7月17日(水)午前中、京都祇園祭の前祭・山鉾巡行が執り行われた。
都大路の一つ、四条通を進む山鉾の先頭鉾「長刀(なぎなた)鉾」が午前9時30分頃に、京都市内の一番の繁華街である四条河原町交差点に到着した。沿道は大勢の人々で歩行もままならぬくらいで、鉾を曳(ひ)く人たちの姿をみることもできない。欧米、アジア系問わず、外国からの観光客もとても多い。
四条河原町交差点で長刀鉾は進路を変えるための引き廻しを行い始めたのを見届けて、ゆっくりと長刀鉾やその後を進む山鉾を見るために、高瀬川沿いに河原町通りに面した丸善書店前付近に行き山鉾巡行を見ることにした。
丸善書店前まで行くと、7~8人ほどの浴衣姿の舞妓さんたちが、長刀鉾や函谷鉾などの通過を待っているところだった。舞妓さんたちが暮らす「置屋(おきや)」の女将(おかみ)さんらしい人もいる。舞妓さんたちは、その人を「おかぁはん」(※「おかあさん」の京ことば)と呼んでいた。
しばらくすると先頭の長刀鉾がやってきた。私は舞妓さんたちの後ろ姿越しに山鉾の巡行を見続けることになったのだが、舞妓さんたちの髪型の可愛らしさに改めて見入ることともなった。「おぼこい」、舞妓独特の髪型。
私は正装した舞妓の姿も美しいとは思うが、この浴衣姿の舞妓が一番可愛らしいなぁと思う。
巡行の五番目に来る「函谷(かんこく)鉾」もやってきた。
10時を過ぎて山鉾巡行を見るのはこれくらいにして、丸善書店近くにある行きつけの喫茶店の一つ「タナカ珈琲」(河原町店)にて涼(れい)をとった。この珈琲店は、全席喫煙可能店で、かなりの席数が1・2階にある。京都新聞を閲読すると、「輝く山鉾 訪日客も魅了—前祭・宵山 25万人都大路に熱気」の見出し記事。
昼前になりタナカ珈琲店を出て、鴨川に架かる三条大橋へ。橋の西にあるスターバック珈琲店のそばの見事な百日紅(サルスベリ)の木の花が満開になっている。三条大橋の欄干や擬宝珠、鴨川の流れと比叡山も望める百日紅。「そうだ 京都、行こう。」の撮影候補地にしたくなる光景でもある。
昨日、7月21日(日)、中央アジアの国の一つ、ウズベキスタンにあるサマルカンド国立外国語大学で教員をしている友人の亀田さん(※大学の夏休みで日本に帰国している)と、四条河原町で1年ぶりに会い、2時間ほどをいろいろな話をしながら時を過ごした。
■京都の鴨川に架かる四条大橋東詰めには、京都南座があり、都をどりや歌舞伎をはじめさまざまな興行が行われている。かってはこの南座だけでなく京都北座という建物もあったことを知る人は少ない。四条通りを挟んで向かい側の北座があった場所は今、「北座—日本髪博物館」となっている。伝統的な女性の髪型の歴史に興味のある人はこの小さな博物館に行ってみたらどうだろうか。
さて、祇園祭の山鉾巡行で、30分間ほど浴衣姿の舞妓さんの髪型をも眺め続けることになった今年の祇園祭。少し舞妓さんの髪型について紹介します。京都五花街(かがい)である「➀祇園甲部②祇園乙部③宮川町④先斗町⑤上七軒」。この花街で修行し、お座敷で舞(まい)などを客に披露して働く15歳から20歳までの年齢の女の人を舞妓という。舞妓の髪型は「おぼこい」可愛らしさがあるのが特徴かと思う。舞妓の年齢を終えたあとは、芸妓(げいこ)さんとなる人も多いようだ。
芸妓さんの髪型は「かつら」だが、舞妓さんは「かつら」ではなく地毛(じげ)で髪を結っている。舞妓さんは、修行の年数・段階によって髪型が決まっているようで、舞妓として出たての年少舞妓さんは「割れしのぶ」という髪型、年長舞妓さんは「おふく」という髪型になる。
約1週間ほどは舞妓の髪型に結ったままなので、あの時代劇に出てくるような「高枕」で眠って、髪をくずさないようにしているようだ。まあ、それだけでもすごい。ちなみに、舞妓の時代のお給料はゼロ。住まいや食事や、そのほかに舞妓の稽古や衣装、化粧などはいっさい、置屋が面倒をみる。時には、置屋のおかぁはんからお小遣いをもらったり、客からのおひねり(※紙に包んだお金/祝儀・チップ)をもらうこともあるようだ。
そして、芸妓となって置屋から独立し、ひとり立ちをすると、初めて給料をもらうことともなる。どれくらいの月収・年収があるのかというと‥。お座敷に呼ばれた時の時給は、1時間当たり5000円~6000円が相場。京都の芸妓さんたちの平均月収は20万~30万円、年収に換算すると平均240万円~360万円となる。日本の20代前半の女性の平均年収(約242万円)より少し上といったところのようだ。(※お座敷でお客さんから、おひねり・祝儀チップをもらうこともあるので、実際の収入はそれらがさらに加算されるようだ。いずれにしても、売れっ子芸妓にならないと高い収入とはならない世界でもあるようだ。)