<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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「こら!お前らはしゃぎすぎるな!やかましい!外へ行けって遊ばんか!」

と怒鳴っていたのは50年前、岡山に住んでいた私のお爺ちゃん。
私はちっとも覚えていないのだが、少し上の従兄弟連中が寝たっきりになっていや祖父の周りで走り回っていた。
そのときに布団の中から頻繁に怒鳴っていたらしい。
体は動かなくとも口は達者だったようだ。
で、私はというと祖父の枕元で祖父のために置かれたお菓子を静かに物色していたらしい。
当時私は6人ほどいる内孫でのうちで最も幼かったうえに、普段は大阪で生活しているため祖父もめったに会うことができず、しかも私が寝たっきりだった祖父に相当懐いていたようで怒られる対象にならなかったようだ。

このように自分の孫が走り回っていても喧しいぐらいだから、近所に保育所ができて他人のお子様たちが走り回ると「うるさい!」と感じる人がいないはずはない。

私が20年ほど前まで住んでいた堺市内の団地の中には保育園があった。
私の家からは100mぐらいだったが、それこそ賑やかなガキどもの声が家まで届いてきたものだ。
とりわけ朝と夕方、そして運動会などの行事のある時は賑やかを通り越してうるさいぐらいだった。
でも、私は何も「うるさい!」とか「静かにしろ!」と思ったことは一度もなかった。
子供が大勢いてワイワイガヤガヤするのは「普通」だったからだ。

保育園がなくても私の子供の頃は私のような子供が団地の中を走り回っていた。
子供のはしゃぐ声が団地の建物と建物を間をこだまし、縄跳びが跳ね、プラスチックの刀が振り回され、自転車のベルの音がチリリンチリリンと鳴り、草野球のボールが壁にぶち当たり「こら〜!」と叱られた。
それがごく自然な環境音なのであった。
だから昨今、こどもの少ない地域にいて遊ぶ声が聴こえないと、
「ん〜〜〜、この街は死んでいる」
と思うことも少なくない。

読売新聞の報道によると保育施設が煩い!という苦情を受けたことのある自治体が75%にも上るという。
しかもその苦情のために施設の開園を中止したり延期したりしたケースが16件もあるという。
保育施設は公害施設なのか。
苦情を言う人の感覚がわからないでもないが、それでも公害レベルに扱うそのセンスは理解できない。
子供がはしゃぎ、歌う声は私には「うるさい」ではなくて「賑やか」と思えるのだが。

地域に子供が多いのは国が富むことにも繋がるわけで、子供のいないことを望むコミュニティは非常に寂しい。


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