tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

ラスト・キング・オブ・スコットランド

2007-09-25 20:33:17 | cinema

アフリカの現代史において、数多くの独裁者が登場してきた。たとえば、国家予算の横領と大量虐殺を繰り返し、国を回復不能まで内戦により破壊しつくしたリベリアのチャールズ・デーラー、同じくリベリアの政府を非難した者を捕まえてペットであるライオンの餌にしていたサミュエル・ドエ、血の粛清といわれる大量虐殺や国外追放を国民に対して繰り返したギニアのエンリコ・マシアス・ンゲマ、汚職・援助金の横領で見事に国を破綻させたナイジェリアのサニ・アバチャなど、かつての独裁者を数えあげるときりが無い。なかでも、反対派を少なくとも30万人以上は虐殺したウガンダのイディ・アミン・ダダ、アムネスティ・インターナショナルに児童大量虐殺事件を暴露され、世界中から非難を受けた中央アフリカのジャン・ベデル・ボカサ、国の借金と同額以上の莫大な個人資産を蓄え、スイスの銀行などに貯金していたザイール(現コンゴ民主共和国)のモブツ・セセ・セコはアフリカの3暴君と呼ばれている。
こうした独裁者には共通の特徴がある。この映画にも出てくるが、反対派への徹底した弾圧だ。これはアフリカの独裁者だけではなく、古今東西の独裁者に共通するものだろう。少しでも自分の考えに異を唱える者や反乱を起こしそうな者を逮捕して拷問し、その後は処刑するか強制収容所へ送るか国外へ追放するのが常だ。

ウガンダは赤道直下にありながら、標高1,200メートルのサバンナ地帯にあるため比較的過ごしやすく豊かな水に恵まれているアフリカ東部の国だ。総人口の大半を農耕民であるバンツー系ブガンダ族が占め、現在でもコーヒー、綿花、紅茶、銅などを産出している。 1962年にイギリスの支配から独立したが、その後部族闘争が続き、71年にクーデターによってアミンが独裁恐怖政治を敷き、外国人追放による実質的経済活動の停止、タンザニア軍の介入、相次ぐ軍事クーデターなど、政変が相次いだ。1987年にクーデターで政権に就いたヨウェリ・ムセベニの登場で、ウガンダ情勢は少しづつ変化が現れ、1990年中頃には奇跡的にも治安情勢や経済情勢がほぼ正常に戻り、慢性的な物不足やホテル不足も徐々に改善されはじめた。しかし、未だに北部の地域では少年兵問題が国際非難をあびているのは周知の通りである。

1998年に発表されたジャイルス・フォーデンによる同名小説をもとにした本作のタイトル“The Last King of Scotland”は、実際のアミンの言葉からとったものだ。ついこの前まで植民地支配していたイギリスの内政干渉に対して、アミンは外国人記者団に「私はスコットランドの最後の王だ」と語る。つまり、“イギリスとウガンダ”の関係は“イングランドとスコットランド”の関係と同様にかつての従属関係ではなく対等だと言ってのけたのだ。アミンは、チャップリンの独裁者を思わせる大衆の心を捉える芝居がかった演説、人懐こい笑顔など、一見するとカリスマ性のある人物だ。しかし、独裁者の常で、信じられるものは自分だけという世界に引きこもり、精神のバランスを崩して残虐な粛清の深みにはまっていく。
現在ですら外務省の海外安全情報では危険な国とされるウガンダに出向いたのは、スコットランドの医学校を卒業したギャリガンだ。スコットランドではないどこかを求め、地球儀で偶然ウガンダを指す。白人の若手医師が遊び半分で出かけた先が、殺戮と戦いの現場だったのだ。
映画のラスト、命と引き換えにギャリガンを助けた医師は言う。
「生き残って、ウガンダの真実を世界に知らせてくれ。君の言うことは皆信じる、君が白人だから」
アミンは在任中、30万人以上を虐殺した。彼の蛮行は映画の終盤に一気に映像化されている。一人の独裁者の孤独と、彼の暴走を止められなかった周囲の愚かさ、虚しさが苦く後味として残る。

