(以下、中日新聞から転載)
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日系外国人の子へ母国語教室
◆ブリッジハートセンター東海
「日系外国人の親子のコミュニケーション不足を解消したい」と語る山城さん=浜松市中区で
写真
親は日本語、子どもは母国語がよく分からない。日本での滞在期間が長い日系ブラジル人やペルー人の家庭で生じやすいのが、言葉の壁による親子のコミュニケーション不足。こうした問題を解消する手助けをしようと、「多文化共生」をテーマに活動する「ブリッジハートセンター東海」(浜松市中区)が子どもたちを対象にしたポルトガル語とスペイン語の「母国語教室」を開いている。母国の文化を含めて学べるように授業内容も工夫を凝らし、成果を上げつつある。
時には現地の絵本を読んたり、カードゲームを採り入れたり-。浜松市中区の東部協働センターと湖西市の市民活動センターで、それぞれ週一回と週二回開いている母国語教室は単純な座学にとどまらず、子どもたちが自主的に学べるアイデアを盛り込んでいる。
生徒は小学校二年生から高校三年生まで二十数人。その多くが一九九〇年の出入国管理法改正を機に、日本の大手製造業に出稼ぎにきた日系ブラジル人やペルー人の子弟だ。二〇〇八年のリーマン・ショック以降は減少したとはいえ、浜松市周辺には二万人近くの外国人が在住する。
教室は一三年度に県の補助を受けてスタートし、一四年度から自主事業として継続。専門家のアドバイスを得て独自の学習マニュアルを作成し、それに基づいて難易度別にレベル一~五の教材も手作りした。
日常のあいさつや文法の基礎から始まり、最後は作文を書けるようになることが目標。生徒の習熟度の差は大きく、三カ月に一度は三者面談を開いて保護者に進捗(しんちょく)状況を報告したり、意見を採り入れたりと、きめ細かくフォローしている。
◇ ◇
代表の山城ロベルトさん(31)は日系三世のペルー人。自らも親の仕事の関係で十五歳で来日し、言葉の苦労を乗り越え大学を優秀な成績で卒業した。センター設立は一一年。もともと外国人医療のボランティア活動に携わっており、応急措置法の普及が目的だったが「多文化共生」をテーマに活動範囲を広げていった。
中でも危機感を持ったのが、母国語教育の機会がないことよる日系外国人の“親子の溝”。「通訳やインターネットの翻訳機能を介して会話をしている親子もあり、家庭崩壊につながりかねない。親戚や友人関係にも支障
が生じる」
教室は三年目に入ったが、努力のかいあって途中でやめた生徒はいない。「子どもが母国語でメールを打つようになった」「親戚と母国語で会話をすることが増えた」。うれしい知らせも保護者から聞くようになった。
営利目的でないため無理に生徒数を増やすつもりはなく、最大三十人ほどを安定して受け入れる考え。「母国語を学ぶことで将来の職業選択の幅も広がる」と山城さん。将来、日本と母国との懸け橋となる人材が育つことを願っている。
(瀬戸勝之)
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日系外国人の子へ母国語教室
◆ブリッジハートセンター東海
「日系外国人の親子のコミュニケーション不足を解消したい」と語る山城さん=浜松市中区で
写真
親は日本語、子どもは母国語がよく分からない。日本での滞在期間が長い日系ブラジル人やペルー人の家庭で生じやすいのが、言葉の壁による親子のコミュニケーション不足。こうした問題を解消する手助けをしようと、「多文化共生」をテーマに活動する「ブリッジハートセンター東海」(浜松市中区)が子どもたちを対象にしたポルトガル語とスペイン語の「母国語教室」を開いている。母国の文化を含めて学べるように授業内容も工夫を凝らし、成果を上げつつある。
時には現地の絵本を読んたり、カードゲームを採り入れたり-。浜松市中区の東部協働センターと湖西市の市民活動センターで、それぞれ週一回と週二回開いている母国語教室は単純な座学にとどまらず、子どもたちが自主的に学べるアイデアを盛り込んでいる。
生徒は小学校二年生から高校三年生まで二十数人。その多くが一九九〇年の出入国管理法改正を機に、日本の大手製造業に出稼ぎにきた日系ブラジル人やペルー人の子弟だ。二〇〇八年のリーマン・ショック以降は減少したとはいえ、浜松市周辺には二万人近くの外国人が在住する。
教室は一三年度に県の補助を受けてスタートし、一四年度から自主事業として継続。専門家のアドバイスを得て独自の学習マニュアルを作成し、それに基づいて難易度別にレベル一~五の教材も手作りした。
日常のあいさつや文法の基礎から始まり、最後は作文を書けるようになることが目標。生徒の習熟度の差は大きく、三カ月に一度は三者面談を開いて保護者に進捗(しんちょく)状況を報告したり、意見を採り入れたりと、きめ細かくフォローしている。
◇ ◇
代表の山城ロベルトさん(31)は日系三世のペルー人。自らも親の仕事の関係で十五歳で来日し、言葉の苦労を乗り越え大学を優秀な成績で卒業した。センター設立は一一年。もともと外国人医療のボランティア活動に携わっており、応急措置法の普及が目的だったが「多文化共生」をテーマに活動範囲を広げていった。
中でも危機感を持ったのが、母国語教育の機会がないことよる日系外国人の“親子の溝”。「通訳やインターネットの翻訳機能を介して会話をしている親子もあり、家庭崩壊につながりかねない。親戚や友人関係にも支障
が生じる」
教室は三年目に入ったが、努力のかいあって途中でやめた生徒はいない。「子どもが母国語でメールを打つようになった」「親戚と母国語で会話をすることが増えた」。うれしい知らせも保護者から聞くようになった。
営利目的でないため無理に生徒数を増やすつもりはなく、最大三十人ほどを安定して受け入れる考え。「母国語を学ぶことで将来の職業選択の幅も広がる」と山城さん。将来、日本と母国との懸け橋となる人材が育つことを願っている。
(瀬戸勝之)