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京都府、外国人客向け24時間電話通訳 5カ国語対応

2014-07-31 13:24:40 | 多文化共生
(以下、日本経済新聞から転載)
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京都府、外国人客向け24時間電話通訳 5カ国語対応
2014/7/31 6:00

 京都府は京都市を除く府内の全宿泊施設で、8月1日から外国人観光客向けの電話通訳サービスを始める。急病など緊急時の問い合わせや様々な相談に英語など5カ国語で24時間対応する。外国人客の満足度を高め、リピーターを増やす。

 ホテルのスタッフらが専用ダイヤルに電話し、通訳者がホテル側と外国人客と交互に話しながら意思疎通する。急病時の病院探し、ホテルでの延泊希望やインターネットの使い方などの相談を想定する。中国語や韓国語、スペイン語、ポルトガル語にも対応する。

 外国人客は無料で、通話料は宿泊施設の負担。宿泊施設がよくある質問と回答を掲示したい場合などにメールを通じた翻訳にも応じる。

 ホテル・旅館など824施設が対象。京都市は3年前に通訳サービスを始め、現在約900施設で導入済み。同様の仕組みは大津市や奈良市も取り入れている。

通訳官に直通 新110番で外国人も安心 

2014-07-30 09:11:57 | 多文化共生
(以下、読売新聞から転載)
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通訳官に直通 新110番で外国人も安心 
2014年07月30日


 日本語が分からない外国人からの110番の内容を素早く把握できるよう、県警は通報を通訳官の携帯電話につないで3者通話を行う新たなシステムの運用を始めた。県警本部や各署で勤務する警察官のうち語学に堪能な49人を通訳官に指定。13言語で24時間対応し、外国人と通信指令係とのやりとりをサポートする。

 県警通信指令課によると、以前のシステムでは110番回線を加入電話や携帯電話に接続できず、外国人から通報を受けた場合は、通信司令室と同じフロアにある教養課通訳センターから通訳官を呼んだり、通訳官から通報者に電話をかけ直したりしていた。

 2月に導入した新システムでは、通報をそのまま通訳官の携帯電話につないで3者で会話できるようになった。運用が始まったのは6月23日からで、対応言語は英、露、北京、広東、韓国、アラビア、ウルドゥー、スペイン、ポルトガル、タイ、タガログ、ベトナム、ペルシャ。

 昨年の110番約14万件のうち外国人からの通報は144件で、日本語が通じないケースは4件あった。同様のケースは過去6年間で年平均2・5件と多くはないが、昨年4月に新潟市中央区の信濃川で中国籍の男女2人が転落して死亡した事故では、転落直後に一緒にいた中国人男性が110番したものの日本語が通じなかった。騒ぎを聞いた近隣住民が6分後に通報し、新潟中央署員が現場に向かったという。

 通信指令課は「外国人からの通報にも迅速に対応したい。事件事故があれば日本語ができなくても迷わず110番してほしい」と呼びかけている。

2014年07月30日

ダイバーシティの成果で輝くルノー

2014-07-30 09:10:36 | ダイバーシティ
(以下、読売新聞から転載)
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ダイバーシティの成果で輝くルノー
2014年07月14日 09時00分

ルノーの女性ディレクターがダイバーシティを語る


ダイバーシティについて語る、ルノーの品質担当ディレクターであるアドリアーナ・カーネイロ・リベイロ
 フランスの自動車メーカーであるルノーは、ダイバーシティ(多様性)に取り組む世界でも有数の企業だ。

 そこで働く女性、しかも品質担当のディレクターであるアドリアーナ・カーネイロ・リベイロに様子を聞くと

 「ルノーでの女性比率を紹介すると、マネージメントレベルの職責の19.6%に達します。実際、人事の面で、役員や管理職に女性を積極的に入れるようになっています。

 ただし、大事なのは、男性か女性かではなく、男女の融合ということに注目すべきです。それによって、いろいろな調査結果からも、ダイバーシティの取り組みの成果が出ています」。

 ダイバーシティとは、幅広く性質の異なるものが存在するという意味がある。まさにそこを、融合という言葉でアドリアーナは表したのだろう。

 「成果の一例として、私の母国ブラジルでは、販売するルノーの約半数は女性のお客様です。他の国でも、ルノーのお客様の2~3割は女性です。仕事に女性が加わることで、女性のお客様が求めていることへの理解が進み、結果として、ルノーのお客様の女性比率が高いという成果に結びついていると言えるでしょう」

 単に、雇用の機会均等という平等性だけでなく、ダイバーシティに取り組むことで企業の成長に結びついているのである。

ダイバーシティがいきる、ルノーのデザイン


人生というLIFEを中心に、人生を六つのステージに例えたライフ・フラワーというデザイン概念

オランダ人チーフデザイナーが率いて描かれた、斬新なデザインの一つ、コンセプト・キャプチャー
 ダイバーシティとは、単に男女を区別なくするだけでなく、あらゆる国籍の人たちとの融合でもあると、アドリアーナは説く。

 「ルノーのデザインセンターには、29におよぶ国籍の人たちが働いています。また、パリのほかに、ルーマニア、韓国、スペイン、ブラジルにもデザインセンターがあり、新車のデザインは、各デザインセンターから、さまざまな国籍のデザイナーたちによって提案されてきます。

 そうした競合の中から、世界で通用するルノーデザインが生まれるのです」

 いま、ルノーのデザインは、オランダ人のチーフデザイナーであるローレンス・ヴァン・デン・アッカーが率いる。そして、ローレンスが推進するデザイン戦略は、〈サイクル・オブ・ライフ〉と呼ばれる。

 クルマが、単に移動のための手段だけでなく、人生とともに歩むパートナーであることに注目し、ルノーの車種構成を考え、デザインしていく手法だ。

 「サイクル・オブ・ライフから生まれた、最新のルーテシアやキャプチャーが、世界各地で人気を呼んでいるのは、まさにダイバーシティの成果です。

 もし、ルノーがフランス人だけの自動車メーカーだったら、フランスのよさを外へ発信することは考えないかもしれません。しかし、国籍の異なる人たちによってフランスらしさ、ルノーらしさが語られ、作り込まれていくことにより、フランス車ルノーのよさが世界へ伝わっていきます」

