<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



マクドナルドが上場以来、最大の販売不振を記録。
なんでも前年度比マイナス25.1%なのだという。
中国産の鶏肉に期限切れのものが故意に出荷されていたというのが消費者の不信を読んだのだという。

そう伝える朝日新聞が、なんで他人事のように伝えることができるのか。
大いなる謎なのであった。

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消費税が8%に値上げされた。

「普段はICカードで買い物をしてるので消費税アップの感覚がありません」

とはラジオのリスナーの投稿。
もしかするとSUICAやICOCAは政府の施策でサラリーマンの給与と同じように納税感覚を麻痺させる仕組みなのかと勘ぐりたくなるくらい、社会のシステムはよくできている。
とはいえ、税率が変わってあちらこちらで価格に変化が生まれている。
電車料金も変わった。
バスも変わった。
書店での本の価格も細かくなった。
そんなこんなで世間は消費税の話題でもちきりだ。

また、今は桜のシーズンでもある。
私の地元大阪でも先週あたりからちらほらと咲き始め、昨日ほぼ満開となった。
吹田にある大学のキャンパス内では桜が咲き誇り、新学期の雰囲気をぽかぽかと演出しているのであった。
ただ、今年は学生が集まって違法に芝生を占領し、バーベキューをしながらばか騒ぎをしている姿がみかけらず、そういうバイタリティに溢れる将来性あるアウトローな学生は3月で卒業してしまったのではないか、と思ったりしていささか物足りなさを感じたのであった。

そんな浮かれモードと増税モードがないまぜになって、消えてしまったのがマレーシア航空370便のニュース。
飛行機と同じように、ニュースさえ消えてなくなってしまったのだ。
もはや情報衛星で確認している破片の発見させおぼつかなく、フライとレコーダーが発信するシグナルももうすぎバッテリー切れの期限を迎える。

マレーシア航空370便は史上初めてどこにどう消えたのは分からない飛行機になる可能性も出てきたのではないだろうか。
近年稀に見ぬミステリーなのだ。

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今年のアカデミー作品賞を受賞した映画「アルゴ」は1979年に発生したイランのアメリカ大使館人質事件を題材にしたユニークなスパイ作品であった、と思う。
思う、というのはロードショウ公開のときに私はこの映画を見に行く時間が確保できず、行こう行こうと思っているうちに、ついに見に行くことのできなかった映画だからだ。

1979年というと私は高校生だったので、この事件のことを鮮明に記憶している。
遠いイランという国で発生したテレビ番組でお馴染みのアメリカの災いというのはまったくもって他人ごとであったことも記憶している。
が、後に青木という多少ともマザコン傾向の強い情けない男が大使を務めていたペルーの日本人大使館が武装勢力によって占拠されるという事件が発生してから、
「お~、あのイランアメリカ大使館人質事件は重大な外交事件だったのだ」
と意識することになった。

この時はベトナム戦争が終結して4年ほどしか経過しておらず、映画少年となったばかりの私が見るアメリカ映画といえばSF映画やコメディに混じって、ディア・ハンターや地獄の黙示録といったおどろおどろしい映画が強烈な印象となって残っていて、ベトナムに限らず常に紛争に介入し続ける「けったいな国=アメリカ」の印象が大使館人質事件が発生してもおかしくない雰囲気に思えていたのだった。

ちなみにこの印象は今も変わっていない。

大勢のアメリカ人たちが大使館の中で人質として監禁されていた時に、監禁されなかったアメリカ人はどうなったのか、ということについて、この「アルゴ」知るまでは、まったく考えもしなかったのだ。
考えてみればアタリマエのことで、全てのイラン在住アメリカ人が拘束されたわけではなく、一部には絶対に脱出できた人たちもいたはずで、「アルゴ」はまさにそういう脱出に成功したアメリカ人を描いていたのだった。
それも普通の方法ではなく。CIAのエージェントが当時使用できる最大限の技術と策謀をもってイランから脱出させたのであった。

