多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

やっぱり10年間の使い捨て労働力の確保のための法改正だったのねが明確になったのこと

2019-05-31 00:00:00 | 多文化共生
昨年末(12月8日改正出入国管理法成立)から話題になっていた新しい在留資格の特定技能ってやつ。
もともと技能実習は就労期間に入っていなかったわけだけど、この特定技能1号が就労期間に算入されるかどうかで、かなりの法改正のインパクトが変わってくるとニラんでいた。
なので、かなりしつこく調べていたところ、おそらく算入しないのではないかと踏んでいた。研修会などでも、そのようにお伝えしてきた。
やっぱりそうきたか!というのが率直な感想。

引用元はこちら。
https://www.asahi.com/articles/ASM5Z61NGM5ZUTIL03M.html

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技能実習の期間「就労」に算入せず 外国人の永住条件で

 出入国在留管理庁は31日、外国人の永住許可のガイドラインを改訂したと発表した。永住権を取得するためには日本に10年以上暮らし、このうち5年以上は「就労資格」などを持っていなければならないが、技能実習や新しい在留資格「特定技能1号」は就労期間として算入しないと明記した。

 出入国管理法は、永住権を取得するために①素行が善良②独立の生計を営むに足る資産や技能がある③永住が日本の利益に合う――の条件を課している。ガイドラインは、これらの要件などについて具体的に説明するために2006年に策定された。入管庁は今年4月に外国人労働者の受け入れを拡大する改正入管法が施行されたことを踏まえ、ガイドラインを改訂。新たに創設された在留資格の特定技能1号や、技能実習は最長5年しか在留できないことから就労期間から除外することにした。ただ、1号より高い技能を持つ人が対象の特定技能2号については就労期間として認める。
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先日の記事で、日系四世に門扉を開いた在留資格は運用1年でたったの4人のみだったことを紹介したが、この特定技能も「やすやすと定住はさせないぞ」という渋った運用だと外国人材の流入は小規模なものにとどまってしまうだろう。
技能実習も特定技能も家族帯同は認められないので、20歳で来日したとして、30歳でようやく家族帯同が認められ、それから10年働き、40歳になってようやく永住資格が取れるという人権侵害も甚だしい制度。

ホンマに大丈夫か?

わかりやすく図にしたのがコチラ。
転載可だけど、引用元は明記してね。


今年もやります。とやまcocolo会主催「ここサポ」です。

2019-05-30 18:58:35 | ダイバーシティ

 

つながろう こころとcocoloのプロジェクト2019

こころのサポーター養成講座【全6回の申込はこちらから】

大切なひとに、たったひとつの命に寄り添いたいから。
さまざまな生きづらさを見つめなおし、誰もが暮らしやすく、笑顔で生きることができる社会について、考えてみませんか。

会場/サンシップとやま
富山市安住町5-21

定員/20名
全6回を受講していただける方を優先受付いたします。

お申し込み/とやまcocolo会HPの参加申込フォームまたはメール

講座の開催時間は、各回とも13時30分から16時まで。
全体ファシリテーター:一般財団法人ダイバーシティ研究所/客員研究員/柴垣 禎 氏

第1回 7/6(土)サンシップとやま704
「うつ病への理解と周囲の関わり方」
講師:小矢部大家病院/院長
渡辺 多恵 氏
内容:近年、うつ病をはじめとした心の病を患う人が急増する中、誰もが罹患する可能性のあるうつ病とは。その原因や症状、周囲の関わり方を学び、うつ病を未然に防止することや社会復帰について考えてみます。

第2回 7/20(土)サンシップとやま604
「いのちの重さを見つめ続けた18年~むすめが教えてくれたこと~」
講師:グリーフパートナー歩み/代表、精神対話士
本郷 由美子 氏
内容:大阪教育大学附属池田小学校事件で娘を奪われた喪失体験を「人を支える力」に変えたものとは。対話を通じて傷ついた人と寄り添うことから、一歩踏み出し、支えあう社会の必要性を見つめていきます。

第3回 8/3(土)サンシップとやま604
「多文化共生とは~在住外国人の視点から見える地域社会の課題~」
講師:NGOダイバーシティとやま/代表理事
宮田 妙子 氏
内容:外国人労働力の必要性が増す日本社会。一方で在住外国人は多くの困難に直面していますが、その原因の多くが地域社会の課題でもあります。地域に住む外国人の視点から共生社会を考えてみます。

第4回 8/17(土)サンシップとやま604
「ひきこもり~関わり合うすべての当事者のみなさんへ~」
講師:富山県ひきこもり地域支援センター/相談員
森田 頼子 氏
内容:数多くの相談事例から、ひきこもりとは本人だけでなく関わり合う社会や環境の問題とも考えられます。本人や環境が変化していく様子から、ひきこもりを作ってしまう社会について考えてみます。

第5回 8/31(土)サンシップとやま704
「多様な個性が輝く社会に向けて~くるみの森の挑戦~」
講師:社会福祉法人くるみ/理事長
岡本 久子 氏
内容:児童発達支援や放課後等デイサービスを通じて、必要な「サービス・人・しくみ・地域・価値」をつくり続ける「くるみの森」。そこから共生社会の実現に必要な活動について考えてみます。