以下はチャップリンの「独裁者」のラストを飾る13分30秒もの壮絶な演説の一部。
言うまでもなくチャップリンが全世界の人々へ伝えたかったことだ。

To those who can hear me, I say "Do not despair"
The misery that is now upon us is but the passing of greed, the bitterness of men who fear the way of human progress, the hate of men will pass and dictators die, and the power they took from the people will return to the people, and so long as men die, liberty will never perish.
人々よ失望してはならない。
貧欲はやがて姿を消し、恐怖もやがて消え去り、独裁者は死に絶える、大衆は再び権力を取り戻し、自由は決して失われぬ!


プルーフ・オブ・マイ・ライフ(2)

2007-09-24 18:42:00 | cinema

このゼータ関数は、オイラーが提唱し、その後、リーマンが複素化した関数である。解析接続という方法で、このゼータ関数ζ(s)の定義域を虚数の範囲まで広げて考えれば、その零点つまりζ(s)=0となる点が、自明な零点を除けば、すべて  s=1/2+iv という直線上にあるだろうというのがリーマン予想だ。実軸に近い方から数えて、何百億個までは確かにすべてこの直線上に乗っていることが、コンピュータを使った計算で確認されている。これを図に描けば、素数の分布密度を表すグラフとなるのだ。これが世紀の大難問の実体だ。提唱されて以来150年近く経過しているのに,誰一人として証明に成功していない。ジョン・ナッシュを狂わせた難攻不落の要塞だ。

実際にグラフを書くと簡単な図になる。横軸に実数をとる。横軸上に素数(Pn)を並べていく。素数とは、昨日、説明した(2,3,5,7,11,13,17,19,23・・・・・・)と言った数だ。横軸のマイナス側は、自明な零点(-2n)。単純に(-2,-4,-6,-8,-10・・・・・・)だ。
縦軸jは虚数。問題の非自明の零点(1/2+iv)である14.134i、21.022i、25.010i、30.424i、32.935i・・・・・・の点は、横軸の0.5のラインにずらーっと並ぶことになる。まことに美しい。パソコンにエクセルがインスト(ロ)ールされている人たちは、是非とも、グラフにしてみてほしい(数学に強い人たちは、もうすでに頭の中でグラフを描けていることだろう)。
このグラフをじーっと見ていると、宇宙のビッグバンが思い起こされる。横軸は時間だ。何もない(時間もない?)単調な状態[-∞~0]から、突然[0~1]宇宙が誕生し、大爆発が始まる[1~]。しばらくして[2~]素粒子(素数に対応)が生成され、時間と共に密度が低下していく(膨張宇宙)。

さて、素数はnが大きくなるにつれて密度が減少するのに対して、その反対に零点はnが大きくなるにつれて密度が増大する。素数と零点は極めて対称的な関係にある。密度のように正反対の性質を示すことの原因となっている。言葉で表現すると素数の分布は「対数積分」、零点の分布は「対数の積分」となるのである。

映画の話から今回は大幅に脱線したが、この映画で予想したかったもの。それは言わずもがな、「愛情」であろう。これを数学的に証明するためには・・・・・・もっと知識が必要だ。
おわり


プルーフ・オブ・マイ・ライフ(1)

2007-09-23 23:04:07 | cinema

ノートに書かれていた世紀の大発見に値する証明。キャサリンは何を証明したのだろうか。
実際に、数学の世界では、歴代の数学の天才達が挑戦しては敗れ去っていた長い間証明されていない重要な問題がある。マサチューセッツ州ケンブリッジにあるクレイ数学研究所では、このような古典的な難問を7つ選び、2000年5月24日に賞金百万ドルの懸賞問題として発表した。その7つの問題とは
・リーマン予想
・バーチ&スウィンナートン・ダイアー予想
・P≠NP問題
・ホッジ予想
・ポアンカレ予想
・ヤンーミルズ方程式の質量ギャップ問題
・ナビエ・ストークス方程式の解の存在問題
である。