 「また、各国の人々は、その国の気質や好みを熟知していますから、それぞれの市場でどのようなクルマが望まれているかも知っています。

 ダイバーシティによって、こうしたことがルノーの中で融合し、魅力ある新車が誕生しているのです」

 誰の目にも明らかなデザインという視点でも、ダイバーシティの効果をアドリアーナは確信する。

サイクル・オブ・ライフから生まれたルノーの新車


LOVEをテーマに、情熱的で快活な走りが魅力の小型ハッチバック、ルーテシア

冒険心に富んだ斬新なデザインと、大地の色をテーマとしたオレンジ色の小型クロスオーバー車、キャプチャー
 ルノーの新しいデザイン戦略である、サイクル・オブ・ライフから生まれた新車が、最新のルーテシアとキャプチャーだ。

 サイクル・オブ・ライフは、人生を六つの場面(LOVE、EXPLORE、FAMILY、WORK、PLAY、WISDOM)に分け、そこにルノーの各車種を当てはめて展開する。

 第1弾のLOVEをテーマに、男女のめぐり合いのクルマとして登場したのが、小型ハッチバック車のルーテシアである。テーマカラーには赤を選び、情熱的で快活な走りが魅力のクルマだ。

 第2弾の、冒険するという意味の言葉、EXPLOREをテーマに、世界中を旅する小型クロスオーバー車として誕生したのが、キャプチャーである。冒険心に富んだ斬新なデザインは、モーターショーのコンセプトカーから強く影響を受けている。

 アドリアーナは

 「フランスでは、ルーテシア(フランス名はクリオ)の発売以来、毎月の販売台数でナンバーワンを記録しています。キャプチャーも毎月トップ5に入っています。ダイバーシティの効果によって、優れた販売実績を残しています。


日本人女性が担当した、キャプチャーのインテリアデザイン
 女性の活躍について具体的に紹介すると、キャプチャーの場合、室内をデザインしたのは日本人女性です。車両開発のチーフも女性です。クルマの仕様書を作ったのも女性。キャプチャーの製品マネジャーも女性ということで、キャプチャーではとくに、開発プロジェクトのマネジャークラスの半数が女性でした。

 女性の活躍と、国籍の違いを含めた広い意味でのダイバーシティの取り組みは、何年も前からルノーは行っていますが、こうして新車というかたちでいま成果が出て、販売も好調というわけです」

 と、ダイバーシティに裏付けられたルノーの成功を語るのである。

日本の女性も、諦めず、結果を求め、頑張って!


日本の女性へ、「諦めず、頑張って!」と声援を送る、アドリアーナ
 ダイバーシティを語るアドリアーナは、ブラジルからフランスにわたり、ルノー社内で着実な成果を残してきた。

 「私は、世界を冒険したいという思いから、国際的な企業であるルノーに入りました。まず、ブラジルの小さな事務所から仕事をはじめ、3年後にフランスに招かれ、ルーマニアのプロジェクトや、ロシアの工場などで働きました。そして、ルーマニアやロシアの工場の生産台数を2倍にする実績を残しました。いまは、品質を担当することで、生産だけでなく、営業やデザインにも関わりを持ちます。

 ルノーは、自分がやりたいことを実現させてくれる可能性を持つ企業です。そして、一つひとつ成果を残すことで信頼が生まれ、次の挑戦の扉が開いていきます。

 私は、どのような仕事でも興味を持ち、成果を残してきました。結果を残せば、ルノーでは扉が開くのです。


菱形をしたルノーのロゴマークを心に宿し、会社を愛し、クルマを愛する人たちが、ルノー車を作っていると、アドリアーナは熱く語った
 日本の女性も、どの分野、どの産業でも、諦めず、常に男女は平等だという考えを持ち続け挑戦してほしいと思います。そして、結果を残してください。結果を残せば、機会は平等にやってくるでしょう。私の取り組みが、そうしたみなさんの後押しになるとしたら光栄ですね」

 ダイバーシティに取り組むルノーのクルマは、いま、輝いている。また、そこで働く人々も輝いていると、アドリアーナは言う。

 「ルノーで働いている人たちは皆、とても情熱的で、クルマを愛しています」

 日本でも、ダイバーシティに裏付けられたルノーのデザイン戦略、サイクル・オブ・ライフによって生まれた最新のルーテシアやキャプチャーは、注目を集めている。(文中敬称略)

外国人の介護就労 深刻な人権侵害 早急に改善を

2014-07-29 14:12:01 | 多文化共生
(以下、愛媛新聞から転載)
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外国人の介護就労 深刻な人権侵害 早急に改善を 2014年07月29日(火)

 介護現場の人手不足を解消するため、政府は先月示した成長戦略に外国人の就労拡大を盛り込んだ。既に2千人以上が来日しているが、働く施設などでは過酷な労働や深刻な人権侵害が起きている。
 実態把握と就労者を守る仕組みづくりが急務だ。と同時に、国内の人材育成や労働環境改善を怠り、安上がりな労働力を海外に求める政策を、根本から改めねばならない。
 外国人就労者には、日本と経済連携協定(EPA)を結んだインドネシア、フィリピン、ベトナムの政府機関仲介による介護福祉士らのほか、民間団体の仲介による「出稼ぎ」のフィリピン人がいる。
 出稼ぎに関しては研修も待遇も民間任せだ。関西の介護会社では、本人が死亡しても会社の責任を問わないとの誓約書を採用の際に提出させ、過酷な勤務をさせていた。
 会社は日本への渡航費など数十万円を貸し付け、返済が焦げ付いた場合に備えて積立金を給与から天引きし、通帳や印鑑を管理。転職も帰国もできない状態にしていた。明らかな労働基準法違反だ。しかも借金の内訳は不透明だという。
 借金で自由を奪った上で働かせ、使い捨てにするなど、人権侵害も甚だしく、断じて許せない。日本語がよく分からず研修が不十分な実態も指摘されている。これでは介護される側にも危険がつきまとう。厚生労働省が調査に乗り出したが、関係者は氷山の一角だという。国の責任ある監視体制の構築を求めたい。
 背景にはさらに根深い人権侵害がある。出稼ぎのフィリピン女性の多くはかつて日本で働き、日本人男性の子どもを出産。未婚で子どもを連れて帰国し、貧しい暮らしをしてきた。同様の境遇の女性は10万人にも上るとされる。
 関西の会社は職員募集時に「会社が子どもの日本国籍を取得する」と勧誘。父親の認知が必要なため、手数料を取りながら実現しない例もありトラブルが絶えないという。
 母と来日した子は、宿直勤務のたびにアパートでひとりの夜を過ごす。日本語も分からず、学校に行かなくなる子もいるという。女性の弱みにつけ込み、子どもまで虐げる状況に怒りを禁じ得ない。
 日本の良心が問われる問題だ。国内の人材育成をした上で、なお頼らざるを得ないのなら、十分な支援は最低限の条件であり国の責務だろう。搾取や人権侵害を解決しないまま労働市場の開放を進めれば、外国人の使い捨て利用として海外から厳しい目を向けられ敬遠されるに違いない。
 超高齢化時代に、安心して委ねられる介護態勢をいかに整えるのか。一から考え直さなければならない。このままでは、日本人にとっても明るい未来はない。

