彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国史の戦国時代の一つ「五代十国」時代の国の一つ、「閩国(びんこく)」の「閩王廟」があった

2019-03-05 11:47:18 | 滞在記

  3月2日(土)、蛍光灯を買った店の近くに寺のような廟のような朱色の壁の建物があった。その建物の背後には大きなマンションアパートを建設していて、巨大なクレーンが立てられていた。ふらふらとこの建物に近づくと、「閩王廟」(びんおうびょう)と書かれていた。「ここはあの歴史上の閩国(びんこく)の王を祀った廟なのか、ここにあったのか」と少し驚いた。

 廟の中に入って行くと、小さな小部屋にいた管理人の3人のおばあさんが「じろっと」私を見ていた。一番奥に祀られている木像が閩王なのだろう。デジカメで内部を撮影していたら、おばあさんたちがやってきて、ちよっと厳しい顔つきで「撮影するな」と言う。おばあさんが、「どこから来たのか?」と聞いてきたので、「日本からで、今は仕事を福州でしているんだよ」と答えると驚きの表情。急に表情を和らげてくれた。しばらくこの廟の中をゆっくり見させてもらった。

 中国王朝4000年の歴史—アジアに君臨し続けている中華帝国の興亡の歴史を理解するのは日本人にはけっこう難しい。小さい島国である日本の歴史は、単純で理解しやすいが広大な中国の歴史は全国統一と何回かの戦国時代の繰り返しの歴史でもあったようだ。6〜7年前に中国に赴任するまでは、私も中国の歴史についてはあまり知らなかったが、今は少しだけ詳しくなりつつあるかもしれない。

 日本人にも けっこう知られている中国の戦国時代の一つが「春秋戦国時代」だ。紀元前770年から紀元前221年までの約550年もの間、「覇者」と呼ばれる諸侯が林立し、中原を舞台に激しい争いが展開されていた。合従・連衝を繰り返し、諸子百家が新たに思想を確立させていった時代である。儒学の祖とも呼ばれる孔子などもその一人。戦国の七雄として「燕、斉、趙、楚、秦、韓、魏」などがあったが、秦の始皇帝により全国が統一された。

 その後の戦国時代として「五胡十六国」時代などがあり、その後に随王朝や唐王朝により全国統一。閩国があった「五代十国」時代とは、そのような中国の戦国時代の一つで、日本では平安時代にあたる西暦909年〜945年の40年間ほどの期間である。中国の中原では五つの王朝が興亡を繰り返し、揚子江以南では十の国が存立していた。閩国もその一つで、今の福建省の範囲とほぼ同じくらいを勢力範囲とした国であったようだ。この戦乱の時期を経て、宋王朝により全国統一がされていく。

 

 


ついに切れた蛍光灯、どこに買いに行けばいいんだろう?—今年初めてタケノコを買って食べた

2019-03-05 10:33:02 | 滞在記

 3月1日(金)、この日は午前10時30分から2回生の授業が合計4コマあるので、午前8時30分ころにアパートを出て大学に向かう。アパート棟にある枇杷(びわ)の実が まだまだ青いが かなり大きくなってきている。アパート団地のゲートをでると、最近まで だだっ広いビリヤード店だったところが廃業し、宅配便の店にさまがわりしていた。宅急便のたくさんの段ボールが山積みに乱雑に置かれている。乱雑というより、ゴミ捨て場のゴミのような置かれ方である。

 中国では宅急便(宅配便)は、2013年頃より「うなぎのぼり」に年々増加している。日本と比較にならないほどインターネットでの買い物が近年は多いからだ。ところが、私がよくも利用している日本からのEMS国際便も含めて、荷物の扱いが日本では考えられないような乱暴な取り扱いがされるので、荷物の段ボールが破れて荷物がはみ出していることも多い。荷物を放り投げるからである。丁寧な扱いはまず皆無。荷物を丁寧に扱いお客さんに届けようという、いわゆる職業倫理は この宅急便の業界にもない。公共的な職業倫理というものが、どの仕事にしても極端に少ないのが中国社会の実情だ。

