多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

わかりやすい資料づくり2

2018-09-30 19:48:39 | 四方山話
大阪市内の専門学校で、定員を超過した外国人留学生が在学していたとして、入国管理局が在留資格の更新を認めなかったといのニュース記事を昨日読んだ。
私のFB友だちには、私よりも在留資格に明るい人も多くいるので、あまり詳しくは説明しないし、間違っていたらコメントしていただきたいのだけど、「在留資格」というのは、外国人が(日本に住むための要件ではなく)日本国内でどのような活動(主に「仕事」だと考えると理解しやすい)を行うために一定期間、入国することを許可しているかというものだ。
(こう書けば、外国人は日本に住んでいるのではなく、一時的に、仕事をするためだけに来ているという制度設計がわかるだろう。)

この説明で、定員超過が「留学」の在留資格を付与できない状態であるということも理解できるかと思う。定員というのは、適切に学習できるための上限を定めたものであるはずなので、超過していれば、教員数が不足しているとか、教室数が足りないとか、所定のカリキュラムを組むことができないことを指す。ゆえに、在留資格を付与できない状態にあると思料されるわけだ。この点について、専門学校の指導監督官庁である大阪府も指導しており、それを受けて、入管も在留資格の更新は認められないと事前に通告を行ったとのことである。
そして、この定員超過状態が解消されないまま、「留学」の在留資格の在留期間を満了する学生が在留期間の延長申請を行ったところ、その申請が認められない学生が多くあったということに至る。
というのが報道記事の内容である。

これってどうなんよ?と思うところは多々あるが、それはさておき、「わかりやすい資料づくり2」である。

まずは1枚目の某Y新聞社の図を見てみよう。



なんだかゴチャッとしている。
こんなんでわかるかよ!と思ったところで例題に掲載したものだ。
ベトナム・中国という文字と国旗は不要だろう。これは制度の問題なので国籍はまったく必要ない。
次に、「日本語学校など」が入っているが、記事本文中にはまったく触れられていないので、混乱を招く要素になっている。例えば、日本語学校などを卒業しないと専門学校に入学できないのか?など。
また、入学時と退学時に茶色の人のイラストがあるが、これでは入学するときから退学する人物が決まっていたようにも受け止められかねない。制度上、定員超過部分が資格更新を認められない部分なので、あくまでも、専門学校内で、定員数に達するまで資格付与が認められないということであり、在留資格の期限を迎えた順番に、退学者が発生するということになる。

時系列に、左から右へと図を配置していく方法は正しい。

これをわかりやすく図式化したものが2枚目である。



すっきりしているといえば、すっきりはしているが、あえていうなら、わざわざ図解するほどのものではないということだ。図があればあったにせよ、図解の「解」の部分は、口頭で説明した方がいい。
Y新聞は図があったらわかりやすいだろうと作図したのだと思うが、資料づくりの必要な観点としては、その図があることで、どれだけ「解説がしやすくなるか」ということもポイントになるだろう。

ということで、2回目の今日は、図解は万能ではないということを学んでいただいたかと思う。
こんな調子でよければ3回目もあるかもしれない。が、こういうのはメルマガとかMLとか閉じた環境で、かつ双方向の意見が交換できる場でやった方がいいような気もする。

わかりやすい資料づくりというのは、なにも図解だけではなく、文章や表、数式の出し方なども含まれるものだ。
むぅー、ちょっと構成について、考えてみようかな。

わかりやすい資料づくり

2018-09-26 04:24:45 | 四方山話


人生も折り返し地点を過ぎてくると、どちらかというと、後進の指導育成に目が行くものだが、自分のうしろを振り返ってみると、「はっ!誰もいない!」的な、後進の影が見えないので(もちろん現実社会的にはいないこともないが)、こんなところで出してみたりする。

わかりやすい資料づくりである。

1985年から2016年まで、5年単位の人口動態統計の各年の婚姻件数総数と、夫婦の初婚・再婚の組合せの比率を示したグラフである。こんな統計は、自分のテリトリーではないので、データ保存するつもりもないのだが、練習用に作ってみたものだ。

