<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





明けましておめでとうございます。
本年もこのブログ「宇宙エンタメ前哨基地」をよろしくお願い致します。

さて、今年も初詣に出かけてきた。
お参りに訪れたのは南海電車高野線堺東駅近くにある方違神社。
この神社は毎年参拝している神さんである。
ちなみに関西、とりわけ京都、大阪では神様のことを神さんという。
結婚式もこの神社で挙げているので、親しみのあることでもある。

この方違神社は現在本殿が新築中で今年の初詣は工事中の仮設壁に向かってお参りする無粋な新年になってしまったのであった。
とはいえ、方違さんと地元では呼んでいるこの神社は創建2100年になるという。
従って過去にお参りした人も著名人が多く、例えば空海は遣唐使として出発する時に旅の安全を願いここに参詣。
その他、平清盛、徳川家康などのも参詣したとの記録があり、恐れ多くも賢くも仁徳天皇もご参詣されたという神社なのだ。
今回の本殿建て替えはそれを記念したイベントであって使われる建材には伊勢神宮の遷宮で出たものを使うという。
まあ、さすが堺でも最も歴史の長い神社の本殿建て替えにふさわしいものと言えるだろう。

ところで年末京都で開催した大学時代の友人たちとの忘年会でオモシロイ話が出てきた。
「京都も観光客が多くて。どこもかしこも拝観料で儲けているけど、それはお寺さんの話。神社で拝観料取っているところは無いな」
というものであった。
確かに、全国各地津津浦浦。
お寺へ行くと「拝観料」の名目で「入場料」が徴収されることがほとんど。
安いところで200円程度から高いところで1000円ぐらいは徴収される。
で、何があるかというと「綺麗な庭が見るられる」「素晴らしい屏風が観られる」「古い建築物が観られる」「国宝の仏像が拝める」というもので、なぜ仏教の最も重要な要素である「ありがたい仏僧のお話が聴ける」というのは皆無だ。
ともかく坊主丸儲けの世界がここにもあった。

そこへいくと神社で拝観料をとるところにお目にかかったことがない。
伊勢神宮しかり、靖国神社しかり、先の方違さんしかりなのである。

これは外資系(仏教)と日系(神道)の違いなのかどうかは定かではない。
なぜなら同じ外資系でもキリスト教は教会に入るのに料金の徴収はないからなのだ。
恐らくこれは日本の仏教がそれだけ俗っぽくなってしまっている一つの証拠なのだろう。

神社というのは日本固有の宗教ないしは哲学を体現している場所であって、その根幹を成すものは一体何なのか。
そのことを普段は全く考えておらず、その機会もあまりなかった。
たまたま読むことになった上田篤著「鎮守の森の物語」を読んで感じたのは神社というものは日本人のコミュニティの中心であるばかりではなく、日本人特有の自然と人との関わりを奥深くまで考え感じ取るための重要な場であるということであった。

日本列島は世界でも稀に見ぬ森林に覆われた土地であることは知っているようであまり知らない。
日本の森林の割合は7割。
そこには人の寿命を遥かに超える生命の物語が存在し、かつ水を始めとする人の生活に欠かせない様々な恵みを提供してくれるエネルギーが蓄積されている。
ここ100年間ほどに進んだ国土開発はそういう豊かな大地を破壊し、多くの災害を生み出した。
ところが度重なる震災が多くの日本人に本来の自分たちを見直すきっかけをもたらした。
とりわけ日本人が見せた海外とは明らかに異なる自然に対する対応力と意地、さらには共存するための知恵と工夫は神社を中心とする社会形成がなぜ2000年以上も以前から続き、根付いているのかを改めて考えさせるものとなっている。

神社は必ず自然の森または太陽を伴っていて、それは日本人の自然と人との関わりに関する哲学の根幹を成しているものである。
確かに言われてみればそうだといえる。
方違さんを毎年訪れていて鈍感な私は気づかなかったのだが、たまたま本殿建て替えで賽銭箱の向こう側が工事の壁になっていて、その向こうに工事中の土地があったのだは、さらにその向こう側からは太陽が昇りつつあったのだ。
そう、方違さんの拝礼の方向は明らかに旭日の方向なのであった。
気づかないうちに太陽を拝んでいたというわけだ。

堺ではもう一つ参拝する神社で百舌鳥八幡宮という祭で有名なお宮さんがある。
ここは樹齢800年の天然クスノキの大木がある。
そして他の多くの木々ともに地域の中心としての場であり続けているのだ。
まさに鎮守の森がそこにあったというわけだ。

「鎮守の森の物語」では若狭湾を取り囲む各地域の山と森と人と神社の繋がりに関する調査が記されていた。
こういうことを読まなければ決して気づかなかった灯台下暗し的な自分の文化に気づく。
そういう機会を与えてくれた素敵な一冊なのであった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )