昨日の朝は「卵かけごはん」。いきいき野菜と、その野菜を食べながら平飼いされた鶏の卵を使う。
天真庵のHPにもリンクしてあるけど、茨城の「八郷」(やさと)というところに、若い人たちが移り住んで、
田んぼや畑をつくり、豚やにわとりなども飼っている不思議な楽園をつくっている。「やさと農場 暮らしの実験室」という。
今の経済学や経営学からいうと、うまくいっているという数字ではないけど、数字やお金ではあらwせない「ゆたかさ」がそこにある。
でもその「ゆたかさ」も、数値化されないし、ミシラヌなんかの評価の対象にならないけど、わかる人にはわかるし、わかるわかものが
少なからず増えてきたような実感が、なんとなく「明るい未来」「なつかしい未来」を想像することができる。ババヌキに興じるアメリカの大統領
やそれに振り回されている国のトップや今どきの会社のトップには、一生味わうことができない世界。
天真庵の味噌は友達から「借金なし大豆」を調達し、それを使って毎年手前味噌をつくる。今年は90人を越え、毎日店の中が
大豆を炊く、田舎のおふくろの味みたいな雰囲気を醸しだしている。
昨日の朝一番のお客さまは、ぼう上場会社の社長さん。絵も描き、茶もたしなみ、二階で普茶料理の会を定期的に
やってくれる人だ。入ってくるなり、「生井さん」の絵に反応した。手帳を見て「う~ん、いきたい」とのたまわり、会社に出陣された。
分刻みのスケジュール、でもきっと「忙中閑あり」の人だ。3時間後に「素敵な画家を紹介してくれてありがとう。そのまんまの人」とショート
メールがきた。移動時間の電車の中まで、スマホ人になっている「忙中閑なし」の人たちとは、似て非なるものを感じた。
昨日の午後は「満つまめの会」 ぜんぜん宣伝していないけど、味噌作りと同じように、横に優美に広がってきて、なかなか予約
がむずかしくなってきた。まーくんが、どんどん腕をあげてきた。昨日は「おんなかっぽれ」の人たちが、つぎつぎに受けにやてきた。
75歳になる先生が「腰がいたくて、昨日はねむれず、朝から食欲もないの」といって、二階にあがった。45分後にニコニコと元気に
降りてきて「そばとほぼぶらじるちょうだい」といった。スゴイ。
夜は22年目になる「論語の会」。少しはやめに到着した生徒は、いつものようにビールを所望。いっしょのご相伴になりながら
映画や近況を語りあう。そんなゆるやかな雰囲気も22年も続く持続可能の秘訣なのかもなんばん。
一時間の勉強の後、酒を飲み蕎麦を手繰る。その時長老が「多少」に関してウンチクを語り始めた。
幹事のSさんと、階段のところにかかっている「江南春」をいっしょに読んだ。「多少」が、この有名な杜牧の漢詩にはいっている。
ゆーちゅーぶで「江南春」と検索すると、これを吟じているお年寄りの画像がでてくる。吟はともかく、映像は、春らしくていい。
説教がましいじじいにならぬよう、他山の石としよう。感謝。
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