日本の江戸時代、日本三大商人といえば「大阪商人・伊勢商人・近江商人」。当時、これらの商人グループの仲間(ギルド的商人組合)に加入していれば、全国どこでもその商い人は信用されたと言われている。2017年の8月に、滋賀県日野町にある「日野商人資料館」に行った。日野商人は近江商人の一つの地域グループであった。資料館の建物は当時の日野商人の商家。日本では、安土桃山時代期から経済成長(GDP)が高まり、とりわけ江戸中期からは富裕商人階級であるブルジョワジー層が形成されはじめ、江戸文化がさまざまな形で花咲いた。
資料館のパンフレットには、当時の商人・商家のことが記されていた。「仁・義・礼・智の心が信用を産む」「日野商人の家訓—小恵み十ケ条—〇社会奉仕の実践を〇小口のお得意ほど大切に〇一攫千金をねらうな〇偽装をするな〇薄利多売の商いを〇‥‥」「三方よし—売り手よし、買い手よし、三方よし」 日本では長年、このような「商道」が定着していた国だった。そして現在まで、「信用第一」の伝統は生きているが、ここ10年間あまり「偽装」等を大企業や店舗などでも社会問題となることも増えてきている。2004年頃から始まった小泉内閣による諸政策(非正規雇用の拡大政策など)により、日本のモノづくり・信用第一社会伝統はかなり破壊されてきているように思う。
一方の中国だが、高度経済成長の頂点に達した2010年ころまでは、「安かろう悪かろう」の商品が多く作られて世界の工場とも言われてきた。しかし、2010年以降は「量より質」が求められもする時代にと変化が始まった。2012年ころから中国の雑誌などでも「日本の匠(たくみ)・技術の心」などが特集として組まれ売られるようになった。日本の伝統技術だけでなく中小工場での技術の質の高さなども取り上げられていた。
中国の経営者たちも2010年を境として、「このままの、お金お金、お金がもうかるかどうかだけが経営の1・2・3だ」という考え方に虚しさを感じる人が少なからず出てきたようだ。2012年頃から中国の書店では、京セラ会長の稲盛和夫さんの書籍が平積みでおかれるようになり始め、その後も中国全土で稲盛さんの書籍がベストセラーとなっていった。中国国内での稲盛さんの講演会には多くの人が参加し会場は超満員となったと伝わる。近江商人の教えにあるような商道(人としての道)を説く稲盛さんの話を聞き、まずは「二方よし(経営者よし、従業員よし)」を実践し始めた人もあるとテレビで放映・紹介もされていた。
❶—中国の歴史と企業文化―
4000年の歴史をもつ中国は、各王朝の皇帝が統一国家を成立させ、一元的に権力構造のもと全国支配を行い、そして反乱による国家の分裂、そして統一を延々と繰り返してきた巨大国家だ。現在は中国共産党の一元支配下にある。この歴史の中で、いわゆるブルジョワジー階層がなかなか育たなかった歴史でもあった。国家や高級役人によるブルジョワ(金持ち商人)層に対する徹底的な収奪の歴史でもあったからだ。いわれなき罪をなすり付けられ、全財産を没収されるということは日常茶飯事だった。そして役人たちは私服を肥やした。
だから中国の商人たちは、いかに短期間に儲けるかに全精力をかたむける商道風潮文化が続いたのではないかとも思われる。長期的な信用獲得などは二の次三の次となる。この構図は、現代中国でも基本的な変化は変わらないが、2010年ころから高まった民衆からの汚職構造への不満、中国共産党への不満を抑えるために、「政敵を葬り、かつ、民衆からの支持を得る」ために「腐敗撲滅」闘争を始めたのは2012年に発足した習近平政権だった。だが、このような習政権の政策の中でも、中国の国有企業では支払いを引き延ばすほど優秀な経理担当者だとされる。国有企業の方が民間企業より地位が上だから約束を守る必要はないし、「信用を失う」という概念も希薄だと言われている。
中国以上に儒教の「権力の上下関係」思想の部分の影響を濃厚に受け継いでいるといわれる朝鮮半島。中国でも韓国でも、相手の地位が自分より上なのか下なのかということに異常にこだわる。権力が上のものが何をやっても「しかたがない(没法子・メイファーズ)」の世界でもある。法律よりも権力関係に重きが置かれるので、いわゆる日本や欧米を中心とする「西洋的契約概念」がとても弱いようだ。
❷―中国は「関係(グアンシー)」の社会といわれる―
グアンシーは幇(ほう)を結んだ相手との密接な人間関係のことで、これが中国人の生き方を強く規定している。「グワンシー」は人間関係を「自己人(ズーシーレン)と「外人(ワイレン)」に2分することだ。自己人とは、信用できる相手としての家族や血縁、情誼(じょうぎ)を結んだ親密な友人たちのことだ。それに対して外人は文字通り「自己人外の人」であり、信用できることもあるが概ね裏切られることを前提とした人たちのことだ。中国人は外人に対しては、どのような場面でも冷淡な対応をする場合が多い。これは飲食店に限らずどんな商店でも客に対しては同じような対応をする。「お客様は神様です」の日本の商業道とはまったく逆的な対応である。客は単なる儲けの対象にすぎない。
中国人の行動文法では、裏切ることで得をする機会を得た時に、それを躊躇なく実行することを道徳的な悪と考えることは希薄だ。中国では大学を卒業して就職をした場合、2年以内の転職率は50%をはるかに超える。よりよい条件や給料の職場があれば転職するのはあたりまえの世界でもある。大学の学生たちに「会社を選択する場合の第一に重要なこと」について聞いたことがあるが、給料を第一とする学生が最も多かった。
◆❶と❷に関しては、外人としての6年間の中国生活でいやというほど味わった。生活の中での買い物、バスに乗る、そして大学での仕事における人間関係において。例えば、バスでは運転手は小さな権力者なので、横柄な態度をとる。城官とよばれる地域・地区の警察の下請け組織の人達も横柄な態度をする小さな権力者。中国では、その場その場で、権力的に相手が上か下かを瞬時判断して行動する習慣が浸透した社会でもあるように思う。「幇」を重要視するグアンシー社会は、権力や政府や王朝というものを信用せず、仲間内で助け合い生き延びてきた中国の人々の生き方であると思う。日本と比較してよし悪しの問題では決してない。
◆以上の❶❷ようなことを考え合わせると、中国における会社や店舗が「3年以上続く方が少ない」という理由のようなものがうすうす分かりかけてくる。