第6回 9/14(土)サンシップとやま704
「素直な心がつくる人間関係~感謝の気持ちを発見する方法~」
講師:北陸内観研修所/臨床心理士
貫井 信恵 氏
内容:ごく普通の社会人である私。特別な病気などがあるわけでもない。でもどうしても人間関係がギクシャクしてしまうことがあります。自分自身の心に向き合うことから見えてくることを考えてみます。

講師の都合により内容が変更となる場合がありますので、あらかじめご容赦願います。

この事業は令和頑年度富山県自殺対策民間団体等取組強化事業として実施しています。


在住外国人向けに新設される総合相談窓口関係の記事リスト

2019-05-30 00:00:00 | 多文化共生
ニュース記事は、これから増えていくのではないかと思われます。
リンクはすぐに切れると思います。

岐阜県(5/30開設)
https://www.gifu-np.co.jp/news/20190531/20190531-142990.html群馬県(7/1開設)
https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/society/135151

静岡県(7/1開設)
https://www.at-s.com/news/article/politics/shizuoka/636823.html

香川県(4/1開設)
https://www.pref.kagawa.lg.jp/content/dir5/dir5_6/dir5_6_2/wdmj3p190402084410.shtml

仙台市(6/1開設)
https://www.sankei.com/region/news/190528/rgn1905280012-n1.html

経産省(6月から順次。労務管理等の相談窓口)
https://www.sankeibiz.jp/workstyle/news/190529/ecd1905290500001-n1.htm

ちなみに自治体からどのくらい応募があったかというと、、、
100自治体の予定のところ、37自治体
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019031501249&g=pol

予算的には、、、
20億円の予算のところ、6億円弱
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019041701112&g=eco

どうなんでしょ。

改正入管法をめぐる視点についての良記事のご紹介

2019-05-20 00:00:01 | 多文化共生
以下、長くなるが良記事なので、全文引用する。
引用元はこちら。

https://www.buzzfeed.com/jp/yoshihirokando/mochizuki-1


---ここから----
日本は「遅れてきた移民国家」だ 外国人労働者を巡る現実と建前 望月優大さんに聞く

日本が外国人労働者の受け入れに舵を切った。何が起きるのか。「ふたつの日本」を出版した、ニッポン複雑紀行編集長の望月優大さんに聞いた。

ーー政府は「これは移民政策ではない」と強調しています。


まず前提として言えるのは、「移民」という言葉を客観的に定義するのは不可能だということです。

国連は「国際移民の正式な法的定義はありません」としています。

そのうえで「多くの専門家は、移住の理由や法的地位に関係なく、定住国を変更した人々を国際移民とみなすことに同意しています」「3カ月から12カ月間の移動を短期的または一時的移住、1年以上にわたる居住国の変更を長期的または恒久移住と呼んで区別するのが一般的です」としています。

要するに「あくまでそういう言い方が一般的です」ということに留まっています。

このほか、在留年数や出入国回数に制限のない在留資格を持ってる人を「移民」と呼ぶというケースや、永住資格のある方のみを「移民」と呼ぶ人もいます。

一方、2016年自民党のプロジェクトチームがつくった文書では「入国時点で既に永住資格を持っている外国人」を「移民」とするという定義を採用しています。これは、あらゆる移民の定義の中で、最も狭い定義です。

この自民党PTの定義に照らすと、日本に入ってきている外国人の人たちは、ほとんど「移民ではない」ことになります。

政府が「移民政策ではない」と言う前提として、そもそも「移民」という言葉の定義自体が極めて流動的で、どうとでも動かせるゴールポストのような側面がある、ということを考える必要があります。

二つの支持基盤にアピールしたい政府・与党

ーー政府はなぜ狭い移民の定義を用い、自分たちの政策を「移民政策ではない」と言うのでしょうか。

いくぶん憶測な部分もありますが、日本の中で暮らしていく、定住していく外国人が増えることに対して、ネガティブな気持ちがある一定の国民がいて、その人たちが自分たちの支持層の一部だろうというふうに、与党が思っているのでしょう。その人たちに対して、ポーズをとっているということだと思います。

自民党は基本的に保守的な政党です。なぜその政党を中心とする政府が外国人の受け入れを加速するのかという点に、違和感を感じる方もいらっしゃるかもしれません。

自民党の支持基盤には経済界と、保守、あるいはナショナリストといわれるような方々の両方があります。それぞれで、外国人労働者に対するスタンスは違います。

経済界は、安い労働力が欲しい。現役世代の人口が減っていることもあり、外国人でもいいから欲しいと訴えています。

もう一方の支持基盤である保守層には、外国人が定住するのは嫌だと思っている人が少なくないでしょう。


そこで両者の間を取り、外国人労働者は入れるけれど、定住はさせない。5年で帰す、10年で帰すという条件を設ける。かつ、できるだけ家族を呼ばせない。家族とともに暮らすことで、そこで子どもが生まれたりすることは認めないから大丈夫だというポーズをとっている、ということでしょう。