 大学構内の桃の木の花と水辺の景色が中国らしい風景をかもしだしている。今回初めて授業を担当する2回生2班の集合写真をとった。このクラスはなかなか元気で明るい学生が多い。写真に名前を書き込み早く名前を覚えるため。中国は同じ姓がとても多く名前を覚えるのがなかなか難しい。ちなみに、中国で最も多い姓ベスト5は「王、李、張、劉、陳」。王と李の姓を持つ人はそれぞれ1億人を超える。王と李と張と劉と陳の5姓で5億人ちかいのではないだろうかと思う。林や趙や郭や鄭や呉や楊という姓も多い。この11の姓だけで中国の人口の半分の7億人ぐらいになるのではないだろうか。同じ姓がクラスに何人もいるので、大学で中国人学生の名前を覚えるのは日本人にはけっこう難しい。

 2月25日(月)の夜に大学からアパートに戻ったら電気会社から電気を止められていて(電気料金未納のため)、翌朝に回復したが、2月27日(水)〜28日(木)にかけて、蛍光灯が立て続けに2本も切れてしまった。「いつ切れるだろう」と不安に思うこともあった蛍光灯の寿命がついにきてしまった。部屋で最もよく使う2箇所の電灯だった。日本なら知っている電気店に行って付け替えればそれで済む簡単な事なのだが‥‥。この中国生活ではなかなか一苦労だ。まず、蛍光灯がどこで売られているのかが分からない。

 3月1日(金)、大学で中国人の同僚教員の邱さんに電灯や蛍光灯はどこに売っているのか聞いてみたら、街の小さな電気店に売っているとのこと。日本のヤマダ電機とかKS(ケーズ)電機といったような大型家電の店舗はここ福州ではみたことがない。いつも通勤しているバスの路線沿いに電灯を売っていそうな店があることをわずかに思い出した。あそこにいけば売っているかもしれない。

 翌日の2日(土)の朝、居間と寝室兼仕事部屋の切れた2本の蛍光灯を外すことにした。ベットの上の蛍光灯は簡単に外せたが、居間の方は天井が非常に高いので難しい。古い円卓の中華テーブルははめ込み式、上に乗ったらぐらぐらしている。その円卓の上に椅子を置き、位置を調整して、こわごわにそっと上に乗る。ぐらぐらしながら、ようやく蛍光灯のカバーを取り、蛍光灯を外してそっと降りた。

 午前11時頃、アパートを出て、バス路線で記憶にあった電灯を売っていそうな店に歩いて向かう。高架橋の所まで行ったら、高架橋の下で古本をざっと広げて「古本露店」をやっていた。ここなら急に雨が降ってきても大丈夫だ。蘇維賢という人の描いた『古代仕女画』という画集を買った。値段は10元(約160円)。

 初めて歩く道だったが、蛍光灯などの電灯が打っていそうな小さな店があった。電気関連だけでなく、水道関連のものもある小さな小さな店だった。切れた蛍光灯と同じ規格のものを買うことができた。近くに「YAMAHA」「KAWAI」「TOYAMA」という日本の楽器メーカーの看板を掲げた楽器店があった。中国の伝統楽器も含めて売られていた。また、ピアノやギターや吹奏楽器や弦楽器、二胡や琴などの楽器演奏の個人教授も行っていいる店だった。

 来た道をまた折り返してアパートまで向かう。この日は天気が久しぶりにいいので、道に洗濯物を干している家も多かった。小さな果物店ではサトウキビが売られ、それを買う人のため皮を剥いて切っていた。

 アパートに近い道端でタケノコが売られていたので2本買った。(2本で12元・約200円)  日本の京都でタケノコが売られるより季節が1カ月間ほど早い。この日の夕方、タケノコを煮て料理にした。この日は、中国の生活では「最高のごちそう」が並んだ。日本から持ってきた「梅干し」「味付け海苔」「海苔の佃煮」「しば漬け」「山椒昆布」、そして日本の「サンマの缶詰」であった。とてもとても贅沢な食事をとった。

 ちなみに、中国人はタケノコが大好きで、日本人と違って一年中を通してタケノコを食べる。細い竹の子など食べるタケノコの種類も多いまた、タケノコを干物にしたものもあり、料理をする際に水や湯で戻してから料理に使う。中国料理ではタケノコはよく使われる食材だ。まあ、日本と同じような普通のタケノコは、3月や4月の時期に店や露店で売られる。

   この日、買ってきた蛍光灯を再び こわごわの思いをしながら取り付けて 夜の部屋が明るくなった。この1週間は、電気や電灯の問題であたふたさせられた一週間となった。