地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

住宅顕信

2011年11月20日 | 展覧会・講演会

 

「夭逝の自由律俳人・住宅顕信展」関連イベントの「“顕信”を語る」に参加した

「鬼とは私のことか豆がまかれる」(住宅顕信)

 この句と出会った精神科医・香山リカは、住宅顕信の句集『未完成』(1988年、彌 生書房刊)を読み、遂には「顕信を書きたい」、「今こそ、住宅顕信を読んで」と思い、自身の一冊『いつかまた会える 「顕信」人生を駆け抜けた詩人』を始めとして、顕信に関する三冊の本を、2002年に中央公論新社に働きかけて出版する。

 そして、住宅顕信について語る時には、香山リカのトレードマークとなっている眼鏡を外した。まさに、人間香山リカとして住宅顕信と向かい合った。こうして、香山リカを発信元として、住宅顕信は大いにブレイクした。

 

 そうした中で、山陽新聞は地元新聞社として遅れてはならじと、横田賢一記者による「行きいそぎの記 -夭逝の俳人住宅顕信」を2003年に連載する。この連載は、その後『住宅顕信 生きいそぎの俳人 25歳の終止符』として出版されている。

 ところで、2002年7月7日、住宅顕信に関する催しで来岡した香山リカと私はお話しする機会を得た。当時私は市の文化行政を担当しており、その関連から住宅顕信の句集『未完成』の発刊に尽力された、岡山大学池畑秀一教授とご縁からお食事の席に同席させていただいた。

 ミーハーの私であり、香山リカの著書『いつかまた会える』等へ、サインをしてもらっている。それには、「七夕の岡山にて」「いつかまたお会いしましょう」と書いていただいている。

 そうした出会いをいただいた関係から、私も住宅顕信の句集『未完成』や香山リカの著書などを読んだ。顕信の句碑がある旭川土手にも、何度か行った。

 そんな中で、昨日は吉備路文学館で開催されている「生誕50周年記念 夭逝の自由律俳人 住宅顕信」の関連イベントである「“顕信”を語る」に参加した。出演は池畑秀一岡大大学院教授、横田山賢一陽新聞編集局次長に加えて、顕信のご子息・住宅春樹氏だ。住宅春樹氏は公の席で、父顕信を語るのは初めてだそうだ。みなさんのお話を、とても興味深く聞かせてもらった。

 その中で、「鬼とは私のことか豆がまかれる」の「私のことか」の「か」があるなしで、ずいぶんと議論になってことを初めて知った。

 そして同時に、私が存じ上げている方が、住宅顕信と関わりがあったことも知った。元市立図書館の司書として働いておられた松本信夫氏(顕信にもらった号は『白路』)は、顕信が主催した「岡山十六夜社」の二人の同人の一人であることは、以前本で読んで知っていた。

 そして今日は、吉備人出版の山川社長が、「リビング新聞社」在籍当時に、顕信の売り込みを受けて、「岡山十六夜社」の「一緒にいかが、自由律俳句」の記事を書いたことを知った。

 香山リカは「生きていればいろいろある。人生をたっぷり楽しみながら自分だけのドラマを追いかけてみることにしませんか」(『いつかまた会える』より)と書いている。「人が生きるということは、たくさんのご縁があり出会いがある」、今日の会でもそのことを強く感じた。

 それにしても、「夭逝の自由律俳人・住宅顕信展」は、感銘深い展示であった。展示されていた、たくさんの顕信の自筆の句に心動かされた。

 そしてまた、とりわけて学芸員のOさんがご自身で編集されたという「写真と顕信の句のコラボレーション」は、素晴らしかった。いつもながら学芸員としての企画への熱意と力量を感じた。

 この「住宅顕信展」の会期は、来年1月22日までだ。是非とも、吉備路文学館を訪れて、住宅顕信と出会うことをオススメする。

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