MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

翻訳と状況モデル再論

2005年03月26日 | 翻訳研究
今週は水曜日に卒業式(というのかな?)のあとパーティー2つ、翌木曜日は職場の送別会、ということで、先週の2件と合わせると、これほどアルコールの入った月もないだろう。おそらく新記録である(ただし量はごくわずかだ。)

今日は用事があって渋谷に出かけたのだが、あいにく閉まっていて目的は果たせず。陽気がいいので代々木公園を散策してからBook 1stで買い物。『SF Japan』(春期号)に山田正紀、笠井潔、恩田陸の鼎談があり、その中で山田正紀が「人間は関係代名詞が七重以上に入り組んだ文章を理解することができない、というのは、何か元ネタがあるんですか?」という問いに対して「ありません。まったくの創作です。」と答えている。これですっきりしたが、それはそうだろう。「十三重の埋め込み文になっている古代文字」とでもすれば少しはリアリティがあったかも知れない。もっとも人間はオンラインで直感的に理解することはできなくても、分析して意味をとることは可能だろう。『神狩り2』では「クオリア」(主観的な感覚質)が中心的なアイディアになっている。クオリアについては1)評価不可能、2)問題設定の不良、3)解明可能という立場があるようだが、僕自身はかなり疑問だと思っている。

3月10日にZwaan, R. A. & Radvansky, G. A. の状況モデルに関する展望論文に触れた際、「比較のための第三者」ないし「第三項」として状況モデルを使うのはおかしいと指摘した。もうひとこと付け加えておこう。状況モデル(あるいはメンタルモデル)が言語理解の際に構築されるのであれば、それは翻訳の媒介項として使うのではなく、むしろ「翻訳者は翻訳の読者が構築する状況モデルが原文の読者の作り上げる状況モデルと類似することになるような言語表現を達成すべきだ」、といった翻訳の指針(のひとつ)として使うべきではないか。それは結局「第三項」にすることと同じではないか、とか、それはNidaのDynamic Equivalenceとどこが違うのかという反論はありうる。しかし「原文→状況モデル→訳文」という、いわば三角モデルと、「原文→状況モデル1 訳文→状況モデル2 状況モデル1,2の比較」というモデルは同じではない。また、Nidaの「核文以下のレベルでの転移」とも違う。翻訳者は原文から得られた状況モデルを入力として翻訳のproductionを行うのではない。この事情は関連性理論の「解釈的類似」に基づいて翻訳する場合でもたぶん同じだ。比較は翻訳の初稿のあと、「事後的に」、第三項を解さずに直接行われる。ううむ、うまく説明できていない。

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10 コメント

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Unknown (mkk)
2005-03-27 17:07:10
まず質問です。「翻訳者は…状況モデルを入力として…行うのではない」というのは証明されたことですか?「たぶん同じだ」というのは、水野様のご意見ということですか? 翻訳者によって、あるいは翻訳状況によってモードが異なるということは? つぎにコメントを少し。「状況モデル1,2の比較」は翻訳プロセスのうちでも認知レベル(というのか…)よりは、かなり意識的な編集作業にあたる、ということですね?(それでも、やはり翻訳状況によってはある種の第三項が呼びこまれることがあるのでは?これも、翻訳者による違い?スミマセン、少ししつこいですが、最近、訳する人の資質・習慣ETCによるプロセスの違いを感じるので…)
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Unknown (みずの)
2005-03-28 23:59:49
コメントありがとうございます。これ自体はまだ証明されているわけではありません。僕の考えにすぎません、が、Thin Aloudなどの手法を使って正否を見ることはできると思います。要するに翻訳者は何に基づいて翻訳するのかという問題ですね。状況モデルは空間的図式やイメージまで含む、かなり広い概念のようですから、いわゆるdiscouseの心的表示(mental representation)とぴったり重なるものではないようです。本来は言語理解のための概念ですから。ですから状況モデルを補助的に利用することはあると思いますが、状況モデル自体が入力になることは極めて例外的だろうと思います。翻訳の入力になるのはまず談話(原文)の心的表示を目標言語の心的表示に転移して、語用論的な機能や情報構造、関連性を検討し、そして状況モデル参照して(さらには翻訳の目的(具体的にはクライアントの指示など)を考慮して)、心的表示に必要な修正を加えた上で、最終的に訳文を産出するのだろうと思います。あの論文の著者たちも言っているように、すべての言語表現に状況モデルが作られるわけではありませんから、その点からも状況モデルが翻訳の入力になるとは言えないのではないでしょうか。ちなみに一般的言語能力が劣っていてもdomainの知識が豊富にあれば、優れた言語能力を持っていてdomainの知識がない者よりもよい成績を上げることができる、という指摘もあります。状況モデルを作りやすいためだそうです。この点は翻訳者の背景知識の問題に関わります。

