多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

就職することがゴールではないが就業体験をしてみないとわからないこともあるので在学中にいろいろなツールを試してみるのがよいのこと

2019-07-25 20:01:59 | 富山ネタ
福祉の領域にいると、就業させてナンボのもんじゃ的な感覚が蔓延していることに愕然とすることがある。
そもそも仕事ってどんなものかイメージできてないところでいきなり就職して、学校の中の集団生活とのギャップに苦しむことが多々ある。昨今、大人の発達障害の問題が顕在化してきているが、異世代間の世界に突入して、今までのガッコーの世界がおかしかったのか、あるいは、会社世界がおかしいのか、何が何だかわからなくなる人も多いと思う。健常者だって、そうだと思うよ。健常者と障がい者の境目がどんどんわからなくなってきているけど。


ともあれ、大人の社会って、こんな感じなんだなって、見てみるのが早い。
行政機関はもちろん、いろんなところで就業体験をしていると思うから。


ということで、富山県で建設現場を見てみようってのがコチラ。


http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1510/kj00020639.html

以下、HPから引用です。


■テーマ
 建設のプロに会いに行こう!
 高校生のための現場見学ツアー


■開催日時:
 2019年8月6日(火)9:30~17:00頃


■対象者:
 県内の高校・高専に在学している方
 (定員:先着20名)


■見学先等:
 設計の現場/生コンプラントの現場/製鉄工場/コンクリート二次製品工場/橋梁の架設
 
 ※動きやすい靴・服装でご参加ください
 ※当日の昼食は各自でご持参ください
 (昼食:道の駅新湊において各自)
 ※当日撮影した写真などを広報等に使用する場合があります


■集合・解散:
 集合 富山駅北口9:30
 解散 高岡駅南口16:15頃/富山駅北口17:10頃


■参加費:無料(別途、県負担により傷害保険に加入します)


■応募方法:
1 Web(関連リンクのWEB申込フォームよりご応募ください。)
富山県電子申請システム
https://shinsei.pref.toyama.lg.jp/SksJuminWeb/EntryForm?id=eGd8jZHj>


2 郵送またはFAX
関連ファイルのチラシ(裏面)の参加申込書にご記入の上、下記申込先までお送りください。


※お電話でのお申込みは承っておりません。
※申込みの際に収集した個人情報は本事業開催のためのみに利用し、その他の目的では利用しません。


■応募締切:※延長しました!!
 7月29日(月)午前中まで 
 ※先着順です。参加決定者には、7月31日(水)までに参加案内を送付します。


富山ネタがあまりに少ないのでちょっと過去記事を掲載してみる【五衛門】

2019-06-21 19:12:51 | 富山ネタ


今日はガチンコだ。


いつもは写真を眺めながらダラダラとニヤニヤ書いているだけだが、たまには書きたいことや書こうと思うテーマを定めて書くことがある。


えっ!


いつも何も考えないで、あんなにダラダラ長い文章を書いているのか?と思う人も少なからずいるみたいだけど、何も考えてないから駄文は続くよいつまでもGo!Go!ってな感じなわけだ。
なので、自分の場合、書きたいテーマが最初にあって、それを書いていく人を尊敬する。スゲーなと思う。
自分にはできないことだから。


さて。
蕎麦もそうだが、ラーメン店でもたまに激しくむせているというか、咳き込んでいる人を見かけることがある。
これは人類の生物学的な構造上のモンダイなのダガ、ネギが気道に入りそうになって咳き込む(つまり気道から出そうとする)状態だったりする。
日本人にはススリ込む文化が根付いているので、ぞぞぞぞぞーっと麺がジェットコースターのように滑り込んでいくと、シートベルトをしていない麺以外の固形物(多くの場合、ネギ)が気道へと振り切られる形になるわけだ。
オレくらいの麺類大魔王になると、なんつーか、食道がガバッと開いてすべてを吸い込むブラックホールのような状態になるわけだが、ここに至るまでは長い格闘の歴史が必要だ。かくいうオレも、ノーズホールからネギが飛び出したことはないではない。輪廻転生、再びネギが現世に蘇ったようなものダヨ。


しかし、賢明な読者はここで気付くはずだ!
そう、咀嚼というものがある。
咀嚼により消化酵素アミラーゼが分泌され、でんぶんを分解するのだ。栄養摂取にあたり、大切な活動なわけだ、咀嚼とは。


テメー!咀嚼しとらんのか!


す・スマヌ!
もすかすたら、、、はい。ほぼ丸のみデス。
それでいいんかーい(怒)


ハァハァ。
なにを書いているのかわからなくなってきた。。。


とにかくネギだ。
ちがった。気道に入ると困るという話だ。
まれに風邪気味とか体調不良だと(トシのせいかもしれないが)、激しくスプラッシュマウンテンのようになりそうで、ススリ込むことができないというか、静々と遠慮しがちにススリ込むことがある。麺を食ってる感じがしない。
うーむ。
歳を取っていくと、気道が細くなったりなんやらで、ガッツリ丸飲み状態は維持できなくなるようでもある。そりゃそーだろー。


と、考えていると、自分の人生の幕引きのタイミングは、ロードバイクに乗れなくなったときなのか、ラーメンを食べられなくなったときなのか、それが蕎麦なのか味噌汁なのか。
小便や大便ができなくても食えるうちは生きていくのか、糞尿まき散らしても食いたいうちは生きながらえていくのかなどと考えてしまうわけだ。
もしかしたら、食うだけなら食えるかもしれないが、果たしてそこに喜びが伴っているものなのか。くぅーーー。(遠い目)


