3月2日(土)、蛍光灯を買った店の近くに寺のような廟のような朱色の壁の建物があった。その建物の背後には大きなマンションアパートを建設していて、巨大なクレーンが立てられていた。ふらふらとこの建物に近づくと、「閩王廟」(びんおうびょう)と書かれていた。「ここはあの歴史上の閩国(びんこく)の王を祀った廟なのか、ここにあったのか」と少し驚いた。
廟の中に入って行くと、小さな小部屋にいた管理人の3人のおばあさんが「じろっと」私を見ていた。一番奥に祀られている木像が閩王なのだろう。デジカメで内部を撮影していたら、おばあさんたちがやってきて、ちよっと厳しい顔つきで「撮影するな」と言う。おばあさんが、「どこから来たのか?」と聞いてきたので、「日本からで、今は仕事を福州でしているんだよ」と答えると驚きの表情。急に表情を和らげてくれた。しばらくこの廟の中をゆっくり見させてもらった。
中国王朝4000年の歴史—アジアに君臨し続けている中華帝国の興亡の歴史を理解するのは日本人にはけっこう難しい。小さい島国である日本の歴史は、単純で理解しやすいが広大な中国の歴史は全国統一と何回かの戦国時代の繰り返しの歴史でもあったようだ。6〜7年前に中国に赴任するまでは、私も中国の歴史についてはあまり知らなかったが、今は少しだけ詳しくなりつつあるかもしれない。
日本人にも けっこう知られている中国の戦国時代の一つが「春秋戦国時代」だ。紀元前770年から紀元前221年までの約550年もの間、「覇者」と呼ばれる諸侯が林立し、中原を舞台に激しい争いが展開されていた。合従・連衝を繰り返し、諸子百家が新たに思想を確立させていった時代である。儒学の祖とも呼ばれる孔子などもその一人。戦国の七雄として「燕、斉、趙、楚、秦、韓、魏」などがあったが、秦の始皇帝により全国が統一された。
その後の戦国時代として「五胡十六国」時代などがあり、その後に随王朝や唐王朝により全国統一。閩国があった「五代十国」時代とは、そのような中国の戦国時代の一つで、日本では平安時代にあたる西暦909年〜945年の40年間ほどの期間である。中国の中原では五つの王朝が興亡を繰り返し、揚子江以南では十の国が存立していた。閩国もその一つで、今の福建省の範囲とほぼ同じくらいを勢力範囲とした国であったようだ。この戦乱の時期を経て、宋王朝により全国統一がされていく。