永住外国人生活保護訴訟最高裁判決を読む――あらわになった日本社会の姿

2014-07-29 12:55:44 | 多文化共生
(以下、SYNODOSから転載)
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2014.7.29
永住外国人生活保護訴訟最高裁判決を読む――あらわになった日本社会の姿
山口元一 / 弁護士

在留資格「永住者」を有する外国人が、生活保護法に基づく生活保護の申請をしたところ、大分市福祉事務所長から申請を却下する旨の処分を受けたとして、却下処分の取消し等を求めた事件について、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)は、2014年7月18日、これを認めた福岡高等裁判所の判決(福岡高判平成23年11月15日判タ1377号104頁)を破棄し、外国人は生活保護法に基づく生活保護の受給権を有しないとの判断を示した。

最高裁判決は、背景も含めて検討すると、生活保護法、行政事件訴訟法の解釈にとどまらず、日本における外国人の権利を考えるうえで重要な示唆を与えるものであるが、判決に至る経緯に関する正確な知識と一定の法的なリテラシーがないとやや理解に難しい面がある。筆者は、本稿を書くにあたり、インターネット上の判決に対する反応を少しながめてみたが、生活保護受給者、外国人に対する根強い偏見も手伝ってのことか、不正確なとらえ方をする向きも少なくないようである。そこで、以下、この判決の背景、ロジック、判決によって明らかになった課題について、できるだけわかりやすく解説を試みよう。


争点の所在

「処分の取消しの訴え」(行政事件訴訟法3条2項)にいう「処分その他の公権力の行使」について、判例は、公権力の主体である国または公共団体が行う行為のすべてを指すものではなく、「その行為によって、直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定することが法律上認められているもの」をいうとしている(最判昭和39年10月29日民集18巻8号1809頁)。

したがって、行政庁に対して諾否の応答を求めて「申請」をした場合であっても、それが法律上の権利ではない場合は、「申請」は任意の行政措置を求める趣旨に過ぎず、これに対する行政庁の応答も処分としての性格を持たない。そこで本件では、外国人に対する生活保護制度の適用について、法律上の根拠の有無が問題となった。


踏まえておくべき前提知識

それでは、戦後の生活保護制度は、外国人に対して、法律上どのような態度をとってきたのであろうか。簡単にその歴史を振り返ってみることとする。

1946年に成立した旧生活保護法は、「生活の保護を要する状態にある者」の生活を、国が差別的な取り扱いをなすことなく平等に保護すると規定し(同法1条)、その適用対象を日本国民に限定していなかった。しかし、生存権(憲法25条)を保障した日本国憲法の成立を経て、1950年に施行された現行生活保護法は、憲法25条の理念に基き、国が生活に困窮する「すべての国民」に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障し、自立を助長することを目的とする旨定め(同法1条。さらに2条も参照)、生活保護受給者の範囲を日本国籍者に限定した。

ところが、新法施行直後に、「放置することが社会的人道的にみても妥当でなく他の救済の途が全くない場合に限り」外国人を保護の対象として差し支えない旨の通知がされる(昭和25年6月18日社乙92号)。さらに1954年5月8日、厚生省から各都道府県知事に宛てて、外国人は生活保護法の適用対象ではないとしつつも、生活に困窮する外国人に対しては日本国民に準じて必要と認める保護を行い、その手続については不服申立の制度を除きおおむね日本国民と同様の手続によるものとする通知が発せられた(「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について」昭和29年社発第382号厚生省社会局長通知。以下「昭和29年通知」という)。

昭和29年通知は、「当分の間」とあるとおり、サンフランシスコ講和条約を機に法務省民事局長が出した通達(「平和条約の発効に伴う朝鮮人、台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」(昭和27年4月19日民事甲第438号法務府民事局長通達)による旧植民地出身者の国籍剥奪を背景に、在日コリアンを中心とする多くの在留外国人が差別と貧困に苦しんでいたことに対する応急措置であった。しかし以後、予定されていたはずの抜本的な改正はされないまま、現在までこの通知に基づいて外国人に対する生活保護の措置が行われている。

1976年、世界人権宣言を発展させた「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(以下「社会権規約」という)」と「市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「自由権規約」という)」」が発効すると、日本でも民間レベルでこれらの規約の批准を求める声があがった。

日本政府はこうした声におされるようにして、1979年にいずれの条約も批准した。社会権規約2条2項には、規約に規定する権利について「国民的若しくは社会的出身」によるいかなる差別もなしに行使されることを保障する旨の条項があり、公共住宅関係法の運用に存在していた国籍制限を撤廃させるなど国内法制に少なからぬインパクトを与えた。また、批准に際して、保護の対象を日本国民に限定していた生活保護法も、同規約9条が「社会保険その他の社会保障」について、11条が「自己及びその家族のための相当な食糧、衣類及び住居を内容とする相当な生活水準」「生活条件の不断の改善」について、いずれも「すべての者」の権利を認めていることとの関係が問われた。

当時の国会審議で、政府委員は、規約9条に関して、社会保障について外国人を差別してはならないという趣旨の回答をしたうえで、生活保護法と9条、さらに11条との関係については、昭和29年通知を根拠に、支給される保護の内容、保護の方法は、すべての点で国民の場合と同じ仕組みで保障されている(したがって社会権規約には必ずしも反しない)と答弁した。

さらに、支給内容が同一であっても、権利として構成されておらず、不服申立の制度を欠く点が、社会権規約の精神に反しないかという質問に対しては、「人権規約の……精神面に着目いたしますると、そういう法の方向に沿った御検討を願いたい」(外務省委員)「外国人に対しましても……実態的な面につきましては、いささかもその待遇につきまして変わるところがないかと思うわけでございますが、確かに形式的にはいま御指摘の問題があろうかと思います。今後とも、十分に検討をしてまいりたいと思います。」(厚生省委員)と答えている(第87回国会参議院外務委員会会議録13号・1979年5月28日)。

