長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

あきがこない秋のもの

2012-09-19 10:43:07 | Weblog
昨日は、カフェをやりたい人、サロンをやりたいと思っている人、
新しいメニューを開発中の人たちが、順序よく店にこられ、いっしょに
考えた。いっしよになってものを考えると、脳みそが共有される感覚になる。
人と人が繋がっていく意識の中で、この脳みその共有というのは、実感しやすい。
「私」と「他人」の脳が繋がっていったり、魂が大きな塊(かたまり)で、みんなが
繋がっている、という意識をみんなで共有できたら、日中の問題、日韓の問題も
緩和されるのではなかろうか。日本をでて大陸で活躍している人が行き場を求めて
かえってきても、こちらも行き場がなく、もっと景気が悪くなりそうだし、あちらの
国も、日本との関係が悪くなると、立ち行かなくなると思う。でも勢いがついて、
黄河みたいになるそう。小村寿太郎みたいに、命をはって外交する人物が外務省や政治家
におればいいのだが・・望むほうがむなし。

昨日は「書」の会だった。天気も壊れそうで、人も集まらない?とか思って、
先生と勝手に飲み始めたら、暴徒化した中国人みたいにとまらなくなって、
「今日は飲み会にしよう」となって、居酒屋みたいにカウンターにとまって
飲みはじめたら、いつもの文人墨客たちが、ぞろぞろと集まってきた。が、
そのまんまみんなカウンターに座って、飲み始めた。
書、というのは、まこと人格がそのまま表れる正直な芸事。ときには、
書を書くように飲む、というのも、いいもんだ。

今朝は大雨が降っていたが、元気に蕎麦を打った。
お店は休みだけど、「落語」の日。
千里家まんまさんが、大阪からやってきて、一席やってくれる日。
人間・・・人と人の距離感・・「間」というのが、書も落語も人生いっぱん
に大切やと思う。

白玉の歯にしみとおる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり

実りの秋 浮雲が急をつげるようなことが多いけど、じっくりと
酒をはらわたにしみこませるように、味わい深い人生を楽しみたちとつくづく思う
今日このごろ。

来週26・27は「卒啄珈琲塾」と「無茶しぃ」の会。期待の新人くん
たちも登場する予定。

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