中国・中秋節の9月13日(金)の日、福州市内の三坊七巷地区に行った時に、ちょうど歴史的伝統服装などの展示をしていた建物に入り見学した。「漢服」の歴史を簡単に説明した掲示板やさまざまな漢服が展示されていた。
漢服(かんふく、中国語簡体字:汉服)は、中国の漢民族の伝統的な民族服のことで、漢装(かんそう)とも言う。紀元前2500年ごろから1644年の明王朝の滅亡までの約4000年間までの間、漢民族が代々着用していた民族衣装の総称が漢服。とりわけ、漢民族が王朝の中心となっていた「漢王朝」「唐王朝」「宋王朝」「明王朝」の時代には、それぞれの時代の漢服衣装がとくに開花した時代だ。「華夏一漢(中国を支配した異民族でも、最終的に漢民族に同化される)」という思想文化を背景として、形成された服装体系とも言える。
日本の飛鳥時代・奈良時代の和服(万葉服)は、中国の隋王朝と唐王朝の漢服の影響を受けたものである。また、朝鮮半島(韓国・北朝鮮)のチョゴリ服も、中国の漢服の影響を受けたものである。また、ベトナムの民族衣装「アオザイ」も少なからず漢服の影響を受けている。
2年前に卒業論文指導で担当した学生の一人が、『「チーパオ」と「和服」についての比較研究—その変革と伝承性を中心に』という卒業論文を書いた。その時、私は初めて、「チーパオ」と「漢服」の違いとその歴史について勉強することとなった。「旗袍(チーパオ)」とは、日本人がよく知っている「チャイナドレス」のことである。中国の民族衣装といえば、日本人がまず思い浮かべるのは、深いスリットが入ったこの「チャイナドレス」。2015年末に、当時、福建師範大学に勤務していた私や閩江大学に勤務していた井上さんは、中国人教員たちに案内された「チャイナドレス・チャイナ服店」で、それぞれが伝統服を購入をしたこともあった。
しかし、実はこれ、もともとは中国東北部に盤踞していた「満州族」の民族服を起源(特に遊牧民の衣装)とした民族衣装の一つ。かっての漢民族王朝の明を滅ぼし、1644年に成立した満州族が政権の中心となった清王朝。この王朝には「満州八旗」という8つの軍団があり、それぞれの軍団長の家柄は王朝貴族となる。この清王朝は1912年までの約270年間続いた。だから、チャイナドレスは、中国14億人の大多数(90%)を占める漢民族の伝統的民族衣装ではなく、「漢服」こそが中国人の大多数を占める漢民族の伝統的民族衣装である。
チャイナ服・チャイナドレスは、清王朝滅亡後の、1910年代の初頭から着用が始まり、1920年代に広まった。満州族の民族衣装に、その中国的要素を薄め、西洋の要素を取り入れた衣服である。1949年に社会主義の中華人民共和国が成立し、1960年代半ばから始まった文化大革命の時期(約10年間)になると、伝統というもののあらゆるものが否定されたため、チャイナドレスも中国国内では だれも着用できず、廃れていった。(※1644年以降、現代の舞台や映画・ドラマに出演する人以外、2000年代初頭までは漢服を着る一般の国民はほとんどなかった。)
その後、1979年代から始まった「改革開放」期に入ると、娯楽場やレストランなどのウエイトレスが着用する「制服旗袍」として一時的な復活を見せ、1997年の香港返還を機に、一般の間でも流行し始めた歴史をもつ。このため、現在でも40歳以上の女性や男性は、このチーパオを着用している人をよく見かけるが、ウエイトレスなど以外の若い人がスリットの入ったチーパオそのものを着用する人はほとんど少ない。
しかし、チーパオ的な要素が入っている民族的な衣装を着ている若い女性は最近はけっこういる。中国式喫茶室である「茶館」のウエイトレスもそうだが、一般の若い女性でも、チーパオ的要素の簡易で素朴な味わいのあるデザインの衣服は日常着としても好まれ始めているようだ。
