昨年の9月4日に手術をした同居人は、
12日に退院して、義姉の家で静養していました。
お袋も家にいましたし、
僕も仕事の関係で四六時中面倒をみられなかった事もあり、
彼女も義姉の家の方がのんびり出来ると望んでいた事でした。
義姉の家に籠もってばかりいるのは良くないだろうと思い、
昨年の9月15日は僕が休みだった事もあって、
彼女を連れ出して少し散歩でもしようかと思いました。
余り遠くに行くのも何かの時に気になるので、宇都宮市内の中央公園に行きました。
中央公園は、県立博物館と同じ敷地にあり、
子ども達を連れて、何度行ったか分かりません。
色々な思い出を話しながら散策しました。
僕はカメラを持って行って、彼女の写真を撮ろうと思っていました。
今後の抗癌剤治療で、髪が抜けると写真は撮りたくないだろうと思ったのですが、
彼女には頑なに拒否されてしまいました。
それで、遠く離れた所からベンチに腰掛けた彼女を撮ろうとしましたが、
気付かれてしまい、そっぽを向かれてしまいました。
それでも1枚だけ撮りましたが、これが彼女を僕が撮った最後の写真になりました。
お昼になったので、どこかで食事をしようと思いました。
どこか洒落たレストランでと思ったのですが、
彼女は、とんかつが食べたいと言いました。
少しでも体力を付けようと彼女なりに思ったのかも知れません。
市内のとんかつ専門店に行って、
ご飯は半分ほど残しましたが、それでも80グラムのヒレカツは綺麗に食べました。
そこから、お彼岸も近い事から、彼女の両親が眠る霊園に行って、墓参りをしました。
僕としては、義父・義母・義兄に守ってもらおうと思ったのですが、
どうも義母達に呼ばれてしまったようです。
まだ大丈夫だと言うので、さらに市立美術館の周辺を散策しました。
ここも、絵が好きだった彼女と一緒に何度行ったか分かりません。
美術館は休みでしたが、林の中の遊歩道をノンビリ歩きました。
しかし、やはり元気はありませんでした。
話していて、何となく透明感があるのも気になりました。
彼女は、19日から抗癌剤治療のため、入院する予定でしたが、
17日に強い痛みを訴えたため、日程を前倒しして入院しました。
そして予定通り抗癌剤治療を頑張ってくれました。
12日に退院して、義姉の家で静養していました。
お袋も家にいましたし、
僕も仕事の関係で四六時中面倒をみられなかった事もあり、
彼女も義姉の家の方がのんびり出来ると望んでいた事でした。
義姉の家に籠もってばかりいるのは良くないだろうと思い、
昨年の9月15日は僕が休みだった事もあって、
彼女を連れ出して少し散歩でもしようかと思いました。
余り遠くに行くのも何かの時に気になるので、宇都宮市内の中央公園に行きました。
中央公園は、県立博物館と同じ敷地にあり、
子ども達を連れて、何度行ったか分かりません。
色々な思い出を話しながら散策しました。
僕はカメラを持って行って、彼女の写真を撮ろうと思っていました。
今後の抗癌剤治療で、髪が抜けると写真は撮りたくないだろうと思ったのですが、
彼女には頑なに拒否されてしまいました。
それで、遠く離れた所からベンチに腰掛けた彼女を撮ろうとしましたが、
気付かれてしまい、そっぽを向かれてしまいました。
それでも1枚だけ撮りましたが、これが彼女を僕が撮った最後の写真になりました。
お昼になったので、どこかで食事をしようと思いました。
どこか洒落たレストランでと思ったのですが、
彼女は、とんかつが食べたいと言いました。
少しでも体力を付けようと彼女なりに思ったのかも知れません。
市内のとんかつ専門店に行って、
ご飯は半分ほど残しましたが、それでも80グラムのヒレカツは綺麗に食べました。
そこから、お彼岸も近い事から、彼女の両親が眠る霊園に行って、墓参りをしました。
僕としては、義父・義母・義兄に守ってもらおうと思ったのですが、
どうも義母達に呼ばれてしまったようです。
まだ大丈夫だと言うので、さらに市立美術館の周辺を散策しました。
ここも、絵が好きだった彼女と一緒に何度行ったか分かりません。
美術館は休みでしたが、林の中の遊歩道をノンビリ歩きました。
しかし、やはり元気はありませんでした。
話していて、何となく透明感があるのも気になりました。
彼女は、19日から抗癌剤治療のため、入院する予定でしたが、
17日に強い痛みを訴えたため、日程を前倒しして入院しました。
そして予定通り抗癌剤治療を頑張ってくれました。