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震災被害の宮城県に支援部隊:初の国外活動、46人を派遣

2011-03-28 11:53:54 | 多文化共生
(以下、NNA.ASIAから転載)
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震災被害の宮城県に支援部隊:初の国外活動、46人を派遣[社会]

日本外務省は25日、東日本大震災の被災地にインドから国家災害対策局(NDMA)の支援隊46人を受け入れると発表した。国家災害対応部隊(NDRF)が宮城県利府町を拠点に10~12日間活動する予定。2005年に部隊が発足して以来、国外で活動するのは初めてという。またインド外務省は支援物資の第3弾としてビスケットの送付を準備している。

部隊は、がれきの撤去を含めた支援・復旧活動に従事する予定。東京電力福島第1原発事故から放射能漏れが起きている対策として、放射線検出器や放射線防護服を持参するという。

インドの地元メディアによると、レディー副局長は海外への派遣は初めてなものの国の誇りとなる活躍を期待していると述べている。同局は地震発生後から部隊の派遣の準備をしていたという。

日本外務省によると、これまでにインドから届いた支援物資は、毛布2万5,000枚とミネラルウオーター1万3,000本で、被災地に順次配布される。インド外務省では、数日以内に栄養価の高いビスケットを第3弾の支援物資として送付する予定を明らかにしている。

■295人記帳

在インド日本大使館は24日、前日まで1週間の記帳期間に、震災の被害者を追悼する目的で邦人115人と邦人以外180人の合わせて295人が来館したと発表した。17日にシン首相、翌日にクリシュナ外相が記帳していた。このほかに政府要人や各国大使なども記帳に訪れている。

日本外務省によると、25日午後11時現在の外国からの支援申し入れ数は、133カ国・地域と国際機関39団体。

インド以外の南アジアでは、パキスタンがビスケット13.5トンと常温保存可能な牛乳9トン、ミネラルウオーター750リットルを26日に届けている。また在日パキスタン人のボランティアが被災地で支援物資の配布やカレーの炊き出し支援などを行っているという。ネパールからの毛布5,000枚も26日に到着している。

義援金の支出では、スリランカとブータン両政府がそれぞれ100万米ドル(約8,140万円)を日本赤十字社に寄付を行っている。

■ミャンマー地震支援も

一方、シン首相は26日、24日にマグニチュード(M)6.8の地震で被災したミャンマーの最高指導者タン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長に対し、見舞いのメッセージを伝えている。

シン首相は、必要などのような支援も提供する用意があると表明した。

米地質調査所(USGS)によると、地震は午後8時25分に発生。震源地はヤンゴンの北東589キロメートルで、震源の深さは10キロメートル。

国連緊急援助調整官室(OCHA)によると、少なくとも73人が死亡し、125人が負傷している。非政府組織(NGO)のワールド・ビジョン・インターナショナルによると、9万5,000人が被災した可能性がある。

役割果たす姿に共感  被災地の韓国人留学

2011-03-27 21:23:23 | 多文化共生
役割果たす姿に共感 
被災地の韓国人留学生 

「すべてが汚染されたわけじゃなく、それぞれの立場でみんな頑張っている」。命懸けで原発事故の危機回避に努める技術者、消防隊員ら。外国人を支えるボランティアの人たち…。東北大(仙台市)で物理学を学ぶ韓国人留学生、姜正敏(カン・ジョンミン)さん(26)は、混乱の中で自らの役割を果たそうとする人たちの存在を知り、「日本で生きていこう」と心を決めた。
地震の当日、大学の研究室から飛び出し、広場に避難。仙台市内の避難所に身を寄せながら、仙台市の災害多言語支援センターで、韓国語での相談対応や災害情報の翻訳ボランティアを始めた。出国方法や放射線の影響を尋ねる電話が鳴りやまず、地元ラジオ局「Date fm」の多言語災害番組にも参加した。
地震から2日後、やっと電話がつながったソウルの両親は「早く帰ってこいとパニックになっていた」。危機感を強める諸外国と、冷静な対応を呼び掛ける日本。報道の違いに「どっちを信じればいいのか」と混乱する人も多かった。留学生たちは次々と日本を離れた。
しかし、大学の教授は放射線量を測りながら、研究再開の準備をしていた。仙台市災害多言語支援センターのスタッフは、日本語が不得意な外国人を助けようと、懐中電灯の明かりを頼りに電話に向かい、騒然とするセンターに寝泊まりしていた。
「自分たちが被災して大変なのに、外国人を助けようという仕組みがすぐに立ち上がるのはすごい。感動した」。大学の勉強を終えたら、どこで何をしたいのか。曖昧だったものが明確になった、と姜さんは言う。
原発での最悪の事態を防ごうと、今も大勢の科学者、技術者が昼夜奔走している。「韓国語しかできない僕にも役割があったのは幸運だった。ここには仲間がいるし、今この時期を頑張って、僕も社会への責任を果たせる仕事をしたい」と、将来に目を向けた。