1979年といえば2年ほど前に公開されたスターウォーズの余韻も漂っていて、まだまだSFブームが続いていた頃なのであった。
クリストファー・リーブ主演のスーパーマンやオリジナルキャストのスタートレック・ザ・モーションピクチャーが公開されたり、活劇の傑作レイダース失われた聖棺が公開されたのが、この事件と前後している頃であった。
この頃のSF映画といえばCGは非常に高価だったので、ほとんどがミニチュアと手描きによるマットペインティング、アニメーションによる特撮が主流だった。
コンピュータは映像を創るよりもむしろ、カメラを制御するモーションコントロールシステムの制御部に使われていた。
それでも映像は技術がものすごく高く、どれもこれもミニチュアや絵とは思えない素晴らし出来であった。
とりわけ特撮ではないものの、SF映画では欠かせないと特殊メイクアップは、その技術レベルが格段に進んでいて、スターウォーズや未知との遭遇、ドクターモローの島などで見られたように素晴らしいものであった。

この特殊メイクは1968年に公開された「猿の惑星」でアカデミー賞を受賞し、この映画以前と以後では特殊メイクのあり方そのものが変わってしまうほど劇的なテクニックだ。
この一連のメイクアップを担当したのがジョン・チェンバーズというメイクアップ・アーティストなのだが、この人が「アルゴ」に多く関与していたのであった。

007やMIPといったスパイ映画では秘密兵器が登場したり、強靭な肉体を持つ超人が出てきたりする過激なアクションが繰り広げられる。
時にラブシーンあり、華麗なパーティのシーンがありという具合に豪華絢爛、超幕の内弁当状態になる。
ところが「アルゴ」は実際の諜報員の活動というのは極めて地味で、目立ってはいけない行動をとるというのが本当であることを示してくれているのであった。

考えてみれば映画のスパイのように「目立つ」存在であればスパイは務めることができるわけがなく、できるだけ目立たない地味な存在であるのが相応しいのは言うまでもない。
ロシアに潜伏しているエドワード・スノーデンはCIAのエージェントであるにもかかわらず、うだつの上がらない冴えない表情をしていたが、本当に冴えない男であったことは事件の顛末を見ればあきらかである。
つまりホンモノのスパイというものはうだつの上がらない目立たない外観でありながら、きりりとした冴えた頭脳が必要な職業なのだ。
そこへ、どんなことも自然に見せてしまう特殊メイク技術はとっても重要で「アルゴ」におけるアメリカ人脱出に使用されたジョン・チェンザーズの特殊メイク技術は映画のみならず実用にも供するすごいものであることが印象に残った。

歴史の表側だけではなく裏側で起こったことをドラマにすると、高品質のエンタメが生まれることがある。
私は「アルゴ」を小説で読んだわけだが、この作品はそういうドキュメンタリーとエンタメの要素をもった非常に楽しめる作品なのであった。



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タイミングがいいというか、なんというか週刊文春先週号の阿川佐和子インタビュー"この人に会いたい”は、台湾の李登輝先生なのであった。

「日本人は何一つ自信を失うことはない」
というその言葉が、台湾史上に名を残すだけではなく、台湾から日本に対して最も影響力のあった政治家として頼もしい限りなのだ。
しかも、
「尖閣諸島は日本ですよ。中国は1972年に周囲に石油ができることがわかって自分の領土とか言い出した」
ともおっしゃっているのだ。

台湾では強い意志を持って人々のためになることを貫くことを「日本精神」といって尊ぶ風土があると聞く。
私はもしかすると日本人の精神、つまり大和魂は戦後半生記の間、日本人は徐々にそのエッセンスを失っていったのだが、その日本魂は台湾という中国国民党によって弾圧された島で缶詰のように脈々と生き続け、ついには李登輝先生のような日本人よりも日本人らしい台湾人が誕生したのだと思うことがある。

中国出身の台湾居住者が尖閣諸島は台湾だとか中国だ、とかいう人がいるようだが、多くの台湾人はそではない。
なぜなら台湾は日本領であった時代を通じて紛れもなく、海外で日本のアイデンティティの基本部分を持ち続けてきた唯一の隣人だからだ。

