tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

パリ空港の人々

2007-09-22 19:57:17 | cinema

人びとの生活は国境によってさまざまな影響を受けている。それは、ワールドカップで有名なアルジェリア移民の2世のジネディーヌ・ジダンを持ち出すまでもなく、人種や国境といった問題は深刻な事態になる。
例えば、地中海に浮かぶごく小さな島ランペドゥーサは、チュニジアからは船でわずか1時間の距離にある。その島へ長く険しい旅を経て、中にはサハラを越えて移民労働者たちがやってくる。海で溺れ死んだり、脱水により命を落としたりする危険を承知でやってくるのだ。しかし、到着した移民労働者らは、すぐさまランペドゥーサの拘留キャンプに入れられ、そこからシチリアや南イタリアにある他のキャンプに移される。自分たちの運命を知らされないまま、リビアに追放される者も多い。何百人という人びとが、個人名を持つ人間としてその存在を認められることなく、このような国外追放の目にあっている。ただ生まれた国が悪い、それだけの理由でだ。もちろん、北朝鮮も同じようなものだ。
個人が望まないにもかかわらず、国境と言う名のもとに不法滞在者は多数存在する。この映画では、フランスのシャルル・ド・ゴール空港のトランジット・エリアに住み着いた人々が出てくる。ヒースロー空港での監督自身の経験した実話に基づき、なんと本当に空港に実在する人々がモデルとなっている。

図像学者のアルチュロは、モントリオール空港でパスポートや財布の入った鞄と靴を盗まれる。クリスマス休暇でスペイン人の妻スサーナとパリのシャルル・ド・ゴール空港で会う約束をしている彼は、残された搭乗券でとりあえずシャルル・ド・ゴール空港へ到着する。しかし、パスポートを所持していない彼は、空港の入国管理局で足止めを食らう。
空港のトランジット・エリアで出遭う人々。ギニア人の黒人少年ゾラは、一週間以上も入国が認められず、パリにいるはずの父親が迎えに来るのを待っている。そして、国外追放の為に国籍を剥奪されたラテン・アメリカ系の女性アンジェラ。あらゆる国で入国拒否されてきた自称元軍人のセルジュ。どこの言語か分からない言葉を話す、国籍不詳の黒人ナック。彼らは数カ月以上、フランス入国を拒否され、トランジット・エリアに放置されている。そこは、どこの国でもないエリア。どこへも帰る場所がなく人生を半分あきらめてしまった人達を、フィリップ・リオレ監督がコミカルに描いている。
この作品にあるのは、痛切な寂寥感と悲哀だ。テーブルのうえで、空港のパリ土産とかマッチ箱とかで作るパリの街やマドレーヌで作るマドレーヌ寺院には、理由もなく涙が出た。はじかれた者の哀しさがあふれている。その一方で、官僚的な態度の入国管理官や、そんな役人が不法滞在者たちの住処に出入りしてる不可思議さとかが見え隠れする。国とは、人間にとって国籍・言葉に代わるものはなんなのだろうと、いろいろ考えさせられる映画だ。大晦日の夜、彼らはこっそり空港を抜け出し、光あふれるパリ市内へ繰り出す。見つかれば、不法滞在でまた収容所へ。短時間のパリ見物。帰る場所のない彼らは、多くの人にとっての旅立ちと帰郷の空港へ・・・・・・。

年が明けて元旦の朝。大使館からアルチュロの身分証明のFAXが届く。彼は、眠っている仲間達との別れを惜しみながら、トランジット・エリアを後にする。空港の外。あとを追って来たゾラ。アルチュロとゾラは、一文なしでアルチュロが居住するイタリアへ向かうのだ。二人が新年のパリの街へ向かって歩き始める姿に、どんなに困った状況でもどうにかなるさという監督のメッセージが伝わってくる。人間は弱いように見えて、実はしぶとく生き抜く力を持っているのかもしれない。それが救いなんだ。