天然居士の独り言

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松島へ・・・

2018年07月04日 17時26分40秒 | 日記
 御無沙汰してしまいましたが、予定通り4日ほど出掛けていました。
 いつものように、JR東日本の大人の休日俱楽部パスを利用しての
 4日連続の日帰りの旅でした。

 今回のパスは、6月21日から7月3日までの2週間でした。
 前半は色々な用事があって、4日間を確保できなかった事もありますし、
 天気も微妙だったので中々思い切れませんでした。
 先月の27日に思うように指定席が取れたので、ようやく出発する気になりました。
 ちなみに、パスでは無料で6回指定席を取ることが出来ます。

 初日の30日には、宮城県の松島に行って来ました。
 松島瑞巌寺の改修工事が終わり、落慶法要が行われたのが、6月24日でした。
 綺麗な内に行ってみたいと思いましたし、
 BS日テレで毎週火曜日の9時から放送されている
 「ぶらぶら美術館」でも取り上げられた事もありました。

 瑞巌寺は、ご存知の方も多いかと思いますが、
 元々は、延福寺と言い、828年(天長5年)、
 淳和天皇の勅願寺として慈覚大師円仁が開山したと伝えられています。
 円仁は栃木県出身の高僧です。
 伊達政宗が、1604年(慶長9年)から、桃山様式の本堂などの伽藍を造営させたもので、
 この時、寺の名を改めて「松島青龍山瑞巌円福禅寺」と称しました。

 宇都宮から仙台までは、新幹線だと1時間10分ほどです。
 余り早く出なくても良いので、初日には丁度良いかなと思いました。
 10時30分過ぎに松島海岸に着きました。
 瑞巌寺の参道に行きましたが、以前行った時にあった杉並木は幼木に変わっていました。
 東日本大震災の被害だったのでしょうね。

 瑞巌寺の本堂内は、撮影禁止でしたが、
 綺麗になった襖絵などは素晴らしかったと思いました。
 彫刻なども彩色をすべて創建当初に戻したのかと思っていましたが、
 戻してない所もあって、その方が品が良いかなと思いました。
 いずれにしても、伊達家の財力の豊かさを改めて感じました。

 瑞巌寺の隣の円通院にも寄りました。
 この寺は、伊達政宗の嫡孫光宗の霊廟として、
 1647年(正保4年)三慧殿が建立され開山されました。
 伊達政宗は支倉常長をヨーロッパに派遣しましたが、
 その時持ち帰った資料は「慶長遣欧使節関係資料」として一括して国宝になっています。
 それだけではなく、バラの絵などの意匠も持ち帰ったようで、
 三慧殿の厨子の内側の扉に、バラの絵が描かれていて、
 これが日本最古のバラの絵と言われています。
 それがきっかけなのでしょう、境内でバラ園を作っていて、
 円通院は別名バラ寺とも呼ばれているとの事です。

 松島海岸では、多くの飲食店に穴子丼の看板や幟などが出ていました。
 それで穴子丼と蕎麦のセットを食べました。
 穴子丼、少し甘いかなと思いましたが、美味しかったです。

 昼食後、遊覧船に乗って松島巡りをしてきました。
 20年位前に、息子たちも含めて一家で遊覧船に乗ったことがあります。
 改めて自然の不思議を感じながら、
 東日本大震災の事も思わずにはいられませんでした。
 遊覧船に乗り合わせた小母さん達のグループと話をしましたが、
 その方々は石巻市から来られたそうでした。
 お住まいが内陸部だったので、地震以外の被害はなかったそうですが、
 それでも親戚や知り合いの方を亡くされたとの事でした。
 僕は震災の半年後、2011年9月5日に石巻市を訪れていて、
 半年経っても、復旧が進んでいない現状を見た事があります。
 そんなことを、少し表現に気を使いながらお話をしました。
 石巻市も復興が進んでいるから、今度いらっしゃいと言われ、
 なるべく早く行ってみますと言っておきました。

 船から降りて、松島の名勝の1つ五大堂に行きました。
 岸から離れた岩の上に立つお堂ですが、
 そこに渡る橋の床板が一部ないので、下が見えます。
 少し怖い感じもしますが、それほどの問題はなく渡れました^^

 この日は、長男が帰って来るので、一緒に飯を食おうとの話もあったので、
 少し早めに帰って来ました。
 写真をアップしましたので、宜しければご覧下さい。
 http://photozou.jp/photo/album/2882708

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