とうことで、先週の週刊文春は必読。
前田敦子のスキャンダルなんか読んでいる場合ではないのだ。

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バンコクを走るスカイトレイン・シーロム線の一方の終着駅「国立競技場」を下車すると東急百貨店バンコク店があり、マーブンクロン・ショッピングセンターという大型ショッピングモールが棟続きに建っている。
私はバンコクを訪問すると、このマーブンクロンショッピングセンターでちょくちょく買い物をする。
ある日、買い物を済ませてホテルに戻ろうかと東急百貨店1階にあるマクドナルドで遅い昼食を食べていたら、

「どちらからいらしたんですか?」

と隣のテーブルで新聞を読んでいた年の頃30前後のサーファー風の男が英語で声をかけてきた。

「韓国からです」
とか、
「中国からです」

というふうに、デタラメで答えればよかったのだが、何を思ったのか、私は正直に、

「大阪からです。」

と答えてしまったのだ。

「日本の大阪ですか?」
「(他に大阪ってあるんかい)そうですけど」
「私の友達が大阪に行ったことがあります」

みたいなことを話しだしたのだ。
なかなか流暢な英語で話すものだから、ついつい話込んでしまったのは迂闊であった。
なんでも彼はカオサンでサーファー向けのお店を営んでいるということで、一度私に遊びにこないか、と誘ってくる。
カオサンは世界的に有名なバックパッカーの集まる通りの名前で、周囲には1泊100円から宿泊できる安宿が密集している場所だ。
私はあまり好みではない地域なので、そこへ宿泊したことはまったくないのだが、男はカオサンの名前を出すと安心するとでも思ったのか、話を続けた。

要はこの男。
詐欺師なのであった。
街のカフェやレストランで金を持っていそうな外国人観光客に声をかけては、イカサマトランプ詐欺に引き込もうという詐欺師グループのいわば「呼び込み」なのであった。
結果的に私は被害に遭わなかったが、危うく金銭をだまし取られる可能性があったわけで、こわばらこわばら、と言ったところだ。

タイのバンコクではこういった詐欺は盛んで、例えば王宮前の歩道では、
「宝石のバーゲンをやっている。日本へ持って帰ると、買った金額の10倍で売れる」
といった宝石詐欺のオッサンオバハンが屯している。
またシーロム通りやスリウォン通りの外れには、ちょっとした料理で50USドルも100USドルも巻き上げるぼったくりレストランもあったりすので注意が必要だ。

とはいえ、タイは日本企業2万社以上が進出。
在留邦人は10万人を超え、観光等も含めて渡航する日本人に至っては100万人を越える日本との繋がりが最も太い国でもあるので「危ない」というところではなく、常識を守ってさえすれば、犯罪に巻き込まれることはほとんどない。
それでも、街中に日本のコンビニがわんさかあり、居酒屋、ラーメン屋、イオンモール、ツタヤ、ミスドなど日本の景色とも見まがうところがあるのも確かで、そういうところで犯罪被害にあう日本人は少なくない。

このタイの警察に日本人の警察官がいて、タイ国家警察に大きな影響を与えるほど活躍していたことを私はちっとも知らなかった。
「タイに渡った鑑識捜査官 妻がくれた第二の人生」戸島国雄著(並木書房)は、著者自身がタイ国家警察で指導官として勤務した経験が綴られている。
この経験のひとつひとつが興味深い。
著者が経験豊富な警察官だけに、紀行作家やサブカル作家の著すタイの生活記とは一線を画す面白さがあり、感動がある。
タイ国家警察の階級社会の面白さ。
国軍との関係。
若い警察官たちの活き活きとした生活風景。
タイ人社会に入らないと分からない食生活。
などなどなど。
実にユニークなのだ。

もっとも感心するのは、著者が勇気と責任溢れる警察官であることだった。
最近は警察について不祥事ばかりが取り上げられて、その威信が大きく揺らいでいる。
警察官の飲酒検問捏造。
ひき逃げ。
風俗店で拘束。
などなど。
ところが著者の体を張ったタイでの活躍は失敗談も沢山織り交ぜているだけに、読んでいて、
「っq,こんな警察官が、まだまだいるんだ」:
と思うと嬉しくもあり頼もしくもあった。