日本に留学中の学生たちに聞くと、「日本では成人の日や卒業式などに和服を着ることは当たり前だが、中国では今まで漢服を着たことが無い人が大多数です」と話す。その漢服を着る動きが始まったのは、2000年年代の前半。国内総生産が(GDP)が毎年10%台だった高度成長時代、長期の海外生活から帰国した若者が中心となり中国国内で着用し始めた。外国文化に接し、成長する中国の独自文化を取り戻したいとの思いがあったと言われている。しかし、2000年代はまだ、漢服を着る人はほんの一握りだったようだ。
私が中国の大学に初めて赴任した2013年当時も、大学内や街角で漢服を着用している人は、ほとんど見かけなかった。(2万人以上いる学生の中でただ一人だけ、漢服を日常的に着用している女子学生がいた。学生たちに聞くと、「彼女は『武侠〇〇』という中国では有名なテレビドラマのヒロインにとても憧れている女性で、このように漢服を常着している人はとても珍しいので、最近、地元の福州のテレビ局が彼女の取材に来ていましたよ」とのことだった。
2015年ころから、漢服的要素の入った日常着を着る若い人がぽつぽつ増え始めてきたよう思う。福建師範大学の運動会の入場行進などても、漢服の舞踊が演舞されていた。そして、1年ほど前の2018年頃から、漢服を着る人がとても増えてきているなあと思う。
中国には、90%を占める漢民族の他に、55の少数民族があるといわれている。(56民族) その民族民族に伝統衣装がある。大きな民族の一つとして、蒙古族(モンゴル族)がある。
中国の新疆ウイグル自治区を中心としたウイグル族もけっこう人口の多い民族の一つだ。
また、中国の南方や南西部の「貴州省」「雲南省」「広西チワン族自治区」などは、苗族などの少数民族の数が多い。チベット族はかなり大きな民族。私が暮らす福建省でも、地方地方によって、さまざまな地域伝統民族衣装が多い。
2015年ころより、日本に来る中国人観光客は増加の一方をたどり、毎年100万人くらいの増加数のペースで進んできていて、2018年度は900万人にのぼる。おそらく、2019年度は1000万人に届きそうだ。京都にも中国人観光客がたくさん来て、「日本の浴衣(ゆかた)や着物」を着て街を観光する人が多い。そんな中で、中国の「漢服」を着て、日本の伝統建築などを背景に写真を撮っている人の姿も見かけるようになった。(※上記写真4枚は京都・八坂神社にて)
近年、中国の若者たちの間で、日本や韓国の文化を模倣する「哈日族(harizu―日本マニア)」や「哈韓族(hahanzu―韓国マニア」が流行し現在もその流行は髪型や化粧や服装などで続いてはいるが、最近の漢服を着る動きなどは、中国の若者の間で民族的自覚が急激に高まってきて、母国の国や文化に自信を持ってきた表れとも言えるだろう。
中国が世界的な力をもつにつれ、中国国民の多くを占める漢民族としての自信も高まり、中国共産党政府の「富国強兵・民族の誇りを高め、中国共産党一党支配の正当性を国民にもってもらう」強力な政策とその実施とも相まって、過去の栄光と文明を取り戻そうという動きが この漢服流行にも出てきているようだ。漢服と伝統文化の復興は一つの大きな流れとなり、この流れは、歴史的な必然なのかもしれない。「みんなで、中国や漢民族の歴史・文化に興味をもち、それをまた盛り上げていこう」というブームが中国でおきていることを 私も中国で暮らしていて実感している。
とりわけ2012年に習近平政権が出現して以降、この民族主義的な面も強く 徹底した「中国すごいぞ!!」の中国政府キャンペーンは、若者の意識にとても強い影響を及ぼしていることが、よくわかる今日の中国でもある。しかし、若者が、自国の歴史や民族性や伝統的なものに興味をもち学び、生活にも取り入れていくことは それはそれで とても大切なことだとは思う。
漢服は日本の着物や浴衣と違い、難しい着付けなどは必要はないようだ。これも流行が広まる一つの理由ともなっている。
「中国文化博大精深」という言葉を中国人から聞くことがある。「博大精深」とは、中国語の四字熟語で「歴史や文化が奥深い」ことを意味している熟語である。
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