あとの方は、その通りですね。編集段階と言っていいと思います。
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状況モデル (cricket)
2005-03-29 08:35:43
専門外のこっちにも首をつっこんですみません。1.スキーマ、メンタルモデルが現在状況モデルという形で理論化されている、というを知り、参考になりました。2.水野先生のおっしゃっていることは、「状況モデル」という「意味」表示のレベルがあるのではなく、想定オーディエンス個人個人の中に作られる「状況モデル、のようなもの」の総体を意識して訳す、という説明ならそこで手を打ってもいい、とおっしゃってるのでは?「状況モデル」がどれだけ実態のあるものか、使ってもよいものかは、オーディエンスの均質性に依存するわけです。3.最後の部分、私的な言葉を使って説明すると、こういうことと同じですか?a. 理解と生成の区分 b. 自動化(先生のコメントに自動化がでてきたのはうれしかったです)

①まず、理解(評価)と生成の非対称性。わかるけどできないことは多い。②文章を作ったり作品を作ったり翻訳を作ったりする場合、人は、生成者の立場と理解者の立場をいったりきたりしている。つまり、自分でえいやっと作ってみたものを理解者の立場で観察してみてOKかどうかを評価している。(もちろん、編集とか推敲とかいったような意識的なものもその一部ですね)③ある入力に対して②の過程で安定してきたものは自動化されて単にすばやく訳・表現・生成できるようになる。



ながながすみません。
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状況モデル (みずの)
2005-03-30 00:39:48
いや、この分野は誰がコメントしても構わないと思いますね。僕もしろうとですし。

ご指摘のように状況モデルと意味表示は重ならないのですね。最初からそう言えばよかったんですが。たまたま翻訳にも役立つという箇所で取り上げられた実例が、意味表示レベルのようにとられかねないものだった、ということです。何か中間言語のようなものと解釈されかねない感じがありました。

翻訳者は実際にはいろいろなことをやっているのでしょうが、熟練した翻訳者ほどTAPではとらえられないような自動性をそなえているんじゃないかと思います。なんだかしらないが、とにかく訳してしまうということですね。



別件ですが「曼荼羅道」は集英社文庫、「善魂宿」は新潮文庫です。

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状況レベル (cricket)
2005-03-30 08:43:36
早速のご回答どうもありがとうございます!別件の方も早速探してみます^^
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Unknown (mkk)
2005-03-31 18:57:29
水野先生、ご返事コメントありがとうございます。CRICKETさんも…(あなたは例のブログの方?時々読んでます)ちょうどあるところの課題でピタッと関連する文献を読んでいたため初めのコメントを書かせていただきましたが、なるほど、なるほど。状況モデルがどこまで何を含むかということでかなり変ってゆくような…。さて、研究者としてはまだまだですが、実践者としては熟練組に入る(多分…)者としては、TAPでは翻訳プロセスについては何もわからない、という意見です。また「心的表示」について誤解しているのかもしれませんが、「目標言語の心的表示」とありますが、これは「原文の心的表示」とは別ととらえられているのですか?スミマセン、今度はコメント、質問ごちゃまぜですネ…勉強にもどりマス…。
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目標言語の心的表示 (みずの)
2005-03-31 22:56:41
そうです。「心的表示」というのはmental representationの訳語です。これはJames Holmesの翻訳モデルをもとにしています。Jean Delisleなどの、起点言語→(非言語化された)意味→目標言語という三段階翻訳モデルは一見とてもわかりやすいのですが、説明力が弱く、翻訳プロセスモデルとしては不十分です。もちろん中間の「非言語化された意味」を操作可能な意味表現に変えるというやりかたも考えられますが、各言語で表現できるすべての意味内容を、言語に依存しないで表現できるような意味表現を設計するのは不可能と言われています。

 翻訳のプロセスモデルとしては僕はJames Holmesの'two-plane, two-map model'がいいんじゃないかと思っています。このモデルはごく簡単に言うと、翻訳者は原文を理解し原文の心的表示(Holmesはこれをmapと言います)を作り上げ、その上で様々な選択をする。その選択に基づいて第2のmap(目標言語の心的表示)を作り、それを基準にして訳文(目標言語)を産出する、というものです。起点言語のmapから目標言語のmapへの転移を媒介するのは「対応規則correspondence rules」です。

 こういう翻訳のプロセスモデルの研究はもっと進める必要があると思うのですが、最近はあまり見かけませんね。(Delisleの本もHolmesの本も1988年刊です。)
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気鋭ですね。 (cricket)
2005-04-01 23:23:29
「例の」かどうかわかりませんが、spiral_cricketなら私です。w 

さすが水野先生、通訳翻訳理論、言語理論と大変幅広く展望が利いてますねえ。また、mkkさんなど優秀な方が集まられるところもすごいです。
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埋め込み文 (cricket)
2005-05-03 10:40:18
最近気になってる鈴木健というヒトのブログで、7つまで、という論文に関して出てましたよ。http://blog.picsy.org/
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中央埋め込み文 (みずの)
2005-05-11 23:14:17
すみません。気づくのが遅れまして。

鈴木健さん、そして鈴木さん経由で池上さん、面白いですね。

ただ、僕がイメージしていたのは中央埋め込み文center-embedded sentencesでした。こんなの(↓)



The rat the cat the dog bit chased ran away.



Millerのmagical number 7 (plus minus 2)というのはかなりいいかげんな実験の結果で、被験者がリハーサルできてしまうような状況だったようです。最近のコンセンサスは4 (plus minus 1)で、1(笑)という主張もあります。
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