表紙は週刊現代のヤクザ検挙特集みたいな写真のノンフィクションで、購入するのは少しばかり躊躇ってしまう一冊だが、みかけによらず大いに感動させてくれるノンフィクションエッセイなのであった。

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もしかすると今の日本の報道をリードするのは週刊誌かもわからない。
その中でも週刊文春と週刊新潮は全国紙に負けない資本を持っているだけに機動力が凄い。
というのも、つい三日前に発表になった島田紳介の引退に関する昨日発売の今週号の記事が掲載されているからだ。

たぶん、この二誌の動きを察知した吉本興業とその関係者が事態が表沙汰になる前に本人を処分したに違いない。

それにしても「引退処分」まで至らせたものは一体なんなのか。
記事をまだ読んでいないので、空想の空想でしかないのだが、その概要をネット記事で読んでみるとかなり多額の金品のやり取りがあるような、どす黒い関係だったようだ。

島田紳介はタレントであって公の人と呼ぶにはいささか抵抗感はあるのだが、それでも数々のテレビ番組に出演し、知名度が大きく、若い世代には憧れる人もいるぐらいだから、その素行は極めて重要だ。
ヤクザと一緒に写真が写っているぐらいであれば、お笑い芸人であれば笑って済ますこともできるだろうが、師弟関係よろしく金品のやりとりを、それも常識を逸脱したような大きさのものをやっていては、もはや一般的価値観のそれではない。
ヤクザと師弟関係ならずとも濃い交友関係を持っていたなんて、ほんとの師匠・島田洋之介は草葉の影で泣いていることだろう。

「10年前に関係を持った」

という報道で驚くのは、10年前というと、島田紳介は中央出版という会社のTVCMで教育についてメッセージを発信していた頃と重なる。
公にはご立派な教育論を主張して、裏では反社会的組織と手を結んでいた、というのはどう考えても大人のすることとは言えない。

今回の事件をきっかけに芸能界が浄化されるとは思えないが、浄化するのなら、ついでに水道メータの入札で談合している会社を経営し、朝のテレビ説教垂れるような大物タレントも浄化していただきたいと思うのであった。
少なくとも島田紳介は公金に手を付け迷惑をかけることはしていないが、水道メータの入札談合は市民の税金で私服を肥やす重犯罪に違いないのでから。

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先週号の週刊新潮に札幌医科大学の高田淳教授が放射線測定器片手に私服で福島原発の玄関まで行った記事が掲載されていた。
なんでも、
「福島原発の放射線は恐るるに足りず。少なくとも原発の玄関前までは。避難する必要などまったくない。」
ということらしい。
記事には仙台あたりから原発までの放射線の実測レベルが記載されていて、「なるほど避難する必要はあるんかいな」という内容だった。

例えば原発のある浪江町で放射線レベル0.4ミリシーベルト。
福島原発の玄関先で0.059ミリシーボルト。
国際宇宙ステーションと比較すると、そこに一日乗船しているだけで1.0ミリシーボルトを受けるという。
でも、国際宇宙ステーションで放射線レベルが一般大衆に問題になったことがない。
浪江町が問題なら国際宇宙ステーションはもっと問題になるというわけだ。

それに発がんリスクが生じるのは100ミリシーベルト以上ともいうことだから、正直、政府発表よりもこっちの先生の方の信憑性が高そうだ。

そうなると、避難命令に科学的論拠はあるのだとうか、ということになる。
もし要らなければ原発事故は避難命令そのものが人災ということになってしまう。

新聞記事によると牛が3千頭、豚が3万匹も餓死しているということだから、もし過剰な避難が必要ないとなれば、これは畜産農家の経済的損失に加えて政府主導の動物虐待ということにもなる。

