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石巻の友人見捨てない英国人准教授

2011-03-27 13:55:49 | 多文化共生
(以下、日刊スポーツ新聞から転載)
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石巻の友人見捨てない英国人准教授

 石巻が好きだから-。福島第1原発の放射性物質が漏れた影響で在日英国大使館から退避指示を受けながら、途中で引き返して宮城県石巻市に残った英国人がいた。同市に暮らして18年になる石巻専修大理工学部准教授のリチャード・ハルバーシュタットさん(45)。1度は英国帰国を決意しながら「友だちを見捨てたくない」と寸前で思いとどまった。津波被害からの復興に、仲間とともに尽力している。

 5階にある自宅は、津波被害だけは免れた。だが、地震で部屋はハチャメチャ。地域では電気も水道も、ガスも復旧しない。汚泥の悪臭が鼻を突き、マスクは外せない。それでも、ハルバーシュタットさんは「正直、今の生活は嫌ですよ。街はひどいし、不便でトイレも満足にできない。でも、残ったことに悔いはないんです」と打ち明けた。

 地震当時、大学研究室にいた。大学は高台にあり、津波被害も受けなかった。だが、街に戻って初めて、被害の甚大さを目の当たりにした。仲良しだった金物店の友人夫婦は、津波にのみ込まれた。遺体が見つかった車に駆け寄ると、友人が大好きだった日本酒を注いだ。知人が何人も、消息不明になった。

 在日英国大使館からの連絡は17日、突然あった。「東北の人は国外に出た方がいい」。福島第1原発から80キロ以内が、英国政府の退避勧告区域。石巻は100キロ以上離れており、勧告ではなく指示だったが「すごく悩みました」。日本人の友人は全員「当然、行くべきだ」と言った。周囲の外国人100+ 件は帰国し、英国の友人からも「帰ってこい」とメールが来た。迷いながらも、1度は帰国を決意した。翌18日、涙で友人と別れを惜しみ、大使館の迎えの車に乗った。

 電気が通っていた仙台で1泊した際、震災以来初めてテレビをつけた。石巻市内の惨状が映っていた。すると、全壊した家の前でおばあさんが笑っていた。「すべてなくしたから、もう笑うしかないよ。これから頑張るしかないね」。

 「衝撃的でした。なんで笑えるのかと。自分の家は無事で命もあるのに、逃げることになる。友だちを見捨てることはできないと思った。行けば、自分で自分が許せなくなる」。88年から3年間、山形・鶴岡市で暮らして日本が好きになった。93年に再来日し、石巻専修大で英会話を教えてきた。以来18年暮らした第2の故郷に、わずか一夜で引き返した。前日に送り出したばかりの友人に「ばか者」と怒られた。それが「うれしかった」。もう1度涙で再会を喜んだ。

 石巻駅前で物資を配り、トイレ掃除などを手伝う。「みんなには『英国で募金活動と、石巻の名前を広めてこい』と言われていたので、任務失敗と言われています」。だが、新たな使命感は胸の中にある。「元通りにすることはできないかもしれない。でも、楽しい街にもう1度、絶対する」。その日を、夢見ている。【今村健人】

 ◆石巻市の被害状況 宮城県のホームページによると、26日午後4時30分時点で死者は2127人、行方不明者が2720人と同県内で最も被害が大きかった。避難所は169カ所、避難者は2万7172人とされる。被害の大きかったのは沿岸部と河口部で、住宅の全壊、半壊、浸水などは数えきれず、調査中とだけ記されている。電気や水道などライフラインは一部復旧した地域もあるとされるが、依然として厳しい環境が続いている。

 [2011年3月27日8時49分 紙面から]

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