この中で、リーマン予想は2004年6月に米パデュー大学の数学者ルイス・デ・ブランジェス(Louis de Branges) 教授が証明したと発表したから大騒ぎになった。
http://www.math.purdue.edu/~branges/site
http://www.math.purdue.edu/~branges/riemannzeta.pdf
実際には、数年前から証明できそうだとがんばってたが、この2004年もその証明に失敗してしまったという結果だった。しかし、証明できたと発表した当時は、インターネット上にこのニュースが乱れ飛び大騒ぎだったことは記憶に新しい。
国家安全保障レベルでの「暗号解読者」として、またノーベル経済賞を「ナッシュ理論」で授与されるなどその功績で知られる映画「A Beautiful Mind」の主役プリンストン大学のジョン・ナッシュ教授。そのジョン・ナッシュ教授を狂わしたといわれる「リーマン予想」がついに証明されたということで、みんな非常に興奮したのだった。

このリーマン予想。数式をできるだけ書かずに、簡単に説明しよう。なんと言っても、私は言葉の奇術師なのだから。

素数、つまり「1とその数自身以外に約数を持たない2以上の自然数」をご存知であろう。小さい方から並べると2,3,5,7,11,13,17・・・である。この素数は古代から数学好きの関心の的だ。現在でも、最大の素数探しにスーパーコンピュータが使われて探索が続いている。大きな素数はデータの暗号化に必要だからである。
2以外の素数は奇数である。となれば、例えば8=3+5 とか 10=3+7のように「全ての偶数は幾つかの素数の和である」という予想も立つ。ゴールドバッハの予想と言われるものだ。これも21世紀の今もまだ証明されていないものの一つだ。中学生にもわかるシンプルな予想だが、予想の内容が易しくてもその証明が易しいわけではない。
さて、素数の出現、すなわち、素数の分布密度はどうなのだろうか。数が大きくなればなるほどその数を割る素因数の数が増えていく。だから、数が大きくなれば素数の出現率が低くなるだろうと予想できる。しかし、これを証明するのが大変だ。実際に素数の出現は非常に気まぐれであり、規則性は全くみられない。
この問題に取り組んだのが世紀の天才のベルンハルト・リーマン(ドイツ)である。彼は今から150年も前の1859年に発表した「与えられた量より小さな素数の個数について」という論文で、それがゼータ関数の零点の解明によって得られるだろうと予想した。
ζ(s)=∑(n=1,2,3・・・・・) 1/n^s
「ゼータ関数の自明でない零点の実数部は全て1/2である」と言うのは
s=1/2+iv
を意味している。つまり、複素平面上におけるゼータ関数の非自明な零点の実数部分は常に1/2であるということ。

(明日につづく)


パリ空港の人々

2007-09-22 19:57:17 | cinema

人びとの生活は国境によってさまざまな影響を受けている。それは、ワールドカップで有名なアルジェリア移民の2世のジネディーヌ・ジダンを持ち出すまでもなく、人種や国境といった問題は深刻な事態になる。
例えば、地中海に浮かぶごく小さな島ランペドゥーサは、チュニジアからは船でわずか1時間の距離にある。その島へ長く険しい旅を経て、中にはサハラを越えて移民労働者たちがやってくる。海で溺れ死んだり、脱水により命を落としたりする危険を承知でやってくるのだ。しかし、到着した移民労働者らは、すぐさまランペドゥーサの拘留キャンプに入れられ、そこからシチリアや南イタリアにある他のキャンプに移される。自分たちの運命を知らされないまま、リビアに追放される者も多い。何百人という人びとが、個人名を持つ人間としてその存在を認められることなく、このような国外追放の目にあっている。ただ生まれた国が悪い、それだけの理由でだ。もちろん、北朝鮮も同じようなものだ。
個人が望まないにもかかわらず、国境と言う名のもとに不法滞在者は多数存在する。この映画では、フランスのシャルル・ド・ゴール空港のトランジット・エリアに住み着いた人々が出てくる。ヒースロー空港での監督自身の経験した実話に基づき、なんと本当に空港に実在する人々がモデルとなっている。