政府各省庁で作成している「○○白書」や、ネット上でもよく見かけるグラフが左側のものである。エクセルのコマンドどおりにポチポチやっていくと、できあがる。一応は、2軸表示にしてあるので、ズブのド素人よりも少しはマシなレベルである。たぶん。

左グラフでも、一応、ちゃんと見ればわかる。というか、ちゃんと見ればわかるということであれば、数字を記載した表を掲載しても、見る人が見ればわかる。数字を追えばわかるわけだから。ただ、忙しい現代人や、読解能力が乏しかったりすると、わかりやすい図表を求めるものなのだ。(それがいいことかどうかは置いておいて。)

なにがわかりにくいかというと、まず、折れ線グラフと棒グラフが重なっている点だ。関連性が緊密であれば、重ねた方がいい場合もあるだろうが、この統計の場合は、婚姻件数が全体に減少傾向にあることがわかればいい。なので、重ねない方が見やすいノダ。
また、折れ線を際立たせたい欲求があるのかもしれないが、いちいち破線にする意味がない。かえって見づらくなっている。「目立ちたい」と思うばかりに沈没するキャラクターがあるようにダ(笑)

次に、棒グラフの色に必然性がない。仮に、夫初婚・妻再婚を際立たせたいのであれば、そこだけ色を変えることも必要だろうが、すべての色を区別する必要はない。(他のグラフと関連性を持たせたいのであれば、それぞれ同色を使っていく必要性はある。それにしても見にくいことに変わりはないが。)
枠線も実のところ、結構、うるさい。ない方がすっきりする。

軸の単位もどの程度の単位が必要なのか考えるべきだ。
10%刻みで必要なのか、それとも、もっと大雑把でいいのか。

右のグラフは、
・婚姻件数が減少傾向にあること
・夫婦ともに初婚であることが減少傾向にあること
のみを、伝えるように作成し直したものだ。

ということで、「わかりやすい資料づくり入門編」にご参加いただきたい方は、ご連絡くださいませ。
当面、開講の予定はまったくありませんが(笑)

ノーカーデーに自転車に乗ってはイカンのか?(続編)

2018-09-21 19:03:53 | 自転車
さて、今日は逆を行ってみよう!
通勤・通学に自動車を使っている人の割合をみてみると・・・うーむ、案の定、富山県が第1位だ。もう少し真剣にノーマイカーデーに取組んでいったほうがいいかもしれない。
自転車も使わなけりゃバスも鉄道も使わない。
クルマ依存度の高い富山県に未来はあるのか!?

ちなみに、横書きの(保有 )とあるのは、世帯別の自家用乗用車の保有割合の都
道府県別の順位だ。秋田や島根、鳥取などは保有台数では順位が落ちるものの、通勤・通学にしっかり使っているということだ。
有効に活用している。エライ!
その反対に、岐阜(保有4位、通勤15位)、茨城(保有7位、通勤18位)などは、車は持っているものの、通勤・通学では順位を落としている。車の稼働率が悪いのだろうか。

ん?
もしかして。
鉄道利用のランキングを見ると、茨城は14位、岐阜は18位だ。
ということは、車は持っているものの、通勤・通学では電車を使うって、意識高い系ってことか?
茨城、岐阜両県の生の声を聞きたいところだ。

1 富山県(保有2)
2 山形県(保有5)
3 福井県(保有1)
4 秋田県(保有20)
5 群馬県(保有3)
6 福島県(保有11)
7 島根県(保有18)
8 長野県(保有8)
9 鳥取県(保有17)
10 栃木県(保有6)

(中略)