東日本大震災:在県米国人2人、支援物資届ける

2011-03-27 13:57:24 | 多文化共生
(以下、毎日新聞【群馬】から転載)
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東日本大震災:在県米国人2人、支援物資届ける--渋川行政県税事務所 /群馬

 東日本大震災で避難生活を送る人々を支援するため、県国際課職員のブルック・ブラウンさん(30)、米国籍=と、渋川市立赤城南中の外国語指導助手のラーナ・ヤコブレーバさん(28)=同=が26日、仲間などから集めた段ボール約25箱分の物資を渋川行政県税事務所に届けた。

 ブラウンさんは04年に来日し、約2年間、震災で大きな被害を受けた岩手県大船渡市で英会話教室の講師を務めた。ブラウンさんは「東北の皆さんは希望を失わないでほしい」と話した。【塩田彩】

イスラエル、医療チーム日本派遣 東日本大震災、外国から初

2011-03-27 13:56:45 | 多文化共生
(以下、47NEWSから転載)
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イスラエル、医療チーム日本派遣 東日本大震災、外国から初


 26日、イスラエル南部のネバティム空軍基地で、日本への出発前に放射線検査を受ける緊急医療チームの兵士ら(AP=共同)

 【カイロ共同】東日本大震災の被災者の治療を目的としたイスラエル緊急医療チームが26日夜、特別機で同国を出発した。日本外務省によると、震災被災地に外国政府が医療支援団を派遣するのは初めて。医師や看護師、薬剤師、通訳を含め約60人で、宮城県栗原市を拠点に、津波で被害を受けた同県南三陸町に仮設診療所を開設する。

 被災地では医療従事者や医薬品の不足に加え、インフルエンザやノロウイルスなどの感染症拡大が懸念されており、そうした苦境を打開する一助となりそうだ。

 イスラエル軍によると、医師は内科や耳鼻科、小児科、婦人科などで、軍の部隊として編成された。また、計数十トンの医療機器や医薬品のほか、防寒着1万着や毛布6千枚、手袋約8300組、携帯トイレ150セットなども別途発送した。

 医療チーム先遣隊が20日に訪日し、栗原市などで被災地の状況やニーズなどを調査していた。

2011/03/27 09:43 【共同通信】

石巻の友人見捨てない英国人准教授

2011-03-27 13:55:49 | 多文化共生
(以下、日刊スポーツ新聞から転載)
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石巻の友人見捨てない英国人准教授

 石巻が好きだから-。福島第1原発の放射性物質が漏れた影響で在日英国大使館から退避指示を受けながら、途中で引き返して宮城県石巻市に残った英国人がいた。同市に暮らして18年になる石巻専修大理工学部准教授のリチャード・ハルバーシュタットさん(45)。1度は英国帰国を決意しながら「友だちを見捨てたくない」と寸前で思いとどまった。津波被害からの復興に、仲間とともに尽力している。

 5階にある自宅は、津波被害だけは免れた。だが、地震で部屋はハチャメチャ。地域では電気も水道も、ガスも復旧しない。汚泥の悪臭が鼻を突き、マスクは外せない。それでも、ハルバーシュタットさんは「正直、今の生活は嫌ですよ。街はひどいし、不便でトイレも満足にできない。でも、残ったことに悔いはないんです」と打ち明けた。

 地震当時、大学研究室にいた。大学は高台にあり、津波被害も受けなかった。だが、街に戻って初めて、被害の甚大さを目の当たりにした。仲良しだった金物店の友人夫婦は、津波にのみ込まれた。遺体が見つかった車に駆け寄ると、友人が大好きだった日本酒を注いだ。知人が何人も、消息不明になった。

 在日英国大使館からの連絡は17日、突然あった。「東北の人は国外に出た方がいい」。福島第1原発から80キロ以内が、英国政府の退避勧告区域。石巻は100キロ以上離れており、勧告ではなく指示だったが「すごく悩みました」。日本人の友人は全員「当然、行くべきだ」と言った。周囲の外国人100+ 件は帰国し、英国の友人からも「帰ってこい」とメールが来た。迷いながらも、1度は帰国を決意した。翌18日、涙で友人と別れを惜しみ、大使館の迎えの車に乗った。

 電気が通っていた仙台で1泊した際、震災以来初めてテレビをつけた。石巻市内の惨状が映っていた。すると、全壊した家の前でおばあさんが笑っていた。「すべてなくしたから、もう笑うしかないよ。これから頑張るしかないね」。

