MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

希望格差社会 魂の労働

2005年03月28日 | 
昨日は草月ホールで、50歳以上のシェイクピア劇「真夏の夜の夢」を観てきた。通訳仲間の谷島さんが出演したのである。驚いたのは観客の動員力。満員御礼である。それも2日間だそうだ。50歳以上のエネルギーにはすごいものがある。

テレビ番組「フリーター漂流」山田昌弘の『希望格差社会』がきっかけで、時間もないのによけいなテーマに首を突っ込んでいる。山田の主張の大筋はこの議事録で言い尽くされており、この資料と付き合わせればほぼ理解できるだろう。以前の『パラサイトシングルの時代』(ちくま新書)もかなりいいかげんな話で、厳しい批判もあるが、今回も「ニューエコノミー論」を根拠にして、格差はやむを得ないがニートやパラサイトにもささやかな希望は与えなければならないとして、擬似的なコミュニティの構築を提案している。結局は「それなりに認めてやるからおまえら働けよ」ということにしかならない。こうした疑似的コミュニティへの取り込みの企てに対しては渋谷望『魂の労働─ネオリベラリズムの権力論』(青土社)を対置すれば十分だろう。

「「快楽」ないし「自己実現」の場としての労働を強調するアプローチによって、個人と労働との間の運命主義的な強固な心理的絆は解かれ、組合への結束は解体される。代わって産業構造の変化にフレキシブルに対応可能は労働力が創出される。」

「80年代を通じて日本では「社会参加」という言葉は、「自己実現」ないし「生きがい」といった言葉に接合し、フレキシブルな労働と、フレキシブルな福祉供給を同一の平面で語ることを可能にしてきた。」

「〈コミュニティ〉への訴えかけによってわれわれが誘われるのは「労働」ではなく「活動」である。この戦略は〈公的なもの〉と〈私的なもの〉に関するわれわれの表象を"脱構築"する。すでに見たように、それは従来私的なものとみなされていた「自己実現」と、公的なものとみなされていた「義務」ないし「活動」(アーレント)を同一の次元に流し込むからである。そこではフレキシブルな低賃金労働が「活動」と称され、これに耐えることが「善」なのである。」

こうした渋谷の主張は、たとえば医療通訳や手話通訳は対価をともなう仕事なのか福祉(ボランティア)活動なのかという問題の解明のためのヒントを与えてくれるのではないか。ついでに言っておけば「自己実現」としての労働」というのは別に新しいことではなく、古くからストライキに反対する口実として使われたのだ。しかし、渋谷の主張はさらに実証的・理論的に補強される必要がある。おそらくは知的熟練論批判を通じた労働組合論の再構築が必要になるだろう。以上の記述はきわめて不十分で、分かる人でないと分からないとは思うのだが、とりあえず提起しておく。

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