38 福岡県
39 広島県
40 奈良県
41 兵庫県
42 千葉県
43 埼玉県
44 京都府
45 神奈川県
46 大阪府
47 東京都

で、下位の方を見ていくと、うーむ鉄道の駅、多そうだよね。
ということで、鉄道の面積あたりの駅数の上位を並べてみると、

1 東京都
2 大阪府
3 神奈川県
4 愛知県
5 福岡県
6 千葉県
7 埼玉県
8 香川県
9 京都府
10 兵庫県

なるほど、確かに正の相関関係があることがわかる。
しかしだ。

11 富山県

だったりする。
山形(42位)、秋田(43位)など、駅も少ないから自動車に乗るしかなかんべってのはわかるが、自動車利用度1位の富山(11位)や同3位の福井(16位)などは、何か特殊な事情があるか、もしくは交通政策自体に欠陥があるとしか思えない。

しかしだ。
すぐに当てがつくのは、富山市内の路面電車の存在である。
この路面電車は富山市内中心部の富山大学前駅から南富山駅までの延長約7kmほどしかカバーしていない。それにも関わらず、上記の統計処理には路面電車の駅の数がカウントされているし、3系統それぞれで駅をカウントしているので、トリプルカウントの駅まで含まれている。
うーむ、統計データ、おそるべし。
安直に統計データを信用してはならない。
前提条件次第で、恣意的に統計データを捻じ曲げることもできるのだ。こういうことは、できあがった統計データをそのまま活用している人では気付かない。
統計データの穴にズッポリはまり込んでいることにも気付かず、無自覚に統計データを押し付けてくる。やたらと客観性やら合理性やらを押し付けてくるので要注意だわ。

ということで、この路面電車を控除して再計算すると、下位に転落することは間違いないだろう(どういう計算をしているのか、よくわからないので、正確には再現できない)。

そういうわけで、今日の1回目の結論。
人口集中度にほどほどにばらつきがあり、鉄道が普及していないと、自動車依存から逃れることはできない。
人口が過密になればなるほど、道路に自動車の渋滞が発生して移動に時間がかかるうえ、ストレスもかかる。それを避けるために鉄道やバスを選択する。鉄道を利用する人口も、相当のボリュームがあれば経営上の問題もない。
ということは、人が過密して居住している都市状況になければ公共交通機関は成立しない。以上。

うーむ。身も蓋もない。
あまりにも身も蓋もないので、家計負担からアプローチしてみよう。
例えば、片道5kmの会社に通勤している場合だ。
(自宅から近くの会社を想定。)
総移動距離は 5km×2×20日/月×12月=2,400kmとなる。
これをリッター10km、ガソリン150円/リットルとすると、
2,400km÷10km×150円=年間36,000円だ。
これよりも安くなければバスや鉄道を使おうというインセンティブは働かない。
36,000円÷12月÷20日÷2(往復)=75円

安い!安すぎる!
これでは勝負にならんて。

会社の駐車場が無料であれば、このままの計算になる。
しかし、いくらなんでも社員の駐車場を無料で確保できるような会社は相当な過疎地でもなければ無理だろう。

ということで、月極めの駐車場を借り上げた場合、
仮に3,000円/月(←会社が補助する場合)、
20,000円/月
の2パターンで、同様に日額と計算すると、
3,000円/月×12月÷12月÷20日=150円
20,000円/月×12月÷12月÷20日=1,000円

ということで、片道75円~1,075円までバラつきが出てしまう。
例えば、うちの近所で、比較してみると、

バス 370円
電車 210円 だ。

これに加えて、徒歩の時間が別にかかり、バスの場合、片道20分、電車なら片道30分というハンディキャップも背負う。

ということで、公共交通機関を存続させるためには、駐車場の借上料への補助はもちろん、通勤手当も支給してはならない。というのが今日、2回目の結論だ。
バスだろうが自家用車だろうが、実額相当を通勤手当として支給していては、時間がかかる分だけ公共交通機関を避けるのは目に見えている。好き好んで混雑しているバスやら電車に乗りたがる人も少ないだろう。

しかし。だ。
会社として社員がどこから通勤してこようが、通勤手当を一切支給しないとなると、法的には問題なくとも、社員間の不公平感も生じるだろうし、社会通念上、それは許されないだろう。
仮に、公共交通機関に通勤手段を誘導しようと、バス代等の実額以上に支給してしまうと、社員間の不公平感を再び助長してしまう。
難しいな・・・というのが今日、3回目の結論だ。