 「衝撃的でした。なんで笑えるのかと。自分の家は無事で命もあるのに、逃げることになる。友だちを見捨てることはできないと思った。行けば、自分で自分が許せなくなる」。88年から3年間、山形・鶴岡市で暮らして日本が好きになった。93年に再来日し、石巻専修大で英会話を教えてきた。以来18年暮らした第2の故郷に、わずか一夜で引き返した。前日に送り出したばかりの友人に「ばか者」と怒られた。それが「うれしかった」。もう1度涙で再会を喜んだ。

 石巻駅前で物資を配り、トイレ掃除などを手伝う。「みんなには『英国で募金活動と、石巻の名前を広めてこい』と言われていたので、任務失敗と言われています」。だが、新たな使命感は胸の中にある。「元通りにすることはできないかもしれない。でも、楽しい街にもう1度、絶対する」。その日を、夢見ている。【今村健人】

 ◆石巻市の被害状況 宮城県のホームページによると、26日午後4時30分時点で死者は2127人、行方不明者が2720人と同県内で最も被害が大きかった。避難所は169カ所、避難者は2万7172人とされる。被害の大きかったのは沿岸部と河口部で、住宅の全壊、半壊、浸水などは数えきれず、調査中とだけ記されている。電気や水道などライフラインは一部復旧した地域もあるとされるが、依然として厳しい環境が続いている。

 [2011年3月27日8時49分 紙面から]

感謝込めて集めた支援物資 県内の南米出身者が発送

2011-03-27 13:54:54 | TOYAMAな多文化共生
(以下、朝日新聞【富山】から転載)
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感謝込めて集めた支援物資 県内の南米出身者が発送
2011年3月27日


富山日伯交流友の会が集めた支援物資=26日午後4時10分、高岡市駅南の「コラソン・ド・ブラジル」

 県内に住む南米出身の外国人らが26日に支援物資を集め、高岡市を通じて被災地へ送った。派遣切りなどで失業した際の支援の恩返しに、と協力を呼びかけたという。

 富山日伯交流友の会(木口実会長)が、高岡市を中心に県内で暮らすブラジル出身などの日系外国人会員に呼びかけた。ペットボトルの飲料水やコメ、紙おむつなどの日用品トラック1台分が、同日夕までに同市駅南のブラジル料理店に持ち込まれた。木口会長は「2008年の不況時に派遣切りなどで食べ物にも困った際、暖かい支援をいただいた会員らから、震災支援を申し出る声が寄せられた」と話す。支援物資の受け付け締め切りの27日に、市へ渡す。

■県、31日まで救援物資受け付け

 県は大震災の被災地に送る個人からの救援物資の提供受け付けを31日まで延長することにした。集めているのは、調理が不要な食料、新品の衣服、乳幼児・高齢者用の紙おむつ、割り箸やウエットティッシュなどの生活用品。それぞれ品物ごとに箱単位で梱包(こんぽう)する。

 土日を含む午前9時~午後4時、富山市婦中町島本郷にある県トラック協会の緊急救援物資備蓄倉庫で受け付ける。

東日本大震災:「国籍関係ない」外国人ら援助申し出

2011-03-26 17:55:28 | 多文化共生
(以下、毎日新聞から転載)
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東日本大震災:「国籍関係ない」外国人ら援助申し出

2011年3月26日 14時4分 更新:3月26日 14時11分


在日外国人から寄せられた大量の救援物資(左)。受付を務めたのは日系ペルー人ボランティア=三重県鈴鹿市のNPO法人「愛伝舎」で(同法人提供)

 「国籍は関係ない。被災者が心配だ」--。甚大な被害に見舞われた東日本大震災の被災地に向け、東海地方に多く住む中南米系外国人らの間でも、救援物資を送る動きが広がっている。

 ブラジルやペルーなどの中南米出身者を支援する三重県鈴鹿市のNPO法人「愛伝舎」には、震災直後から救援物資を送る方法の問い合わせが相次いだ。当初は市が物資を受け付けていなかったため、愛伝舎で受け付けると段ボール30箱以上の物資が集まった。

 トイレットペーパーやおむつなどを寄付した日系ブラジル人の介護施設職員、トクホ・チエミさん(36)は「どうすればいいか分からない部分もあるが、役に立ちたい」。

 岐阜県美濃加茂市の市民団体「ブラジル友の会」も、市の物資受け付け開始に合わせ、トイレットペーパーを募り始めた。同会の金城エジウソン代表は「ブラジル人か日本人かは関係ない。何かしたいと思っている」と語った。

 一方、日本人と同様に外国人たちも福島第1原発事故を心配する。名古屋市の外郭団体「名古屋国際センター」によると、震災が発生した11日から25日までに受けた地震に関する相談38件のうち、原発事故についての質問は5件あった。だが同センターでも、最も多かった問い合わせは「被災地に救援物資を送りたいが、どうすればよいか」の9件。ボランティアの登録先の問い合わせも5件あるという。【岡大介】