図像学者のアルチュロは、モントリオール空港でパスポートや財布の入った鞄と靴を盗まれる。クリスマス休暇でスペイン人の妻スサーナとパリのシャルル・ド・ゴール空港で会う約束をしている彼は、残された搭乗券でとりあえずシャルル・ド・ゴール空港へ到着する。しかし、パスポートを所持していない彼は、空港の入国管理局で足止めを食らう。
空港のトランジット・エリアで出遭う人々。ギニア人の黒人少年ゾラは、一週間以上も入国が認められず、パリにいるはずの父親が迎えに来るのを待っている。そして、国外追放の為に国籍を剥奪されたラテン・アメリカ系の女性アンジェラ。あらゆる国で入国拒否されてきた自称元軍人のセルジュ。どこの言語か分からない言葉を話す、国籍不詳の黒人ナック。彼らは数カ月以上、フランス入国を拒否され、トランジット・エリアに放置されている。そこは、どこの国でもないエリア。どこへも帰る場所がなく人生を半分あきらめてしまった人達を、フィリップ・リオレ監督がコミカルに描いている。
この作品にあるのは、痛切な寂寥感と悲哀だ。テーブルのうえで、空港のパリ土産とかマッチ箱とかで作るパリの街やマドレーヌで作るマドレーヌ寺院には、理由もなく涙が出た。はじかれた者の哀しさがあふれている。その一方で、官僚的な態度の入国管理官や、そんな役人が不法滞在者たちの住処に出入りしてる不可思議さとかが見え隠れする。国とは、人間にとって国籍・言葉に代わるものはなんなのだろうと、いろいろ考えさせられる映画だ。大晦日の夜、彼らはこっそり空港を抜け出し、光あふれるパリ市内へ繰り出す。見つかれば、不法滞在でまた収容所へ。短時間のパリ見物。帰る場所のない彼らは、多くの人にとっての旅立ちと帰郷の空港へ・・・・・・。

年が明けて元旦の朝。大使館からアルチュロの身分証明のFAXが届く。彼は、眠っている仲間達との別れを惜しみながら、トランジット・エリアを後にする。空港の外。あとを追って来たゾラ。アルチュロとゾラは、一文なしでアルチュロが居住するイタリアへ向かうのだ。二人が新年のパリの街へ向かって歩き始める姿に、どんなに困った状況でもどうにかなるさという監督のメッセージが伝わってくる。人間は弱いように見えて、実はしぶとく生き抜く力を持っているのかもしれない。それが救いなんだ。


僕が旅に出た理由(4)

2007-09-21 19:54:37 | プチ放浪 海沿い編

9/17(月) 帰港
合計7本のダイビングを終え、調子が出てきたところでツアーが終了。それでも、色々な想い出が記憶に刻まれた。感動を胸に帰港に着く。
いつも、旅の終わりはブルーに。ツアーのメンバーの誰とも話ができないほど心がせつなくなる。なつこさんが笑顔で声をかけてきても、返事ができない。切り立ったドロップオフから、深淵に心が落下していく。なんとか、もがいて浮上しようとするが、どうしても笑顔がひきつってしまう。情けない。結局、帰りの船で深い孤独にどっぷりとはまりながらの帰還。切ない胸に、夕日の赤がしみる。静かに水平線が暮れていくのは、太陽がすべてをかき集めて帰っちまうからなんだろう。夏の終わりの夕暮れは、いつだってこうだ。
深淵に落下するのは誰のせいでもなく、自分の弱さなんだろうけど。泣けない自分に再度、気がついて旅はジエンド。こうなったら、人生に泣けるまで旅に出続けるしかない。最後に、ツアーを同行した、バディのシラサワさん、ミウラさん、インストラクターさん、それとなつこさん。ありがとう。充分なお礼を言えなかったので、ここでお礼を。いつか、この感動をネタに小説を書き上げると心に誓う。