となると、個人を介さずにお金を移動させるしかない。

例えば、バス会社はQRコードでもバーコードでも何でもいいが、乗車用のパスを会社に渡す。バス通勤者は、そのパスを使って無料で乗車できる。片やバス側では乗車、降車時にパスを認識し、当該会社の社員が何人いくら分利用したかカウントする。
で、月締めでバス会社は当該会社に請求し、会社は3割増とか5割増という形でバス会社を支援する。
自家用通勤者には実額相当の通勤手当を支給するので、社員間の不公平感は発生しない。

しかし。だ。
今度は、企業側としてはよけいな負担はしたくないという気持ちが働いてしまう。
となると、最後は税金で補填するということになってしまい、そうなると当事者意識が働かなくなり、みんなで存続させようという意識も醸成されず、結局、無駄な税金が流れることになってしまい、役所に無駄な事業はヤメロという声が集まり、廃止事業になってしまい、人口減少社会がそれに拍車をかけて、公共交通機関は衰退していく。
うーむ、結局ダメなのか。

利益誘導で物事を考えようとすると、成立しないものが多い。

ということで、茨城や岐阜はどうなっているのか?
と、最初に戻る。

ノーカーデーに自転車に乗ってはイカンのか?

2018-09-21 00:00:00 | 自転車
当ブログでは唐突感があるが、個人FBでは、しょっちゅう書いてる自転車ネタ。
こちらでも展開していこう。

さて。
いつもは自転車通勤だが、今日は雨予報につき、自動車通勤だ。
帰りのラジオで「今日から県内でノーマイカーデーが実施されます」とパーソナリティーが話していた。
「現実問題として、それは無理なんだよ」と思う。
そこで、ラジオで紹介されていた旗を振っているところの富山県の総合交通政策室のページを見ると、こう書いてある。
「北陸新幹線の開業後、地域公共交通の果たす役割がますます重要になっているなか、県民の皆さんに広く公共交通の利用を呼びかけることにより、マイカーに依存した生活を見直すきっかけとし、エコや健康づくりにもつながる公共交通の利用を一層促進するため、『県・市町村統一ノーマイカー運動』を実施します。ノーマイカー運動期間中は、通勤・通学において、下記の交通機関が1回の乗車につき100円で乗車できます。」とある。

うーむ、つっこみどころが結構あるな。
素直に読むと、次のようになる。
「北陸新幹線が開業したせいで、地域に根差した公共交通機関の衰退が懸念されます。公共交通機関を使えば、エコや健康づくりにも好影響があります。だから、公共交通機関を使ってね」だ。
論旨が破たんしている。
もしこれが中学生の国語のテスト問題に使われたら、誤解答続出だろう。

参加対象にはこう書いてある。
「公共交通機関以外の方法(マイカー、バイク、徒歩、自転車など)で通勤・通学している方」。
オイオイまてよ。徒歩や自転車はエコでも健康的でもないのか?
おかしいダロ。徒歩も自転車も対象に含めるなら「公共交通機関以外の人は、極力、公共交通機関を使え」と書くべきだろう。(割引のことは、あえて言わない。)

なんだかよくわからないので、Wikipediaを参照する。
概要にはこう書いてある。
「一定の月日・曜日・または期間を「ノーカーデー」または「ノーマイカーデー」と定め、自家用車の利用自粛と公共交通機関の利用を呼びかける。日本では、1971年(昭和46年)10月3日に東京都八王子市が毎週水曜日に、大気汚染の抑制と交通渋滞の緩和を目的に、自動車利用を自粛するよう呼びかけたのが最初である。」
わかりやすいじゃないか。大気汚染の抑制、交通渋滞の緩和、自動車利用の自粛だ。ノー・カーなのだから、エコとか健康とか言うなってことだよ。徒歩や自転車まで公共交通機関を使えって、いったい何のことだよ?