国際移住機関が外国人の帰国支援 被災者に交通費など負担

2011-03-26 17:54:54 | 多文化共生
(以下、47NEWSから転載)
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国際移住機関が外国人の帰国支援 被災者に交通費など負担

 難民の帰還などを支援する国際移住機関(IOM)の東京事務所が、東日本大震災で被災し、帰国を希望する在日外国人件を母国に帰す取り組みを進めている。

 同事務所は既に100人以上を帰国させたが、支援を必要としている外国人は数千人に上るとみている。

 申請には(1)震災当日まで青森、岩手、山形、宮城、福島、栃木、茨城、千葉の8県に居住(2)帰国資金がなく、頼る人もいない(3)未成年、夫を亡くした女性など人道的観点から特に支援が必要―などの要件を満たす必要がある。

 避難先から最寄りの空港までの交通費を負担し、母国への片道航空券を手配する。英語、中国語、韓国語、タガログ語、ポルトガル語、タイ語での相談を受け付ける。

 バリガ所長は「未曽有の災害で特に弱い立場の人を支援していきたい」と話している。

 問い合わせはIOM東京事務所、電話03(3595)0106。

退避直前、引き返す  18年在住の英国人男性

2011-03-26 17:54:16 | 多文化共生
(以下、47NEWSから転載)
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退避直前、引き返す  18年在住の英国人男性 


 福島第1原発の放射性物質漏れで外国人の帰国が相次ぐ中、避難便に乗る直前に思いとどまり、被災地・宮城県石巻市へ引き返した英国人男性がいる。石巻専修大准教授のリチャード・ハルバーシュタットさん(45)。「この町の魅力は人に尽きる。仲間とサンマのぬたをもう一度食べたい」。18年暮らし「故郷」になった港町で、被災者支援に力を込めている。
 1993年に来日し、学生に英会話を教えてきた。3月11日、大学研究室で被災、幸いけがはなかった。しかし、良き相談相手だった金物屋の夫婦は津波にのまれ、亡くなった。遺体が見つかった車に日本酒を注いで手を合わせ、親友の冥福を祈った。
 「国外退避を手伝う」と、在日英国大使館から緊急連絡が入ったのは17日。英政府は福島第1原発の半径80キロ以内からの退避を勧告していた。
 石巻市は退避勧告の対象外だが、津波の被害で電気も水もない。へどろの臭いが鼻を突き、がれきが町にあふれていた。「普通の生活がしたい。原発も怖い。でも、みんなを置いて出て行くのか」。一晩中悩んだ。周りの友人は帰国を勧めてくれた。
 用意された車で18日に仙台市のホテルへ。震災後初めて見たテレビは、石巻市の惨状と住民の姿を映していた。「何も残っていなくても、おばあちゃんたちは元気に生きていた。腰抜けの自分が情けなかった」。翌朝、東京行きのバスには乗らず、引き返した。
 支援の拠点は、避難所になった石巻市内のホテル。家族の安否確認に来る人と応対したり、トイレを掃除したりしている。「リーダー役も、力仕事も苦手。でも一緒にいれば何かの役に立つ」。立ち直った石巻で、仲間と飲み明かすのが楽しみだ。(共同通信 2011年03月26日)
2011/03/26 11:21

外国人介護福祉士・看護師候補者の滞在期間延長へ

2011-03-23 14:01:44 | 多文化共生
(以下、ケアマネジメントオンラインから転載)
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外国人介護福祉士・看護師候補者の滞在期間延長へ

政府は、3月11日、経済連携協定(EPA)に基づくインドネシア人、フィリピン人の看護師・介護福祉士候補者の滞在期間について、1年間の延長を認めることを閣議決定した。

対象となるのは、2008年度、2009年度に入国したインドネシア・フィリピン人看護師、介護福祉士候補者のうち、本人に国家試験合格をめざす意思があること、当初の予定で最後の受験機会となる国家試験の得点が一定水準以上であることなど、一定の条件を満たした者。具体的な条件については、改めて検討する。

EPAに基づく滞在期間は、看護師候補者は3年、介護福祉士候補者は4年である。看護師候補者では、2010年2月実施の国家試験で初めて合格者が出たが、3人のみで、合格率は1%程度。

一方、介護福祉士の場合、3年間以上の実務経験が受験資格の一つとなっているため、結果的に、4年間の滞在のうち、チャンスは1回のみとなっていた。

また、国家試験に合格できるレベルまで日本語を習得することは容易でないことが判明し、2010年度からは、インドネシア・フィリピン人看護師、介護福祉士候補者に対する追加的な学習支援を本格的に開始していた。

今回の滞在期間延長は、こうした状況を受けて決定されたもの。

介護福祉士候補者の国家試験受験は、2011年度以降に始まる。