1975年4月、ベトナム戦争の終結にともなって大量のベトナム人が国外へと避難した。当初日本は、避難民に対して一時的な在留しか認めなかったが、こうした排他的な態度は内外から強い批判を浴び、1978年には、日本定住を認めるように方針を転換する。こうした流れの中で、日本は1981年に「難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という)」に加入するのだが、「締約国は、合法的にその領域内に滞在する難民に対し、公的扶助及び公的援助に関し、自国民に与える待遇と同一の待遇を与える」と定める同条約23条と、社会保障関連法中の受給資格を日本国民に限定する、いわゆる国籍条項の関係が問題となった。

結果として、国民年金法や児童手当3法に規定されていた国籍条項は削除されたのに対して、生活保護法の改正は見送られたのだが、国会審議において、政府委員は以下のように答弁している(第94回国会法務委員会、外務委員会、社会労働委員会連合審査会会議録1号・1981年5月27日)。

「生活保護につきましては、昭和25年の制度発足以来、実質的に内外人同じ取り扱いで生活保護を実施いたしてきているわけでございます。去る国際人権規約、今回の難民条約、これにつきましても行政措置、予算上内国民と同様の待遇をいたしてきておるということで、条約批准に全く支障がないというふうに考えておる次第でございます」

「すでにもう昭和20年代に、外国人に対する生活保護の適用ということで明確に通知をいたしております。かつまた、予算も保護費ということで、国内の一般国民と同じ予算で保護費の中で処置をいたしておるわけで、特にそれを改める必要はないわけでございますが、こういった難民条約の批准等に絡めまして、一層その趣旨の徹底を図るという意味での通知、指導等はいたしたいと考えておるところでございます」

1989年、バブル経済に伴う人手不足を吸引力とするアジア諸国からの出稼ぎ労働者の増大等、日本社会における外国人のプレゼンスの増大を背景に「出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という)が改正され(施行は翌90年)、現行法へ引き継がれる在留資格制度の基礎が作られた。さらに1991年には「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」が施行され、在日コリアンを中心とする旧植民地出身者とその子孫について、新たに制定された「特別永住者」としての地位が保障された。

このような状況のなかで、1991年10月25日、厚生省社会局保護課企画法令係長の口頭指示により、生活保護の対象になる外国人が、入管法別表第2に掲げられた者(「永住者」、「定住者」、「日本人の配偶者等」、「永住者の配偶者等」)に限定された(以下「平成2年口答指示」という)。この指示は、高度な専門知識を有する者としておおむね一定以上の収入をともなう仕事に就くことが在留の条件とされている別表1に該当する外国人について、自立助長を旨とする生活保護の対象に含めないこと、さらに非正規(不法)滞在者を生活保護の対象から除外すること(昭和29年通知は外国人の範囲に特に限定をくわえておらず、通知後に作成された問答事例によると、外国人登録をしていない外国人が退去強制手続に付された場合であっても仮放免許可証による住所の認定に基づき保護を実施することとされていた。昭和57年1月4日社保第1号による改正参照)を意図していた。

厚生労働省による2012年度被保護者調査によると、日本の国籍を有しない被保護世帯数は1ヶ月平均で45,855世帯、被保護実人員のそれは74,736人(ただし相当数の日本国籍者が含まれている)とされている。

福岡高裁と最高裁~それぞれのロジック

以上の前提知識は、歴史的事実であり、福岡高裁、最高裁ともその認識に異なるところはない。それではどうして二つの裁判所で異なる結論が導かれたのであろうか。

福岡高裁は、生活保護法が「少なくともその立法当時」は生活保護受給権者の範囲を日本国民に限定していたことを前提に、昭和29年通知以来、外国人に対する生活保護が日本国民とほぼ同様の基準、手続により認められてきたことを踏まえ、難民条約加入及びこれに伴う国会審議を契機として、一定の範囲の外国人に対し日本国民に準じた生活保護法上の待遇を与えることを立法府と行政府が是認し、これによって生活保護を受ける地位が法的に保護されるに至ったものと構成し、外国人も生活保護法の準用による法的保護の対象になると判断した。平成2年口頭指示の内容が、自立助長を旨とする生活保護法の趣旨に沿ったものであったことは、同法の準用を前提としたからこそであるとしたのである。

しかしながら、本来立法で解決すべき問題が、行政庁の通知や政府委員の国会における答弁、果ては担当係長の口頭指示で処理されることと「法律による行政の原理」の関係もさることながら、一連の経緯を、生活保護を受ける地位を生活護法に基づいて保障したと読むことはできるのだろうか。むしろそこからあきらかになるのは、立法による解決の必要性を認識しながらも、問題を先送りにし、時代により大きく変化する外国人の状況に、場当たり的に対応してきた姿ではなかったか。

かくして福岡高裁のロジックは最高裁を説得するところとはならなかった。最高裁は、現行の生活保護法が制定された後、現在に至るまでの間、保護の対象を一定の範囲の外国人に拡大するような法改正は行われておらず、保護の規定を外国人に準用する旨の法令も存在しないこと、昭和29年通知は、外国人に対し、生活保護法が適用されず、法律上の保護の対象とならないことを前提にしていることを指摘し、難民条約等に加入した際の経緯を勘案しても、外国人は生活保護法に基づく保護の対象とはならない、としたのである。

形式的には、最高裁の解釈に分があるのは認めざるを得ない。生活保護法が「国民」と規定し、昭和29年通知も外国人は保護の対象ではない旨明示している以上、法令の文言を字句通りに解釈すれば、外国人を生活保護法の保護対象として認める余地はないはずである。

しかしながら、福岡高裁が、「適用」ではなく「準用」、「法的権利」ではなく「法的保護」という語を用いてまで、このような解釈をした趣旨には注意を要する。日本は条約批准等を通じて「外国人に対する生活保護について一定範囲で国際法及び国内公法上の義務を負うことを認めた」(福岡高裁判決)にもかかわらず法改正を怠り続けてきた。現在、外国人に対する生活保護の実態は、日本人のそれに対するものと変わらず、いったん受給が開始された場合の指導・指示に従う義務や、これに従わない場合の保護の廃止(生活保護法27条、62条)、支給された保護費の返還(生活保護法63条)や不正受給に対する制裁(生活保護法78条、刑法246条)も日本人の場合と異ならない。社会的な認識として、支給する側の「権力性」を完全に否定することは困難で、現在の実務は、本来対等な私人間で行われる「贈与契約」(福岡高判の原審である大分地判平成22年10月18日参照)で説明しきれるものではない。