透明なスープだ。
旨味は多いが甘味が少ないので個人的には口当たりがいい。
チャーシュー3枚は少しばかり多い。ネギはこのくらいあってもいい。
こういうバランスがいいなと思うことも、年齢とともに変化していく。こりゃ食えん、みたいな。


だからこそだ。
麺はこういうのがいいとか、スープはどうとか。
やれ美味しくないと感じているなら、誰でも美味しく感じられるものがいいダロとか、感じ方を変えろだとか個人やその周辺へと問題が押しやられて行く。
それでいいのか?
そもそものベースラインである丼ぶり自体が沈んでいるのではないか。ダイジョブか?麺類、食っていいのか?みたいな。


災害復興のニュースに出てくる子どもたちを見ていると、なんだか涙が出てくるぜ。
本当に申し訳ない世の中でスマンと。


むぅー。結局、テーマが何だったのか、よくわからないままに終わってしまう。
こんなもんだ。スマヌ。
テーマを決めて書くんじゃなかったんかーい!


富山ネタがあまりに少ないのでちょっと過去記事を掲載してみる【神通町田村】

2019-06-06 00:00:00 | 富山ネタ
facebookにはいろいろ書いてはいるのダガ、あまりに個人的ネタが多すぎるので、公開していないものがほとんどだ。
しかし、このブログには富山ネタがあまりに少ないので、今後、少し増やしていこうかなと思いつつ、過去記事で差し支えないものがあれば、掲載してもいいかなとも思いつつ、とりあえずは掲載してみることにする。

以下、2016年5月31日の記事だ。

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風薫る5月の最終日の晴れ間の中、ごく個人的な、けれども自分にとっては確固たる目的地へと自転車を走らせるのは爽快だ。

店内はほどよく混雑しており、空いている数席分が自分のためだけに残されているように感じられる。カウンターの椅子を引いたところで、店員さんに背中から声をかけられる。
「柴垣さん、いいタイミングです。(月替わり蕎麦の)信州もあります」。
肩越しに店内を見渡すと、食事を終えて談笑している人、今まさに食事中の人がほとんどであり、厨房内ではすぐにでも注文を受けることができる状態という意味だと理解する。
厨房から、代わる代わる「いらっしゃい」「いらっしゃいませ」と出迎えを受ける。ここには確かに自分の居場所があるのだと感じる。人には何かに参加しているという一面と、何かに帰属しているという一面が対を為して、バランスを保っている状態が好ましいのではないかと思っている。前を向いて進んでいくのだけど、その背中側にはそれを支える何かがある。言い換えるなら、何かに取り組み、参画している一方で、帰属意識がその支えになっているというような。

例えば、働きづめの会社人間といわれるような中高年の男性が、あるとき何かの拍子で仕事が変わったり、それを失ったとき、とたんに元気がなくなることは今さら自分がいうまでもないことだけど、その対処法として、仕事を見つけるとか仕事を与える若しくは仕事を作り出すという方法が一般的に採られることが多い。
だけども、それでは物事の一面のみを捉えた対処法であり、一時的に好転したとしても、それだけでは長続きはしないのではないかと思っている。それは、その男性が、会社組織や経済システムに帰属しているからに他ならない。すなわち帰属意識が失われたところに、仕事だけが存在しても長続きはしないということだ。
仮にこう考えてみると、よくわかるのではないかと思う。
ある人が、ある種の信仰的な信条により、会社勤めをしていたとする。その人が何かの拍子で仕事を失ったとしても、その信仰的な信条を達成すべき代替的な活動がそこにあれば、元気を失うということはないだろう。要するに帰属意識が失われなければ、再起することは比較的容易なのではないかと思うのだ。もちろん比較的ということに過ぎないのだけど。
そして、仕事に倦むことなく怠らず取り組むということも、職人的気質として、失ってはならない人の性質のひとつだというも間違いがないところだと思っている。

自分は便宜的に「帰属意識」という言葉を用いているけれど、人によって物事の捉え方がさまざまであるように、いろいろな呼ばれ方がある。絆という人もいれば、同じようなニュアンスで、つながり、ネットワークと捉えている人もいる。社会的責任や道義的責任、役割、いきがい、信念、使命感などいろいろだ。どんな言葉でもよいのだけど、自分が研修時に用いる言葉としては、「帰属意識」がもっとも研修内容にフィットしているだけのことだ。ただそれだけの理由で使っている言葉なので、「帰属意識」といわれても、ピンとこない人もきっとたくさんいると思う。

そういうわけで、お店を出ようとしたときに、またも背中から声をかけられた。今日は背中から声をかけられる日なのだなと思いながら振り返ると、そこには柔和な笑顔を湛えた懐かしい御婦人の姿があり、かなり驚いた。なぜなら、もう7、8年前ほど前のことになると思うのだけど、彼女こそ「柴垣さんにとって、多文化共生はミッションなのですか」と問うたその人だったからだ。
他愛のない話をしながら、心の中では、しっかりと、こう答えていた。「あなたの仰ったことはよく覚えています。相も変わらず今でも多文化共生は自分の大切なミッションのひとつです。もちろん、ごく個人的なことであることにも変わりありません」と。