなぜだか昨年世間を騒がせた元少年A著「絶歌」を思い出した。
なぜそのような連想が生まれたのかは自分でもその時は良くわからなかった。
方や国立の研究所の元研究員。
方や連続殺人犯。
直接的な結びつきはない。
でも、なんとなくそういう連想が起こってしまったのであった。

いざ書店で実際の本を見た途端、その予感というか連想は、あながち間違いではなかったことに驚いた。
表紙のデザインが非常に似ていたのだ。
白地に小さなタイトル。
違いはそこに「絶歌」と書かれているか「あの日」と書かれているかの違いしか感じられないくらい、印象がよく似ていたのだ。

白い清潔な空間に黒いタイトルが刷り込まれることにより綺麗に包装されたどす黒い闇の世界が隠されているように思われてならなかった。

そもそも小保方さんを発信元に一騒動起こしたSTAP細胞問題は、巨額の国家予算をつぎ込みながら結局再現することはまったくできず、出てきたことといえば論文のコピペや加工された実験写真など。
通常のプロの研究者の世界では考えられない、出来の悪い小学生の夏休みの観察日記のようなことばかりが露見したのだ。
その結果、当人は理化学研究所を追われ、大学での博士号論文も取り消され、研究者からただの人になってしまったのだ。
なんでも小保方さんは本書の中で反省を謳いながら、共同研究をした研究者をあげつらい、批難し、自分がどのような目にあったのかという怨嗟の感情を延々と綴っているのだという。
できるなら生まれ変わってもういちど研究者になりたい、ともおっしゃっているそうだ。
こっちとしてはお断りしたいところだ。

そもそもこの人、自分のいい加減な研究のために人がひとり亡くなっていることを理解しているのだろうか。

研究者であれば乙女チックな文章と怨嗟のうだうだを書くことはない。
きっと自分が信じる研究内容で真剣勝負するだろう。
それでこそ道を信ずる研究者であり、結果としてSTAP細胞が否定されようとも、何か別のポジティブな結果が生まれたかも知れないのだ。
彼女は手記を出すことによって研究者としての道だけではなく、まっとうな人間としての道も自ら閉ざしてしまったのではないかと思われてならない。
小保方さんの手記と聞いて元少年Aの絶歌を思い出したのは、同じぐらいの不快感が感ぜられるからかもしれない。

記者会見した時からの風貌と態度を思い起こしながら手記の冒頭を読む限り、小保方さんは永遠の乙女。
しかもゲスの極みの乙女以外の何者でもないように思われ、残念でならない。

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