そして、Wikipediaでは、主な事例として、北海道(札幌市、釧路市)、愛知県(名古屋市)、大阪府(大阪市)、京都府{京都市)、福岡県(福岡市)が紹介されている。
実感として、京都市などは、バイクも多いが、自転車もかなり多いように思われるので、通勤・通学に使われる「徒歩・自転車」の利用度を調べてみた。

その結果
15歳以上の人が自宅から通勤・通学のために、1つの交通手段のみ(「自動車のみ」、「徒歩のみ」といった形で、複合的に「自動車と徒歩」、「電車と自転車」といった回答を含めない)で、「徒歩・自転車」の利用度を調べてみたところ、上位10県は次のとおりだ。
1位 大阪府
2位 京都府
3位 愛媛県
4位 高知県
5位 東京都
6位 広島県
7位 北海道
8位 兵庫県
9位 岡山県
10位香川県
だ。
事例にある大阪、京都などは、都市部ゆえにノー・カーを呼びかけたいというところなのだろうか。大阪府なんて、27.4%が徒歩・自転車だぜ。大阪も京都も学生が多いし、フラットな地形で雪も降らないから自転車が重宝されているのかなと思う。

そして富山はどうかというと…、はたして全国最下位である。
サイテーだぜ。
全国でもっとも通勤・通学に「徒歩・自転車」を使わない県なのである。「健康づくり」と言いたくなる気持ちはわからないでもない。
「雪が降るからさ」
とか言うなよ!富山よりも北半分は雪降るダロ!
富山より北にある日本海側の県でいうと、
新潟県 40位
山形県 37位
秋田県 34位
青森県 18位
北海道  7位
だ。

「富山は日本のスウェーデン」とか書いている人もいるが、ホントにダイジョブか?

富山はホントに自転車ライダーが少ないのね。
くすんくすん。
50m先のゴミステーションまで車でゴミ出ししちゃうもんね。

あ、鳥取をグラフに入れたのは、全国23位の中位で、しかも日本海側だからです。地下鉄などのある都市部を除いたら、どこも似たり寄ったりかもしれませんね。

北海道胆振東部地震の発生状況について

2018-09-14 21:52:46 | 多文化共生
北海道胆振東部地震の日別震度別の発生回数と、避難者数の推移について、発災から1週間分をまとめたものです。



地震の予知は誰にもできないので、地震の終息宣言は誰にもできないことですが、傾向や可能性として、収束傾向にあり、終息に向かっているということを可視化したグラフのつもりです。

棒グラフが震度別の地震の回数で、日本気象協会のデータをグラフ化したもの、赤の折れ線グラフは避難所への避難者数で、北海道庁の公表資料をグラフ化したものです。

地震の発生回数については、左の軸に数値があるとおり、例えば9月6日であれば、80回を超える地震が発生したことがわかりますが、視認性の関係上、避難者数の数値は表示していません。ピーク時が9月7日の22時現在で、13,111人、そして最も少ない値は9月12日の12時現在で、1,590人となっています。

過去の地震では、3日目に余震の回数が発災当日を上回ったりすることもありましたが、今回は、余震の数は、確実に漸減していっています。このまま沈静化してほしいなと思います。

避難者数を見ると、過去の経験では、おおむね発災当日か翌日がピーク(大きな余震があればピークの2つの山ができることもある)になるわけだけど、今回は大きな余震もないものの、3日目がピークになっている。
これは今回の地震災害の特殊性で、全道が停電に陥ったことから、避難者数の捕捉(集計)ができなかったためだろうと思われる。
さらに、報道等でも報じられているとおり、交通機関の寸断により、多くの観光客が足止めに遭い、数百人単位で観光客のための避難所が開設されたことがわかっている。
おそらく、7日に航空便や、北海道新幹線が再開されたことに伴い、8日のピーク時から一気に避難者が減少しているのはそのためだろうと推察される。
いくつかの災害の現場に訪れていると、ひとつとして同じ災害(被災状況)がないわけで、例えば、今回のような全道停電のような状況は、特殊事情として考慮すべきことではあるものの、どの災害にも共通することではない。

