第二水曜日は、「そば会・伝授の会」。
未来の蕎麦打ち名人さんたちが、元気に蕎麦を打ちにきた。
この会は、蕎麦のほかに、珈琲や煎茶のことをいっしょに学んだり、
蕎麦打ちの後に、「小さな音楽会」を共に楽しむ、というのも勉強の
一部になっている。
昨日は、野代奈緒さんのピアノと、竹本聖子さんのチェロによるはじめて
の「ピアノとチェロの調べ」。
蕎麦の道具をかたずけるやいなや、リハーサルが始まる。
蕎麦会の準備をしながら、このリハーサルを聴くことができる幸せ感は、
何にたとえたらいいのかわからないほど、いい。
シューマンの「幻想小曲集」から始まる。ピアノとクラリネットの
組合せでは、何度も聴いたことがある曲が、野武士みたいな
聖子さんのチェロの音で聴くと、秋の深山幽谷の世界へ誘われるような感じだ。
同じくシューマンの「ピアノ・ソナタ」。天真庵では3回目の
野代さんのピアノの感じが、より自然体になってきた感じ。
曲の説明に、「どんよりと重たい感じの曲ですが、ところどころに
明るさ(希望)みたいなものが感じられると思います」という解説
どおりの曲だった。「今」とよく似ている。閉塞感がただよい、
感じたままを語れば、絶望的なことが多いが、深い切望を肝の底で
受け入れてしまえば、キラッと光る希望の「き」、みたいなものが見える。
サンサーンスの「動物の謝肉祭より白鳥」。これは、真夏にN響の
宮坂くんが、全身汗びっしょりにして、演奏してくれた。彼は今、
ドイツに留学中。アパートも決まり、元気に大好きなビールを
夜な夜な呑んでいる姿が目に浮かぶ。
バッハの「無伴奏チェロ組曲」。天真庵のホワイトボードの
ライブ情報のところには、これの音符が手書きでかかれている。
池袋時代から、雨の日は、カザルスの「無伴奏チェロ組曲」を
聴きながら、珈琲を飲む、のがならわしだ。昨日、聖子さんが
解説してくれたけど、スペインで生まれたカザルスは、13歳の
時にチェロを習い始め、街の小さな楽器屋にいった時、くちゃくちゃ
になった古い楽譜を見つけ、思わずだきしめ、それを買って家にもって
帰り、毎日毎日練習をして、10年後に演奏会で発表する。そして
その後、スペインを亡命するが、生涯この曲を演奏し続けた。
そのカザルスの弟子でカサドがつくった、「わが最も親愛するカザルス先生へおくる」
という副題のついた「愛の言葉」で、素晴らしい秋の演奏会が、終わった。
今日は、お店はおやすみ。
「古い楽譜」は見つからないだろうけど、大塚の骨董屋が
「清水六兵衛の煎茶椀が入った」と電話をもらったので、
少し覚悟をして、大塚にいってくる。秋に財布の中が空っぽ
になるのは、寂しさが身にしみるけど・・・
明日から、炎色野で、渡辺愛子さんの個展がある。
この写真は、彼女が陶芸を始めたころにつくった「蹲」(うずくまる)。
「人がうずくまる姿に似ている」というところから、信楽の壺の
ことを「うずくまる」という。土の風合いが、自然で、秋に紅葉
なんかを投げ入れると、部屋の中が秋になる。
未来の蕎麦打ち名人さんたちが、元気に蕎麦を打ちにきた。
この会は、蕎麦のほかに、珈琲や煎茶のことをいっしょに学んだり、
蕎麦打ちの後に、「小さな音楽会」を共に楽しむ、というのも勉強の
一部になっている。
昨日は、野代奈緒さんのピアノと、竹本聖子さんのチェロによるはじめて
の「ピアノとチェロの調べ」。
蕎麦の道具をかたずけるやいなや、リハーサルが始まる。
蕎麦会の準備をしながら、このリハーサルを聴くことができる幸せ感は、
何にたとえたらいいのかわからないほど、いい。
シューマンの「幻想小曲集」から始まる。ピアノとクラリネットの
組合せでは、何度も聴いたことがある曲が、野武士みたいな
聖子さんのチェロの音で聴くと、秋の深山幽谷の世界へ誘われるような感じだ。
同じくシューマンの「ピアノ・ソナタ」。天真庵では3回目の
野代さんのピアノの感じが、より自然体になってきた感じ。
曲の説明に、「どんよりと重たい感じの曲ですが、ところどころに
明るさ(希望)みたいなものが感じられると思います」という解説
どおりの曲だった。「今」とよく似ている。閉塞感がただよい、
感じたままを語れば、絶望的なことが多いが、深い切望を肝の底で
受け入れてしまえば、キラッと光る希望の「き」、みたいなものが見える。
サンサーンスの「動物の謝肉祭より白鳥」。これは、真夏にN響の
宮坂くんが、全身汗びっしょりにして、演奏してくれた。彼は今、
ドイツに留学中。アパートも決まり、元気に大好きなビールを
夜な夜な呑んでいる姿が目に浮かぶ。
バッハの「無伴奏チェロ組曲」。天真庵のホワイトボードの
ライブ情報のところには、これの音符が手書きでかかれている。
池袋時代から、雨の日は、カザルスの「無伴奏チェロ組曲」を
聴きながら、珈琲を飲む、のがならわしだ。昨日、聖子さんが
解説してくれたけど、スペインで生まれたカザルスは、13歳の
時にチェロを習い始め、街の小さな楽器屋にいった時、くちゃくちゃ
になった古い楽譜を見つけ、思わずだきしめ、それを買って家にもって
帰り、毎日毎日練習をして、10年後に演奏会で発表する。そして
その後、スペインを亡命するが、生涯この曲を演奏し続けた。
そのカザルスの弟子でカサドがつくった、「わが最も親愛するカザルス先生へおくる」
という副題のついた「愛の言葉」で、素晴らしい秋の演奏会が、終わった。
今日は、お店はおやすみ。
「古い楽譜」は見つからないだろうけど、大塚の骨董屋が
「清水六兵衛の煎茶椀が入った」と電話をもらったので、
少し覚悟をして、大塚にいってくる。秋に財布の中が空っぽ
になるのは、寂しさが身にしみるけど・・・
明日から、炎色野で、渡辺愛子さんの個展がある。
この写真は、彼女が陶芸を始めたころにつくった「蹲」(うずくまる)。
「人がうずくまる姿に似ている」というところから、信楽の壺の
ことを「うずくまる」という。土の風合いが、自然で、秋に紅葉
なんかを投げ入れると、部屋の中が秋になる。
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