<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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歴史に大きな転換点が訪れると新しい歴史や文化を肯定するために、それ以前の歴史を全否定しようという習慣が人間にはあるらしい。
例えば歴史教育の中の明治維新。
維新以前の江戸時代は封建時代で自由がなく、民衆は士農工商に差別化され婚姻の自由さえ無かった。
「へー、江戸時代は大変だったんだ。テレビの時代劇は嘘ばっかり」
という具合に1970年代の純真な中学生だった私は大人が教えることを鵜呑みにして江戸時代=暗黒時代と記憶していた。
ところが、テレビの時代劇に嘘っぱちが多いのは致し方がないとして、江戸時代が暗黒時代というのは全くのデタラメであった。それは年齢を重ねるごとにより明確になってきた。
江戸時代。
経済体制は資本主義だ。
この点、今とほとんど変わらない。しかも当時の諸外国と比較しても日本の経済システムはその先端を走っていた。株式、先物、為替制度に至っては、ほとんどすべて他の欧州の先進国と比べても先を行っていた。
身分制度もきついことはきついが歴史の授業で習ったほどガチガチではなかった。
例えば商人が武士になることも少なくなかった。
日本地図を作成した伊能忠敬、米国へ行って帰ってきた元漂流者のジョン万次郎、実家が商家の坂本龍馬。などなど。
意外に柔軟性に富んでいた。
さらに進んでいたのはマスメディア。
かわら版を代表とする当時のメディアは言論統制どこ吹く風。
公儀の監視を尻目に、あの手この手でスキャンダルや政治向きのことを伝えた。
しかも当時から世界的に最も低かった文盲率もあいまって一般平民の子供までかわら版が読めてしまう恐るべき日本なのであった。

そういう意味では第二次世界大戦も同じ。
自由もなければ食べ物も無い。
若い世代は無理やり戦争に駆り出され「国のために、天皇のために」と嘘を言わされ特攻隊に駆り出された。
こういう情報を聞かされた純粋無垢な中学生であればうっかり信じてしまわないとも限らない。
大変な嘘っぱちなのだ。
山本夏彦が「おーい、誰か戦前の東京を知らないか?」の中に書いていたが、例えば食糧事情が極めて悪くなったのは終戦のたったの半年前ぐらいからで、それまでは普通に外食や食べ物があったという。
この証言は偶然にも昭和2年生まれの私の伯父の証言と合致していて、
「戦争中でも堺ではアイスクリームも売っとったし、宿院の○○というお店も普通に営業しとったぞ。」
「へー」
ということで驚くこと仕切り。
学校で教わった暗黒時代は嘘っぱちであることがよくわかった。
ちなみに昭和6年生まれの父は予てから現代の歴史教育は「嘘っぱちだ」と主張していて、「わしも中学生の時は本気でお国のために少年飛行兵になろうとした」と主張していた。
得てして、これは当時の正常な若者の考え方であることを幾つかの書籍で知ることになった。
今回紹介のこの本もしかりだ。

「零戦、かく戦えり!搭乗員たちの証言集」(文春文庫)はまさしく、あの時代を生きた人たちの貴重でリアルな証言集だ。
もちろん現在にはびこる反戦主義と革新思想に染まった歴史教育を一掃してしまいそうなほど核心を捉えた感動の一冊であったことは言うまでもない。
あの時代を生きた当時の若者達はどのように考え、どのように自分の生涯を全うしようとしたのか。
今の時代を生きる私達からは容易に想像することはできない。
当時の生きることへの意味付けは、死と隣り合わせだったからこそ深く、そして力強いのだ。
今や戦争を知る世代は80才を越えた。
私の父でさえ86才だ。
戦争へパイロットとして出生した経験を持つ人は、さらにその上の年令である。
大ヒットした「永遠の零」にしろ、他の著作にしろ、戦後世代が戦争を経験した人から聞き書きして創作した世界である。
本書で語られる一遍一遍は実際にそこを生きた人たちの体験であり、非常に貴重だ。

急げ!本当のことを聴けるのは今しかない。
そういう想いを抱きながら過ぎ去りゆく時の流れに一種の焦りを感じる。
しかしあの人達がいたからこそ今の日本があるのだという感謝の気持ちで読むことのできる重いけれども感動の一冊なのであった。


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