トイレに飾っている南條さんの寒山拾得の絵に「居」というのがある。
禅の真髄みたいな言葉で、消滅消滅を繰り返す瞬間瞬間をとらまえる境地、
「いま、ここ」の言葉。不立文字(ふりゅうもんじ)とはよくいったもので言葉に
すると、伝わりにくいものだ。その額に、誰か忘れたけど、哲学書の本の帯に
書いてあった「HERE NOW」という言葉を入れてみた。
それを、大石さんが気にかけていて、新しいCDのタイトルがそのままついた。
毎日毎日、ささいもないことや、驚きや、ときには憤りややりきれないことなど、
私たちの人生は、小さな「できごと」で紡がれている。その繰り返しの中で、「はた」
不思議な縁に気付いたり、あの出会いがなければ、今の自分はない、ようなことが
よくある。自分では価値がないようなことも、起きること、出会うこと、みな無駄のない縁。
大石学さんとの縁は、隣の隣のトトロ、ほどかわいくないけど、素敵なジャズきたドラマー
だったセシルモンローが、2011の震災の何日か前に店にもってきた大石さんのCDから始まった。
「大石さんが天真庵でライブをしたい」とのこと。我が耳を疑ったけど、ほんとうの話ですぐに実現した。
でもその夏にセシルは天国にいった。いく一週間前に墨田ジャズフェスがあり、その合間にセシルと大石さん
が天真庵のカウンターに坐り、「クロキリロック」を飲んだ。お店をでる時、「大石学をよろしくオネガイシマス」
といって頭を下げた。それが最後だった。
それから毎年「海の日」が、セシルを追悼する日になり、大石学ソロライブが続いている。
これも「居」である。昨日ライブが終わって、大石さんとクロキリロックを3杯づつ飲んだ。
なんとなくペースがはやい。きっとセシルが遊びにきていて、お互いの一杯分を笑いながら
せしめているに違いない。セシメルモンロー。今年もいい海の日やった。
今日は「タイムドメイン」
明日は「おんなかっぽれ」