本件の原告(被上告人)は、1932年に日本で出生して以来、日本で教育を受け、日本で結婚し、日本で生活をしてきた女性である。国籍国である中国には一度も行ったことなく、中国語も知らない。そんな彼女が、義弟の暴力によって着の身着のままで自宅を追い出され、いわゆる社会的入院状態にあったことから、自立した生活を送るために生活保護を申請したのである。単に外国人であるというだけの理由で、彼女の生存権に関わる利益を法の保護の枠外におくことは、果たして妥当なのか。福岡高裁判決の不合理や矛盾を指摘することは、さほど困難な作業ではないが、現行生活保護法に、裁判所が苦しい解釈をしてまでも解決しなければならないと考える程の問題点が存在することも、また認識しなければならない。福岡高裁の判断について解釈の限界を超えると批判する者は、こうした現実をどう解決すべきかという問題に答えなければならないのである。


残された課題

最高裁判決により、外国人が生活保護法に基づく保護の対象ではないことは法律上確定した。しかしながら、生活保護法に基づかない行政措置として、外国人を日本人に準じて生活保護の対象としつつ、それを法律上の権利として扱わない現在の構成が、社会権規約2条2項、9条、11条、難民条約23条の規定に適合するか否かについては未だに決着がついていない[*1]。

[*1] なお、国民年金法の国籍条項削除については、自由権規約に関して、規約委員会から、不遡及であることが規約26条の差別禁止規定との関係で不十分であるとの指摘を受けている。「規約第 40 条に基づき締約国から提出された報告書の審査-国際人権(自由権)規約委員会の総括所見」パラグラフ30。

条約批准時の答弁からもあきらかなとおり、社会保障における外国人に対する差別が原則として禁止されること、少なくとも一定範囲の外国人に日本人と同様の生活保護を認めることが条約の要請で、これを剥奪することが条約違反にあたることは、条約批准当時から日本政府によっても認識されていた。しかしながら、支給内容が同等であっても、不服申立の手段がない点は、窓口における違法な生活保護申請拒否がめずらしくない現状では、決して見過ごすことのできない不利益である[*2]。

[*2] 生活保護開始申請の却下を違法とする近時の裁判例として東京高判平成24年7月18日平成23年(行コ)第399号、大阪地判平成25年4月19日平成22年(行ウ)第35号・平成22年(ワ)第3293号、大阪地判平成25年10月31日平成21年(行ウ)第194号など。なお今後外国人については非申請型義務付け訴訟を検討する余地はあろう。

国際人権条約の保障する社会権は、条約批准のみによって直ちに具体的な請求権となるものではなく、2条2項が規定する差別禁止規定が直ちに履行しなければならない即時的義務であるとしても[*3]、在留外国人には出生地、滞在期間の長短、在留資格の有無、日本における生活歴や家族的結合の有無、本国とのつながりまでさまざまな社会的・法的地位があり、いかなる範囲の外国人に生活保護を認めるのかは、立法に委ねなければならない要素が多い。法による保障がなき現状は、平成2年口頭指示がそうであったように、いかにそれが条約違反であったとしても、行政担当者の見解次第で享受していた利益が直ちに剥奪されかねない危険もはらむ。

[*3] 社会権規約委員会は、一般的意見3において「規約は漸進的実現を規定し、利用可能な資源の制限による制約を認めるが、即時の効果をもつさまざまな義務をも課している。……このうちのひとつは、……関連の権利が『差別なく行使される』ことを『保障することを約束する』ことである」とし、さらに一般的意見20でも「無差別は、規約の中でも、即時かつ分野横断的義務である」「国籍という事由は、規約上の権利へのアクセスを妨げるべきでない」としている。なお「開発途上にある国」にのみ、外国人に対する経済的権利の別扱いを認める2条3項も参照

最高裁判決によってあらわになったのは、条約批准等を通じ、外に向かって、あるいは国内の事情に通じない層に対しては、日本国民と外国人の平等原則を掲げながら、外国人が享受すべき生活上の利益を「権利」として構成することを拒み、あくまでも恩恵にとどめようとする、日本社会の姿である。最高裁判決は、問題を最終的に解決するものとはならなかった。わが国の政治部門、さらには社会が取り組むべき課題を示したのである。


(参考文献)
「賃金と社会保障」(旬報社)1561号、1562号掲載の各論文。
社会保障における国籍要件とヨーロッパ人権条約14条の差別禁止の関係については Gaygusuz.v. Austria, 16 September 1966, Reports 1996-Ⅳ
最高裁判決全文については http://www.tbsradio.jp/ss954/2014/07/post-299.html

外国人にとってちっとも楽にならない国際化 成果上がらぬ日本の「国際値」

2014-07-28 09:00:07 | 多文化共生
(以下、SankeiBizから転載)
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外国人にとってちっとも楽にならない国際化 成果上がらぬ日本の「国際値」
2014.7.27 06:00


 企業であろうと教育機関であろうと、「我々は国際化をしないといけない」とどこでも口を揃えて語る。 

 この1か月間の日本滞在中、至るところでこのセリフを聞いた。それは国際化したほうが良いだろう。閉鎖的なより開放されていた方がいい。

 ただ、ここでいう国際化には色々な思惑があるが、一つには、いわば「国際値」なるものの上昇を目指しているようだ。端的にいえば、外国の人と怖気づかずに仕事ができるようになりたい、というのが「国際値の上昇」だろう。

 それでは何をするのか。教育機関なら海外の提携校と交換留学生を増やしたい。しかし、海外での学生受け入れ先に日本に留学したい学生が沢山いる、というわけでもない。しかも日本側に英語の授業がないことも多い。双方の数字のバランスがとれないとシステムが成立しない。だから片思いになる。

 企業も自らの国際値をあげて何とか海外市場に商品を売りたい。

 政府の外国人観光客の誘致政策をチャンスとみた会社で、日本に観光で滞在する外国人が使うスマホのアプリを開発している。これを世界標準にしたい、と説明に熱が入る。そのためにも日本の企業や自治体に営業をかけているようだ。