現状では何が本当なのか一般市民には選択しにくい状態が続いており、何を信じて良いのかわからない有様だ。

ロシアの説もフランスの説も。
そして高田教授の説も。

実のところ原発事故で避難の必要性はなかったとなれば、これまた大騒ぎの原因になる。
なんといっても共通した認識として「原子炉は安全に停止した後、トラブルを起こした」ということで、これはチェルノブイリともスリーマイルとも大きく異なるポイントなのだから。


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「NEVER GIVE UP 、NEVER SURRENDER」
といっても8年前の阪神タイガースの話ではない。

あ、もう8年経ってしまったんですね。
気づきませんでした。

決して諦めず、降伏してしまうことはない。
何のことかというと、「大西洋漂流76日間」(ハヤカワ文庫)のことなのである。

漂流を扱った小説には実に面白い物が多い。
それは極限状態における人間の心理と肉体を生き残りのゲームだからかも知れない。

例えばアーネスト・シャクルトンの「エデュアランス号漂流記」。
南極大陸縦断を目指したシャクルトンの探検隊が南極大陸目前で遭難した実話で、船を失い、橇と小型の救命ボートのみで生き抜き、ついには全員が無事に生還するという奇跡の物語だ。
かなりの長編であるにも関わらず、最初から終わりまで読者の心をつかんで話さない素晴らしい冒険物語だ。

また日本にも素晴らしい漂流物の小説がある。
吉村昭の「漂流」では、江戸期に台風で小笠原諸島の鳥島にたどりついた船乗りがアホウドリを捕まえながら生き抜き、ついには八丈島にたどり着くという実話が描かれていて、これもまたエデュアランス号の物語同様、最初から最後まで引き込まれてしまう魔力を持つ。
さらに同じ吉村昭の大黒屋光大夫では、遭難した商人がロシアにたどり着き、なんとウラジオストックから首都のサンクトペテルブルグまで苦難の旅を続け、ロシア皇帝に謁見するという、これまた実話で、その過酷さは現代の私たちにはなかなか想像のつかない物語で目が離せない。

スティーブン・キャラハン著「大西洋漂流76日間」もまた実際に起こった物語なのだ。
著者自身が遭難者で、生還後著した本書はベストセラーに長年ラインナップされていたのだという。
この漂流が他の物語と違うのは、現代の物語と言う点だ。
事件は1982年に発生。
ヨットで大西洋横断にチャレンジしていた著者は、原因不明の衝突(?)で自分のボートが沈んでしまい、救命ボートに脱出。
以後、発見されるまでの76日間を必死で生き抜いた時の物語なのだ。

漂流ものの面白さは、たぶん読者に勇気を与えてくれることだろう。
変な話だが漂流物にはハッピーエンドが多い。
不思議なことに、未だに漂流物で悲劇に終わる物語を読んだ経験が無い。
漂流して失敗したら、誰にもどこに言ったのか判らず、記録に残すことができないので、ハッピーエンドではない漂流物は少ないのかもわからない。

吉村昭がエッセイに書いていたように記憶するのだが、漂流することによって異文化との遭遇が起こり、新しい文化や習慣が起こるそうで、そういう意味に置いても漂流物語は面白さの奥行きが深いのだ。

ともかく76日間という長い期間、小さな救命ボートで数多の危機に見舞われながらも生き抜いた著者の経験は、冒険を通り越して哲学の赴きさえ感じられたのであった。

生きる勇気が湧いてくる、ノンフィクション冒険物語だ。

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一番安くつく娯楽を求め、今日は大阪市立中央図書館を訪れてきた。

3時間強の図書館での滞在で、私は雑誌を三冊と建築関係の写真集を立ち読みしてきた。
ちなみに雑誌はちゃんと座って読んだのだったが、別の本を探している間に読書席を知らないヤツに占領され立ち読みを余儀なくされたのだったが、それは余談。

で、雑誌三冊のうち一冊は月刊科学誌「ニュートン」だった。
「ニュートン」は大好きな雑誌のひとつなのだが、科学の本というのはかなり微妙で、電車の中で楽しみながら読む本でもないし、かといって会社の休憩時間に読む本ではない。
ましてやトイレで新聞と一緒に読むもの躊躇われるものであることから、書店での立ち読みが定番になってしまう。
読みたい記事だけ読むというのであれば、これで十分なのが辛いところ。
出版社にとっては疫病神的な読者でしかない私ではある。

