昨日も「卒啄珈琲塾」と「無茶しぃの会」だった。ただ生豆を焙煎機で焼くだけ、
それをお湯を注いで抽出するだけの話。でもその「ただ」が奥深い。なんでも
「これでいい」という妥協線を低く設定すると、そこで終わり。目標をしっかり
持っている人は、終わりのない終着点を知っているので、そこまでの道程を
楽しく行脚することができる。だから「終わりは始まり」でもある。
お茶にいたっては、日本人が連綿と積み重ねてきものの「総合芸術」だと思う。
「ここで終わり」はない世界。矛盾のない世界。
昨日は京都で買ってきた「鍵善良房」のお菓子でお茶を楽しんだ。「くずきり」が
有名な祇園の300年の老舗。先週はそれを目当てに大行列ができていたが、こちらは
お店に並んでいる河井寛次郎の器を見て、おひがしを買う、だけ。
来月は新茶を積みに岐阜の茶畑にいって、そこで蕎麦会をやることになった。
こちらは600年以上の歴史がある。高齢化で後継者の問題などでみんな悩んでいる。
そろそろ真剣にならないと「茶の文化」も絶滅危惧種になりそうだ。
「新茶を祝う蕎麦会」5月14日(水)
よって、来月の「卒啄珈琲塾」を翌週の21日(水)22日(木)にずらします。’(業務報告)
「気骨のすし会」を5月28日(水)29日(木)にずらします。
今日は「ねんどの会」
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