 ぼくは、これは営業の方向が違うのではないか?と思った。日本に来る人たちが多い国でアプリを標準にすることが、最初の目標にならないとおかしい。短期滞在のために、初めてのアプリを使う人がそんなにいるはずがない。

 如何にそれまでに地元で使い慣れてもらうかとのアプローチがなく、日本の空港に降り立った瞬間から、そのアプリを使ってもらおうというのは無理がある。ユーザーの立場になっていない。

 外国人にとってちっとも楽にならない国際化だ。

 地域活性化活動でも同じである。自分たちの土地の活性化のために、外国とさまざまな接点を探るのは頼もしいようでいて、実は心もとない。例えば外国人の知恵やノウハウを期待する。だが、そのために自分たちが外国人に知恵やノウハウを提供することには考えが及ばない。

 他地域のアイデアや協力が欲しいなら、まず自らが他の地域に出向き、そこの土地が抱える問題の解決に協力してやろう、と思わないといけない。海外の地域に何か役立つことができないかとアプローチを試みることで、自分たちの解決策のヒントを得られるかもしれないし、相手方もお礼に協力したいという気持ちが芽生えてくる。

 このように、「国際値があがる」とは相手をともなったプロセスのなかで実現されていくものだ。自分だけで鍛えてどうにかなるものではない。しかし、実際には自分の目標を達成することばかりが念頭にあるケースが目につく。

 だから成果があがらないことおびただしい。

 結局のところ、「我々は国際化しないといけない」動機の多くが、世の中に流布する掛け声や役所の方針に従うことにあるので、体裁が先にくるのだろう。「国際化した風」であることに気が急ぐのだ。

 相手にされる海外の組織や人にとってはいい迷惑である。

 日本では、「人の立場になって考えさない」ということを小さい頃から繰り返し教えられる。思いやりは得意なはずだ。しかし、殊、こういう異なる文化とのつきあいになると、丁寧過ぎるか、まったく気を配らないかの両極端になる傾向が強い。

 もちろん海外の人にとっては、日本の組織や人がオープンで国際化されることは歓迎である。だが、その基本のところで手伝うことはないと考えている。ビジネスを有利に運ぶために圧力を加えることはあるが、マインドのあり方に直結するところまではつきあう気がない。

 いや、正確に表現するならば、マインドや文化に関与するデリケートな話題に他者は入りにくい。さらに言うならば、入るべきではないと考えている。

 「国際化したい」という前に一呼吸おいてみたいものだ。



 ローカリゼーションマップとは? 異文化市場を短期間で理解するためのアプローチ。ビジネス企画を前進させるための異文化の分かり方だが、異文化の対象は海外市場に限らず国内市場も含まれる。

 安西洋之(あんざい ひろゆき) 上智大学文学部仏文科卒業。日本の自動車メーカーに勤務後、独立。ミラノ在住。ビジネスプランナーとしてデザインから文化論まで全方位で活動。現在、ローカリゼーションマップのビジネス化を図っている。著書に『世界の伸びる中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』 共著に『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? 世界で売れる商品の異文化対応力』。

外国人の生活保護受給は是か非か

2014-07-28 08:50:10 | 多文化共生
(以下、DIAMOND onlineから転載)
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外国人の生活保護受給は是か非か
最高裁判決を読み解く「共同体」というキーワード

2014年7月18日、最高裁において「外国人は生活保護法による保護の対象にはならない」という判決が下された。この判決は、何を意味しているのだろうか?

今回は予定を変更し、この最高裁判決について、憲法学者・笹沼弘志氏の見解を紹介する。そもそも、日本に在住する外国人が生活保護を利用できる根拠は何なのだろうか? それは、なくすべき運用なのだろうか?

最高裁は本当に
「外国人は生活保護の対象外」としたのか?

 2014年7月18日、最高裁第二小法廷において、「外国人は生活保護法による保護の対象にはならない」という内容の判決が行われた。毎日新聞によれば、下記のように報道されている。

生活保護訴訟:中国人女性の逆転敗訴確定 最高裁
毎日新聞 2014年07月18日 21時01分

 外国籍であることなどを理由に生活保護の申請を却下されたとして、永住資格を持つ中国人女性(82)が大分市の処分取り消しを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(千葉勝美裁判長)は18日、女性の訴えを認めた2審・福岡高裁判決(2011年11月)を破棄し、女性側敗訴の1審を支持した。女性側の逆転敗訴が確定した。小法廷は「生活保護法が適用対象とする『国民』は日本人を意味し、永住外国人にも準用される根拠は見当たらない」という初判断を示した。
(以下略)
 この判決を受けて、ネットでは「在日外国人は生活保護を利用することができない、と最高裁が判断した」という理解に基づいた感想が数多く見受けられる。

 現在、判決文全文はTBSラジオ「Session 22」のサイト内のページで読むことができる。直後、パーソナリティの荻上チキ氏が、この判決について番組内で取り上げたからだ。

 そもそも、最高裁が今回、改めて「生活保護法下で、外国人は生活保護法による保護対象ではない」としたわけではない。生活保護法第一条には

「第一条  この法律は、日本国憲法第二十五条 に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。」

 とあり、対象は「日本国民」となっている。現在、永住外国人も生活保護の対象になっているのは、1954年の厚生省(当時)通達に、

「当分の間、生活に困窮する外国人に対しては一般国民に対する生活保護の決定実施の取扱いに準じて」必要ならば保護を行うことが指示されて現在に至っているからだ。

 生活保護、つまり公的扶助を日本国民に限定する国籍条項は、国際社会で問題とされてきた。1981年、日本が国連の難民条約を批准した際には、「永住外国人等にも生活保護は準用されている」という事実をもって生活保護法の国籍条項を改正しないままで難民条約を批准したという経緯もある。

 そして今回の最高裁判決は、

「以上によれば、外国人は、行政庁の通達等に基づく行政措置により事実上の保護の対象となり得るにとどまり、生活保護法に基づく保護の対象となるものではなく、同法に基づく受給権を有しないものというべきである」

 としている。つまり「生活保護法による保護の対象ではないけれども、厚生省通知による準用の対象ではある」と言っている。生活保護の申請が却下された時、日本人に対しては認められている審査請求の機会が外国人等に対してはないことも含めて、「現行の運用でよい」としているのだ。

憲法学者が見る
今回の最高裁判決の意味


笹沼弘志(ささぬま・ひろし)氏プロフィール/1961年生まれ。静岡大学教授、憲法専攻。野宿者のための静岡パトロール事務局長としてホームレスの人々や生活困窮者の支援にも取り組んできた。主な著書;『ホームレレス自立/排除』(大月書店、2008年)、『臨床憲法学』(日本評論社、近刊)、監修・著『えほん日本国憲法』(明石書店、2008年)など。
 憲法学者の笹沼弘志氏(静岡大学教授)は、今回の最高裁判決について、どう見ているだろうか?

