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ミャンマーは短期の観光でも訪問する時には「観光ビザ」が必要な最近では数の少ない国のひとつ。

申請手続きはそんなに難しくなく、政治的イデオロギーで有名な人でもない限り簡単にビザが下りる。
東京なら大使館、大阪なら日本ミャンマー友好協会の西日本事務所がビザ受付の代行をやっていて便利だ。
もちろん地方は郵送で取得することになるが、出発まで期間がある場合は現地の旅行会社に依頼してアライバルビザを取得することもできる。
尤も、アライバルビザは3年前に首都がヤンゴンから中部の田舎町ネピドーに遷都してからというものかなりの時間を要するという。
何といってもこの国の郵便事情は劣悪。
だから、現地旅行社も簡単に書類のやり取りをすることができないのだそうだ。

ところで、ミャンマーの観光ビザを取得するために記入する申請用紙に他の国ではあまり目にしない欄がある。
このことに初めてミャンマーを訪れる人はだいたい戸惑うのだ。

「父親の名前を書いてください」

なんでビザの申請にお父さんの名前が必要なのか。
これってなんで?

となってしまうのだ。

これはミャンマー人の名前を付ける習慣に由来するのだと、長年のミャンマー人の友人Tさんが教えてくれたことがある。
というのも、ミャンマー人には名字(姓=family name)がないので、本人を確認するためにはお父さんの名前が重要になるのだという。
だから外国人にも身分を証明させるためには、たとえそれが殆ど意味を成さないことであったとしても父親の名前を訊いてくることになるのだとか。

国際政治の問題にもなっている民主活動家アウンサン・スーチーさんも、アウンサンはお父さんの名前。
本人の名前は単にスーチーさん。

ところで、先日そのTさんが初めて日本を訪れてきた。
「いつか必ず日本に行きたいです」
と言っていた夢を実現させたわけで、彼女の意思の強さには驚くというより感動すら覚えるものがあった。

日本へ来るからと言っても会えないかも知れないな思っていたところ、東京都内の某JR駅前の喫茶店で30分ほどだけ再会して、元気な姿を確認することができた。
「Tさんの姿をここで目にすることになるとはね」
「信じられませんね」
などと、ヤンゴンのミンガラドン国際空港で別れて以来、お互い元気であったことを祝い合った。

前回の私の旅をガイドしてくれた数ヶ月後、彼女は旅行社を退社してガイドも辞めてしまった。
新しい人生を切り開くためにシンガポールに引っ越したのだ。
得意の外国語「日本語」と「英語」を駆使して新しい職を無事にゲット。
新生活を始めた。

「新しい会社の名刺見せてや」

と私が言ったら現在勤めている米国系の企業の名刺を見せてくれた。
なんとそこに記されている名前の順序があべこべに。

「会社、理解できないんです。ミャンマー人は名字がないのに、むりやり名字つくられてしまいました。」

名刺の名前はTさんの名前を音で分解し、後半を名字に、前半を名前に当てていた。
つまり「イチロー」を「ロー・イチ」って書いているようなもの。

「これでは私の名前、意味がありません。アメリカ人、アホです。」

名前ひとつに文化がある。

理解できないのは米国系会社だからか、華僑の国のためか。
それにしても、笑ってしまってゴメンナサイ。

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