臨機応変に対応できるよう考えておくこと。
これは案外、簡単そうで、難しいことなのかもしれないのだ。

yahoo記事【北海道地震】日本語がわからない外国人等とのコミュニケーションに使える無料多言語支援ツール集

2018-09-14 03:01:29 | 多文化共生
田中宝紀 | NPO法人青少年自立援助センター定住外国人支援事業部責任者
9/6(木) 13:05

訪日外国人観光客や日本語がわからない生活者への配慮を


として、いろいろなサイトなど、掲載してあります。

* 気象庁 緊急地震速報・津波警報の多言語辞書

https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/tagengo/tagengo.html

* 避難所などで活用できる多言語表示シートやピクトグラム

http://dis.clair.or.jp/

などです。

ご参考まで。

災害時における避難所運営の難しさ

2018-09-13 16:16:22 | ダイバーシティ
今日はこちらのページをご紹介します。
人道的な避難所設営と運営を」というNHK解説委員室のページになります。
2018年06月25日 (月)の記事になります。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/299804.html

まずはエキスとなる部分を抜粋してみます。
-----ここから-----
国連は紛争や災害後であっても被災者や難民が人間的に安全に生活できる権利があることを明確に認めています。
これを実現するため国際赤十字や人道援助を行っている世界中のNGOが集まって1997年より地球規模で行うという意味で、スフィアプロジェクトという活動が開始されました。スフィアプロジェクトでは人道的な避難所運営のための行動理念と基準そして場所・物資などについての最低基準を明文化しました。
この避難所の最低基準がスフィア基準と言われているものです。これは発展途上国を含めた全世界の災害被災者および難民の人権を守るための最低基準です。
しかし日本の避難所ではその基準を満たしていないものがたくさんあるのです。
-----ここまで-----

と、ここからは日本の災害時における避難所でのトイレの設置基準が引用され、日本政府はもっと深く理解し、反省して改善すべきとしています。
こちらの衝撃的な写真が掲載されており、日本の避難所は85年前と同じ景色と紹介されています。
いつの間にか、私たちの意識の中に、災害時の避難所は「劣悪な環境」であることが当たり前と刷り込まれているようです。

日本の避難所の設営、運営が基礎自治体である市区町村に任されている一方で、イタリアでは1980年のイルピニア地震を受けて、自治体中心の災害対策から市民保護の国家機関を設立し、国が直接関与する体制に移行させたことや、アメリカでは国土保障省や緊急事態管理庁FEMA、英国には国土安全保障省、EU諸国にも市民保護省があります。
一方で、日本ではかつて、寺田寅彦(東京帝国大学の物理学者で東大地震研究所所にも所属)が、昭和初期から災害、天災は国難であって、国防と災害対策は国が行うべきと主張されていたことも紹介されています。
ということで、「日本政府はもっと深く理解し、反省して改善すべき」ということに再びつながっていくわけです。

そして、2009年に発生したイタリアのラクイラ地震では仮設トイレが発災当日に届き、暖かい夕食が当日夜に供与されたことを例にあげ、この理由を3つ明示しています。

(1)法律で避難所には48時間以内にテントやベッド、仮設トイレや食堂などを準備し提供しなければならないことが明記してあること
(2)支援物資が大量に備蓄されていること。このための大きな備蓄倉庫が各州にあり、さらにボランティア団体にも備蓄倉庫があること
(3)災害支援物資を運搬・配布する職能支援者が多数いること

国が先導しているからこそ実現可能ということです。
このことを受けて、日本の避難所環境改善のために必要なこととして、次の2つのことを提言しています。

(1)災害救助法など災害関連法の見直しと改訂
(2)職能支援者組織の構築と国による統括

1つめの理由は明確です。国主導へと法改正を行っていくことです。必要な備蓄や仮設トイレや簡易ベッドの数を明文化することで、48時間以内に必要な設備を整えていくことになります。

