アパート近くの福建師範大学構内にある行きつけの「コピーや製本」をする店に向かった。棕櫚(シュロ)の並木ごしに体育館が見える。福建師範大学倉山キャンパスの大門を入ると、大学構内は近隣の住民の姿も多い。
福建師範大学が1907年にこの地に創立されたが、1990年代からこの近辺にも住宅地が広がり多くの人が暮らし始めた。大学の芝生のある運動場は近隣住民の憩いの場所である。夕方の4時半ころに大学構内の運動場周辺に行くと、学校帰りの小学校低学年の女の子たちが遊んでいた。それを見守るおばあさんたち。小さい孫を乳母車に乗せて談笑するおばあちゃんたち。若い恋人たちの様子は初々しい。
夕方4時半頃、運動場にはいろいろな年齢の人たちがもう集まり始めていた。サッカーを楽しんでいる中年の人たちに交じって、アフリカ系の大柄な男性がいっしょにサッカーを楽しんでいた。おそらく福建師範大学への語学留学生なのだろう。どれぐらいの技能があるのだろうとしばらく見ていたが、周りの中国の人たちと同じレベルだった。2013年ころから「一帯一路」政策の一環として、アフリカ系の語学留学生が中国の大学では急増している。閩江大学の場合でもアフリカ系語学留学生をよくみかける。
運動場のトラックをひたすら歩いている人たちもあれば走っている人たちも。砂場の場所には小さい子が遊ぶのを見守っている子供連れのおじいさん・おばあさんが多い。子供のちょっとした遊び用具を近くで売る人もいる。小学校低学年の子供たちが遊ぶ姿も多い。中国は長年の「一人っ子政策」で子供が少ないというイメージはあるかも知りないがそんなことはない。日本の町中などの10倍くらいの子供の数をいつも目にするし、とにかく、若い人も中年も老年の人も、それぞれの年齢層の人があふれるくらい多い。
ちよっとした広場や公園などには、いつもたくさんの人が集まって、いろいろな過ごし方をしている中国。広場ダンス、音楽、武芸、太極拳、広場カラオケ合唱、散歩、子供の子守、トランプやマージャン、日がな一日にいつもの場所に集まって過ごす老年の人たちなどなど。中国の人たちにとって、自宅と違った場所にいつもの仲間と集まって人生の一コマを楽しみ合うという文化が中国には根付いている。なかなかいい光景だなあといつも感じる。日本には少なくなってしまった人々の暮らし方だ。
運動場を後にして、なだらかな大学構内の坂をのぼると、福建師範大学に勤めていたころからの行きつけのコピー屋さんがある。「日本文化論」や「日本近現代文学論」などの授業で学生に配布する資料をコピーするために、今も このコピー屋に通う。大学構内に多い楠(クスノキ)の大木の新緑が美しい。苔むした大木には栗鼠(りす)が住んでいる。頼んだコピーが仕上がるまで、近くにある外国語学部のある建物に行ってみた。ベンチに腰掛けた女子学生が本を読んでいた。
コピーが終わった後、コピー屋の隣にある「理髪店」でだいぶ伸びた髪を切ってもらうことにした。初めてこの散髪屋に入った。「髪を適当に切って」とだけ告げたら、バリカンを使って、頭の両側面の髪をあっという間に刈りあげられてしまった。側面は坊主頭の5分刈りであり、頭の上の髪を多く残した。その結果、完璧な「中国人男性」の典型的な髪型が出来上がってしまった。料金は25元(約400円)で、顔剃りはない。刈る・切る以外の顔剃りも後部の剃りもないのが中国風散髪店。
午後6時頃、授業を終えた学生たちが寮に戻って行く。中国古代衣装を着た女子学生が二人歩いていた。図書館への階段を登って行くと、胸像の横にて一人の女子学生がたたずんでいた。運動場の近くにある木に登って、小学低学年の女の子たちが遊んでいた。カメラを向けたらにっこりと笑ってくれた。
大学構内を取り囲む塀の向こうには、100軒余りの小さな店が小路に並ぶ「学生街」の通りがあるのでちょっと覗いてみた。
大学構内から自分のアパートのある方面を見ると夕日がさしていた。アパート近くの路上で、タケノコや蕨(わらび)が売られていたいたので、この日は蕨を買った。蕨料理の作り方でのあく抜きの方法は、「灰」や「米糠」を少し入れて抜くという方法は知っていたが、あいにく「灰」も「米糠」はない。どうしたらいいんだろう。このことを妻にメールすると、「灰や米糠が無ければ、沸騰した湯に塩を少し入れて20分間ほど湯がいて、一晩ほど水に漬けて、水を絞って、醤油と鰹節で食べます」という方法がありますと返信があったので、さっそくやってみた。
翌日の夕方、中国では鰹節パックが売られていないので、半分は醤油だけで食べ、半分は醤油と味醂とダシで煮込んだ。煮込んだ蕨はやはり美味しくなかった。醤油だけをかけた蕨の方がやはりうまかった。鰹節があればもっといいのだが。