ということで、2009年5月号を読んでいて、大変な事実を知ることになった。

昨日、2月10日は「衝突記念日」なのであった。
記念日、というのは単に私がそう呼んでいるだけで、実際は誰も呼んでいないのだが、なんと昨年の2月10日に人類史上初めて地球の周回軌道上で人工衛星同士が追突事故をおこしていたのだという。

一方はロシアの軍事衛星。
もう一方は米国のインマル携帯電話の中継衛星だったそうだ。
双方の相対速度は秒速11.2km。
人は歩いているスピード(時速約4km)でぶつかっても痛いのに、秒速11.2km。
その瞬間はどんな光景だったのか、是非とも見たかったと思っている、変な科学好きな私なのだった。

で、この時の衝突で粉砕された破片が何万個とそれこそ秒速10kmとかいうスピードで地球の軌道上を飛び回っているのだそうだ。
これは恐ろしい。
小さな破片は銃弾や砲弾よりも早いスピードで地球を回り、他の衛星にいつぶつかるのか分からない状態なのだという。

ということで、昨日は衝突記念日。
野口聡一さんが無事、地球に帰還できることを祈ってしまったのであった。

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先週発売された週刊新潮2010年2月4日号を読んで私は小さくない衝撃を受けた。

週刊新潮は毎週購読している雑誌で連載されている高山正之のコラム「変見自在」を読むのを楽しみにしている。
辛口正論で一本筋の通った語り口は大いに魅力的。
買い求めるたびに最終ページに掲載されているそのコラムから読みはじめるのだ。
(ちなみに週刊文春は土屋賢二のエッセイから読みはじめる)
今週号はどんなことが書かれているのかと読みはじめると「サイゴンから来た妻と娘」で有名な故近藤紘一の名前が目に飛び込んできた。

サイゴン陥落時、同じ産経新聞記者だった高山正之にサイゴンにいる近藤紘一から「妻と娘を羽田で頼む」という依頼を筆者が受けた、というエピソードから今回のコラムは始まっていた。
私は近藤紘一の著書も大好きで『サイゴンから来た妻と娘」をはじめ、主な著作はほとんど読んでいる。
絶版されている作品はアマゾンや神田神保町の古書店でわざわざ探しだして、買い求めたくらいだ。
それら著作群のなかでも代表作「サイゴンから来た妻と娘」はとりわけ面白く、私のベトナムへの関心もこの作品を読んでから高まったくらいだった。

ところが今回のコラムを読んでいると、この「サイゴン....」の結末は、かなり悲しい物であったことを知った。

近藤紘一はそのエッセイの中で奥さんや娘ミーユンのことをかなりの愛情を込めて書いている。
日本文化の中で大胆に生きる奥さんの話や、日本人化していく娘の話はホノボノとした気分にさせてくれたものだ。
その近藤紘一が愛したベトナム人の奥さんナウ夫人は、近藤の晩年、彼が「より彼女達の済みやすい場所」として移住させたパリでなんとベトナム人の元夫と娘ミーユンの三人で住んでいたというのだ。
しかもこの事実は近藤へは内緒だったのだという。

「気落ちした様子だった」
とコラムには書かれていたが、これが病状悪化の一因になったのか、近藤紘一はパリに赴任することなく不帰の人になってしまった。

もともとコラムはベトナム人の多くがB型肝炎にかかっている、近藤もそれに感染していたのではないかという話と、1980年代にHIVなどの深刻な感染症を、朝日新聞をはじめとする日本の報道は人権などの名のもとに封印し、国民を感染の危機に陥れたという主張なのだった。
が、私にはその主張よりも「サイゴンから来た......」の意外な、そして寂しい結末を知ったことの方が強く印象に残った。

そういえば近藤紘一の遺稿集には若くして亡くなった奥さんへの恋文が収録されている。
もしかすると編者は「サイゴンから...」の結末を知っていて掲載したのかも分からない、と思った。


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