2つめには、日本では聞きなれない「職能支援者」という単語が出てきます。
こちらについて、少し詳しく触れています。

-----ここから-----
職能支援者とは職業を持った一般住民です。災害支援活動を希望して、あらかじめ災害時の対応訓練を受けてから国に登録している人々です。職能支援者は被災地で自らの職業を行います。たとえばコックさんは料理を作る、運転手はトラックを運転するなどです。また職能支援者には被災地までの交通費が国から支払わられ、日当も支給される場合があります。さらにイタリアでは登録している職能支援者に被災地へ行くように連絡があった場合には、雇用者はそれを拒否できない法律もあります。このようにしてイタリアでは災害時に支援する300万人近い登録された職能支援者がいます。
日本でもこのような仕組みが早急に必要です。なぜなら首都直下地震や南海トラフ地震などでは圧倒的に災害支援者が不足するからです。熊本地震と同じだけの支援を行おうとすると警察・消防だけでも400万人以上必要という試算もあり公務員だけでは現実的に不可能です。
-----ここまで-----

災害時の現場を見ていると、すべての避難所に公務員が張り付いていないという現実もあります。学校の教員が自主的に避難所運営を手伝っている例もありました。
また、必ずといっていいほど、他の自治体から公務員が派遣され、場合によっては、かなり長期的に派遣され続けているという例もあります。
明らかに、基礎自治体だけで災害時対応していくことは、とても不可能であることは、すでに自明のことです。

最後に、避難所運営についての人道的配慮について触れられています。

-----ここから------
最後に避難所の運営側への人道的配慮について考えたいと思います。日本では家族が行方不明になるなかで公務員が住民のために無理して働くことが美談とされているところがあります。しかしこれは被災地の公務員も一人の被災者であると考えた場合に人道的に許されることなのでしょうか。家族を気遣い、行方不明の家族を探すことを認める人道的な配慮が必要なのではないでしょうか。残念ながら日本で今の災害対策を続ける限りこのようなことは続くと思われます。イタリアでは前述したように国が中心となって被災地以外から市民保護省と職能支援者が来て避難所を設営し運営します。もちろん被災地の公務員も協力しますが、日本のように被災地の公務員が中心になって避難所運営することはあり得ません。
-----ここまで-----

この記事では、法を改正して国に災害対策専門省庁を設置すること、職能支援者組織の構築が、人道的な避難所運営の唯一の方法とまとめています。
ただ、私はそれにはもっと根深い背景があると考えています。
国民所得と国民負担率、社会保障制度、行政の肥大化と国民の行政に対する無関心、地域住民同士やボランティア活動の低調など、さまざまな問題が、ほどけることなく複雑に絡み合っていると考えられます。
国に災害対策専門省庁を設置することは必要でしょうが、現状のままだと、国に丸投げして、すべての責任は国に押し付けられるでしょう。職能支援組織もすぐに機能するとは考えにくいです。

北海道胆振地方地震に対する多言語情報支援について

2018-09-06 16:46:55 | 多文化共生
NPO法人多文化共生マネージャー全国協議会では、2018年9月6日に発生した北海道胆振地方地震における外国語での情報提供について、一覧形式でHPにまとめて掲載しています。
これに加えて有用な情報等がありましたら、ぜひ、ご連絡ください。

NPOタブマネHP
https://www.npotabumane.com/平成30年北海道胆振地方地震について/

どうもご無沙汰しています。

2018-09-05 19:48:52 | お知らせ
どうもご無沙汰しています。
3年ぶりくらいの更新になるようです。
管理人のtei-kaです。

ブログを更新しなくなった理由は比較的明確で、どちらかというと、政治的な動向であったり、メディアのありかたであったり、いささか辟易するような記事を多く目にするようになってきたことでもあり、単に自分が忙しくなったというだけでもないわけです。

そして、匿名で続けていたにも関わらず「tei-kaさん(←もちろん、ここには実名が入りますが)のブログ見てますよ」と言われることも、ときどきあり、なんだか、たまには更新した方がいいのかなぁと思ったりもした次第です。

自分のことを知っている人が読めば、ほとんど実名バレバレのブログではありますが、少々、続けてみようかなとも思います。
ということで、一応、今回は再開の予告のみとなります。