「まず、枠組みの問題ですね。今までの外国人への生活保護の適用のされ方という枠組みがどうなっていたのか。今まで、法的に受給権があったのかどうか」(笹沼氏)

 現行の生活保護法は、対象を「日本国民」としている。

「そうなんですが、旧生活保護法では、『日本国民』という限定はありませんでした。昭和25年改正の生活保護法(新法)で『日本国民』と限定されたのは、日本国憲法との整合を取るためだといわれています。ですから、生活保護法新法のもとでは、外国人に受給権はないと見ることができます。ただし、外国人には準用されてきました。人道的措置として、生活保護法による保護と同様の内容の保護を、一方的に与えてきたという理屈です。今回の訴訟では、大分地裁の一審判決(2010年)は、外国人への生活保護を『贈与』としています。外国人からの生活保護申請は『贈与してください』という申し込みで、福祉事務所が『じゃ、あげますよ』と言ったら、その方には生活保護という『贈与』を受け取る権利が発生する。そういう考え方です」(笹沼氏)

 その後、2011年の福岡高裁判決では「一定範囲の外国人も生活保護法の準用による法的保護の対象となる」という考え方が示された。違いは「生活保護法の準用」を法的保護と見るか見ないかのみ、と言えるかもしれない。ただ、この「法的保護」であるかどうかは、却下された場合に異議申立ての権利があるかどうかを左右する大きな問題ではある。

 最高裁も、大分地裁の考え方を支持しているのだろうか?

「最高裁がどういう考え方をしているのかは、この判決文からははっきりしません。ただ、基本的には「外国人は行政措置として事実上保護の対象となるにとどまる」ということです。法的に請求権はないけれども、行政上の措置としての保護は実施することは適法。外国人も保護を受け取ることはできます。ただし、法的請求権がなく、行政の側が『出さない』といったときに『いや、ください』と言って争う資格がない。すべては行政の考え方次第。最高裁判決は、そこにとどまった内容です」(笹沼氏)

 では、そもそも外国人を公的扶助の対象とするのは是なのか非なのか。

「『外国人の生活保護』が問題なのではなく、『われわれの共同体をどう考えるか』という問題です。居住している外国人は、一緒に生活し、仕事している共同体の一員です。共同体の一員として、納税義務があり、権利も義務もあります。権利は認めず義務だけというのは、奴隷制度です。それは許されません」(笹沼氏)

 そもそも、在住外国人は、どのような人々なのだろうか。

「日本国の主権のもとに、この国に居住しているわけです。一過的な旅行者ではなく、一定期間以上居住しています。外国人であっても、平等な市民として、権利や義務を認められるべきなのです」(笹沼氏)

 在住外国人にも、日本国民と平等に、納税の義務はある。

「そうです。平等な市民として権利や義務が認められるべきという前提のもとに、年金制度も外国人に平等に適用するように変わっていきました。他の諸国でも、公的扶助は外国人にも認めています。正規の滞在資格があることに加えて、いくつかの条件はありますが。ただ、生存権を具体化した保護受給権のような権利を認めていない国もあります。たとえば米国は、保護受給権を正面から認めていません」(笹沼氏)

 国によるスタンスの違いも、議論を複雑にする。

「義務はあっても権利はない」の
行き着く先は社会不安

 少子高齢化が問題となりつづけている日本では、このところ、外国人労働者の受け入れ拡大に関する議論が盛んだ。日本政府は、技能実習生制度を介護・医療へと拡大しようとしている。

「でも、移民として地位を獲得させるわけではありません。労働は提供させるけれども、生活は保障しません。『技能実習終わったら、とっとと帰れ』ということです」(笹沼氏)

「出稼ぎ」以上の何でもない、ということだろうか。

「しかも、『実習』なので、最低賃金の縛りもありません。非常に都合よく使おうとしているわけです。これで、うまくいくのでしょうか? おそらく、『まったくうまくいかない』という現実に直面せざるを得ないと思います」(笹沼氏)

 前例はある。

「1990年代に、入管法の改正が行われました。当時は単純労働者が少なく、外国人労働者への需要がありましたから。そして、日系人には定住資格を与えて、単純労働もできることにしました」(笹沼氏)

 そしてブラジルなどから、多数の人々が日本に移住してきた。そして、東海地方を中心とした製造業の工場で働きはじめた。

「でも、移住してきた方々は人間です。一定期間であっても日本に移住するということは、家族生活を営むということでもあり、子どもに教育を受けさせる必要もあるということです。1990年代の日本は、その方々を労働力としては使うけれども、家族として生活を営むことについての制度整備はしませんでした」(笹沼氏)

 するとどうなるか。

「自治体レベルで問題が起こりました。外国籍の子どもたちの居場所がないんです。『外国人の子どもには義務教育が適用されない』という理由で、小学校・中学校にも行けない子どもが出てきます。そういう問題に、現場の自治体が直面したわけです」(笹沼氏)

 そして、自治体はどうしたか。

「浜松市では、自治体として、外国籍の子どもたちに対して、きちんと教育を受けさせる取り組みを進めてきたりしました。どうしても、そういう措置を取らざるを得ないんです。それをしないで『労働力としてだけ使う』ということはできません」(笹沼氏)

 そもそも、外国人が日本で暮らすとは、どういうことなのか。

「身体がありますから、住む場所が必要です。家族と一緒に暮らすのであれば、子どもの教育の整備が必要です。労働力である以上、事故や病気で労働力を失うこともあれば、職場を失うこともあります。そのときには最低生活の保障または職場の確保が必要です。何らかの手段で、最低生活条件を確保する必要があります。そうしないと死んでしまいますから。これは、そもそも公的扶助はどうして出来上がったかとも関係のある話です」(笹沼氏)

「社会保障」は「社会」のためのもの

 公的扶助は「恩恵」や「施し」なのか、それとも権利なのか。議論の尽きないところだ。国家レベルでも、公的扶助をはじめとする社会保障について「過重な負担である」「国家の義務である」と議論は尽きない。

「でも、生活困窮者に何もしないということは、その人は『生きていくためになんでもしなくてはならない』ということです。すると、社会不安が高まります。だから、社会不安を生み出さないようにする必要があります」(笹沼氏)

 社会不安に対する根本的な対策とは、どのようなものだろうか?

