長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

恋は遠い日の花火ではない

2016-07-31 08:51:44 | Weblog

そんな素敵なCMがあったような・・・今は昔。

昨日は「隅田川花火大会」。

この日だけは、ドレスコートありのライブをやるのがならわしだ。

ギターのじんじんさん、ハーモニカのまつもにかさん、ふたりで「もにじん」さんのライブ。

ボッサやサンバを中心に、真夏の素敵な日を彩ってくれ、さながら「ほぼぶらじるデー」だ。

もうきっと8回目か9回目だ、うちのHPの元気の写真集にもあるので、彼が生きていた時からだ。

ライブの前に、若い新婚さんが生まれたばかりの子供を連れて、挨拶にこられた。

ぼくの大学の先輩の久保田さん長男と奥さん、と子供。

大学に入学したころ、毎日のように荒神口にあった「安兵衛」というおでんやにいって伏見の「名誉冠」

を飲んでいた。ちゃんとした仕送りもいただいていたし、普通に生活していたけど、酒を毎日かなりの量を

飲んでいたので、仕送りが「つけ」で飛んでいき、学食では、「ごはん」だけを注文したりしていた。その貧乏ぶりを

みかねて、学食のおばちゃんは、あまったおかずをそっと出してくれて、100円でAランチちょっと以下、くらいの

栄養はとれていた。昭和51年の立命館は、大半が衣笠に移っていたけど、法学部と文学部だけは、御所の

横の広小路校舎に残っていた。久保田先輩もぼくも法学部だったけど、入っているサークルが「英米文学研究所」

いわゆる「ELS」というやつだ。久保田さんは同志社大学・新町校舎の近くの町家に下宿していた。

在る日、「明日、三条京阪の駅に朝六時にこいや」といわれ、行ってみたら、そこから淀の競馬場に

連れていかれた。一般の人が入れない従業員専門の門から入り、ブルーのブレザーを着せられ、

その日から「臨時従業員」として、働くことになった。といっても、京都で開催される40日の土日だけで、厩舎管理

という楽な仕事だった。ぼくがバイトをしていたからふねやが、自給280円。珈琲一杯も同じ値段やった。

仕送りの平均が5万円。家賃が1万円前後。法学部の授業料が年間198000円。それを99000円づつ半期で

分割払いをすれば、なんとかいいバイトがあれば払える時代やった。でもぼくは、それから、年間40万(つまり競馬の

バイトは1日一万)になり、それにからふねやのバイトも店長になったりしてうなぎのぼりで、それに久保田先輩の

下宿のボン・ケイスケの家庭教師も加わり、京都のボンボンくらいの生活ができるようになった。

そんな恩人の久保田先輩は、50の坂を越えずに亡くなり、それからは、きのうのけいくんが時々遊びにくるように

なった。でもやはり、縁というのは、ねっこがちゃんと繋がっていて、その縁を大事にしていたら、亡くなった人と

天国にいく前にも再会できる、そんな気がする。

昨日花火を見ながら、そんなことを考えていた。

今日は日曜日なので16時まで。それから選挙。

明日は「卵かけごはん」夜は「長屋で女史会」二階では「普茶料理の会」

火曜日が「英語でポンビキの英会話」