北京に行く2週間ほど前の3月上旬、インターネット記事である古写真を見つけた。1950年頃に撮影された北京のある写真だった。「北京外城・東南角楼と城壁」と銘されていた。この角楼とその周辺の城壁の一部は、現在も残り、保存されていて見ることができるとも記されていた。「ここに行きたい!こここそ、私が見たい北京の一つだ!」と思った。こんなところが北京に残っているとはそれまで知らなかった。
北京滞在4日目の3月20日(火)、地下鉄「建国門駅」からほど近い場所にある宿泊ホテルを早朝に出発して、その場所に向かった。場所は「北京駅」の南側にあることを確かめていた。「清時代」に造られた「天文台」がまず目に入る。城壁の一部が目に入って来た。城壁の上部の凹凹凹の部分は壊されている。梅がほころび開花しそうになっていた。そして、目指す「角楼」が見えてきた。「ここだ!」とすこし興奮する。
「北京城東南角楼」と記された石碑の近くから見上げる「角楼」の巨大さに圧倒される。開花が間近な梅がたくさん植えられているここには、延々と城壁が続いていた。やはりここも凹凹凹の部分は取り壊されていたが。
城壁がけっこう長く残されていた。城壁の下から上を見上げてみるとかなり高い。入場料5元(約100円)を払って「角楼」内に入った。梅の盆栽があった。急な石の階段を登り「角楼」の建物に向かう。
「角楼」の「火薬庫」の建物、城壁に並べられた「満州八旗」といわれた「清朝」の八つの軍団・精鋭部隊の八色の旗。黄色い旗の軍団が最も格式が高い最精鋭軍団だった。北京防衛のための当時の大砲もそのまま置かれていた。
「角楼」から続く城壁を見る。ここからは北京駅が見える。つい最近、「中国を電撃訪問した北朝鮮の金正恩たち」もこの北京駅に到着し、そして北京駅から北朝鮮に向かう特別列車で去って行った。
「角楼からは、「北京市人民常任委員会」の立派な建物が見えた。この建物に隣接しているのが、この日私が宿泊している小さなホテルだ。「角楼」の建物内部に入ると「梅の盆梅展」が開かれていた。梅の匂いが楼内に漂っていた。日本の滋賀県長浜市や奈良県郡山城での「盆梅展」より貧相ではあるが、これは精緻な「日本人の美意識」との違いなのか、かなり大雑把な盆梅展であった。
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