「たとえば、格差というものは社会的な不安を増大させます。19世紀には、『階級闘争』となりました。その教訓から、公的扶助や労災制度が生まれ、発達しました。公的扶助は、受給者を守るというよりは、社会の安定性を守るための制度です。社会の安定性を守るから、『社会』保障なんです。この根本的な問題に行き着きます」(笹沼氏)

「一緒に生きる仲間」と考えることから
始めるしかない

 話を、今回の最高裁判決に戻そう。外国人に対して「健康で文化的な最低限度の生活」の保障を行うことを止めたら、日本はどうなってしまうだろうか?

「外国人を労働者として使いながら、最低生活保障を行わないとすれば、19世紀の労働者と同じ状況を作るだけです。グローバル化が進んでいますから、国内だけでなく世界中で同じことが行われるわけです。日本資本が外国で、外国人労働者を日本人より低い賃金で雇用してきていますけれども、簡単に企業が『ボロ儲け』はできませんよね。労働問題も起これば、賃上げ要求もされます。それと同じことです」(笹沼氏)

 では、現在日本に居住している外国人の人々については?

「外国人の人々、かつて『日本帝国臣民』であった旧植民地の人々は、今、ともに日本に居住して生活しているわけです。旅行者ではないので、すぐにどこかに行く可能性はありません。一緒に暮らさざるを得ない存在です。

 2008年、『派遣切り』に遭ったブラジル人の中には、帰国支援制度を使ってすぐに帰国した人もいましたが、さまざまな事情から、日本に引き続き居ざるを得ない人々もいました。その人たちが『一緒に居住している共同体の仲間なんだ』ということから考え始めるしかないと思います」(笹沼氏)

 そもそも、憲法の及ぶ範囲そのものに、数多くの解釈の可能性がある。

「日本国憲法25条が『すべて国民は』という文言を使っているから生存権保障から外国人を排除していると解釈する文言説は既に否定されており、権利の性質によって外国人にも保障されるという「性質説」が通説とされています。地方参政権であれば外国人にも保障されるという考え方もあるわけですから、生存権が外国人に保障されるという考え方には説得力があると思います。したがって、憲法25条の理念に基づく生活保護法が外国人にも保護受給権を保障しているという解釈も成り立つはずです」(笹沼氏)

 結局は、「外国人」や「生活保護」という面だけに注目していたら、建設的に次のステップに結びつく理解はできない、ということだろう。「社会保障」とは? そもそも「社会」とは? 「共同体」とは? 「公共」とは? という根本的な問題から考え続ける必要がありそうだ。

 次回は、見直しが検討されている住宅扶助に関して、引き続きレポートする予定である。

貧困率上昇、「子ども」も過去最悪の16・3%

2014-07-16 14:55:59 | ダイバーシティ
(以下、読売新聞から転載)
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貧困率上昇、「子ども」も過去最悪の16・3%

2014年07月16日 08時46分

 厚生労働省は15日、昨年実施した「国民生活基礎調査」の結果を発表した。

 2012年の所得を基に、所得が少ない人の割合を調べた「相対的貧困率」は16・1%で、前回調査(09年時点)に比べて0・1ポイント悪化した。18歳未満の「子どもの貧困率」は、前回比0・6ポイント増の16・3%で、初めて全体の貧困率を上回った。データがある1985年以降、いずれも過去最悪。

 相対的貧困率は、全国民の所得を順番に並べ、真ん中に位置する人のさらに半分の額を「貧困線」と定め、それに満たない人の割合を指す。今回の調査で貧困線は122万円だった。子どもや専業主婦など所得のない人についても、世帯の所得を1人当たりに換算するなどして計算した。

 一方、1世帯当たりの平均所得は、11年に比べて11万円少ない537万2000円で、85年以降、過去4番目に低い水準となった。

 暮らしぶりの悪化について、厚労省は「非正規雇用が増加し稼働所得が減ったり、高齢者世帯が増えたりしたことなどが要因」と見ている。

2014年07月16日 08時46分

知事会が「少子化非常事態宣言」 国との連携訴え

2014-07-16 14:54:46 | ダイバーシティ
(以下、日本経済新聞から転載)
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知事会が「少子化非常事態宣言」 国との連携訴え
2014/7/15 21:49

 全国知事会は15日、佐賀県唐津市で開いた会議で「少子化非常事態宣言」を採択することを決めた。人口減少による地域経済の危機に対応し、国と地方が連携して早急に少子化対策の総合計画を作るよう訴える。地域の実情に応じた就労や結婚の支援、高齢者から若年世代への資産移転を促す税財政制度の創設も提言した。

 宣言は少子化対策を「国家的課題」と位置づけ「国と地方が総力を挙げて抜本強化」すると明記する。16日に正式決定する。山田啓二会長(京都府知事)は人口減について「都市対地方の問題ではなく、日本全体の問題だ」と力説。少子化対策を担当する高知県の尾崎正直知事は「いま取り組めば間に合う」と呼びかけた。

 会議には全国の市町村の半数が人口減少で「消滅の可能性がある」と5月に公表した増田寛也元総務相(元岩手県知事)も参加。安倍晋三首相をトップとする地方創生本部を創設する国の方針について「50年、60年後を見据えた国土戦略を議論していく必要がある」と述べ、国と地方が緊密に協力する必要があると強調した。

見逃せぬ法務省の怠慢 新在留管理制度

2014-07-14 10:45:09 | 多文化共生
(以下、東京新聞から転載)
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見逃せぬ法務省の怠慢 新在留管理制度

2014年7月14日

 外国人も住民基本台帳の適用対象となる新たな在留管理制度がスタートして、今月で二年を迎えた。在日コリアンら特別永住資格を持つ人たちは旧来の「外国人登録証明書(外登証)」に代わって、その更新時に「特別永住者証明書」の交付を受けることになった。ところが、その更新通知を法務省がいまだに出しておらず、切り替えの現場が混乱している。制度設計や運用のずさんさがあらわになっている。 (出田阿生)