ずれる現実と建前

ーー実際の状況はどうなっているのでしょうか。


重要なデータの1つだと思っているのが、在留外国人の数自体が300万人近くまで増えているとともに、永住資格を持っている外国人の数が2000年ぐらいから継続的に増え続けていることです。

この中で、旧植民地である朝鮮半島や台湾にルーツを持つ「特別永住者」は微減を続けています。かわりに「一般永住者」が増えています。


直近だと、110万人近くの方が永住資格を持ってます。この人たちが、日本で法務省が発表している在留外国人の4割を占めてます。これが現実なんです。

一般永住者には、多様な国籍の方が含まれています。中国、韓国だけでなく、ブラジル、フィリピン、ベトナムなどの方などが多くいらっしゃいます。

政府が「永住させず、出稼ぎ労働者をぐるぐる回していくだけなので、日本では移民が増えない」という建前は、この現実と大きく乖離しています。

どの政治的立場をとる人であっても、この現実を正しく認識しないと議論にならない、と私は思っています。

ーー建前と現実の乖離はなぜ起きるのでしょう。

外国の方々と話をしていると分かってくるのが、入国した時に「出稼ぎ」のつもりで来ていたとしても、いつの間にか日本でずっと暮らしていたということは、人生のなかでは起きえる、ということです。

日本の方と結婚するとか、家族を呼べる日系人の方だと、特に子どもが日本社会に定着していくとか、さまざまな理由があります。


移民であろうがなかろうが、私たちは自分の人生がどうなるのかすべて予期することはできません。人生の様々な出来事を通じて、ある土地から離れられなくなることは、だれであれ起きえることです。

その積み重ねとして、ニューカマーの方たちを中心に、1990年ぐらいから定住が進んでいるという現実があります。


定住への道は「むしろ開かれた」

これから受け入れていく特定技能の外国人の方たちについても、同じことが絶対に起きないとか、それをコントロールできるのだと政府が言い切ることができる根拠は、全くないと思います。そして過去の例を見ても、コントロールすることは現実的には不可能だと思います。


特に今回、「特定技能2号」という資格が、1号の上位資格のようなかたちで用意されました。一定の試験に合格すれば、1号から移行が可能になります。

特定技能2号は、更新回数に上限がない在留資格として設計されています。

実際に動き出せば、非熟練の外国人労働者が熟練の労働者にキャリアアップして定住していくという道が、むしろ開かれたと言って、過言ではないと思います。

日本は基本的人権を尊重する国のはずだ

ーードイツなど欧州各国は第2次大戦後、外国人労働者を受け入れました。

ヨーロッパは戦場になり、たくさんの若者が亡くなりました。そこからの復興と経済成長で、旧植民地や中東などの若い単身の労働者をたくさん受け入れました。

しかし、1970年代にそれでオイルショックが起き、新規の受け入れを停止しました。とはいえ、すでにその国で暮らし、働いている人たちを強制的に帰国させられるかといえば、それはできないんです。

というのも、欧州各国は人権や民主主義を重視しています。

人権を完全に無視すれば「強制帰国」も可能でしょうが、自由や民主主義、人権を自分たちの価値観の中核に置いている国々が、経済的な都合だけで人の生きる場所だったり働く場所を縦横無尽にコントロールできるかといえば、やはり無理だったんですよ。

その結果、既存の人には残ることを許し、家族の呼び寄せを認めたという経験を、ヨーロッパ諸国はしています。そこから、彼らとともにどう暮らしていくかという問題に直面して、いわゆる「社会統合」に向けた様々な政策を、試行錯誤しながらつくっています。

日本も欧州と同じように、自由民主主義と基本的人権の尊重を信じる国です。それが憲法にも書き込まれています。憲法で人権と自由が保障されていることにより、日本国民の生活も守られている部分があります。

欧州とは異なる基盤に立つ湾岸諸国

ーー一方、欧州と並ぶ外国人労働者受け入れ先であるペルシャ湾岸の産油国は、外国人労働者を厳しく管理し、送還も行っています。

欧州の経験をみると、いま日本で暮らす300万人近い外国人を、景気の悪化等で帰せるというふうに考えるのは、歴史を見ればそれが正しくないことは明らかです。

しかし、今の日本で、人権感覚がどこまで共有できているのか不安になる時があります。


例えば、技能実習生の女性が日本で妊娠し、雇い主から帰国か中絶を迫られるというケースがありました。

思わぬ時に妊娠することは、人生ではあり得ます。だから、こういうことが起きることを前提に、制度を作らなければいけない。日本人ならば産休が取れるわけです。外国人であれ、日本人であれ、その人権を保障する必要があります。

しかし、識者から例えば「シンガポールでは外国人労働者の権利は広く認められていないから、日本もそうしたほうがいいんじゃないか」という意見が出てくることがあります。

(シンガポールでは、外国人労働者は富裕層や専門職とそれ以外に大別され、非熟練労働者には定住を防ぐさまざまな規制があり、国際人権団体は批判している。例えばメイドの女性は年に2回、性感染症と妊娠の検査を受け、妊娠が分かれば帰国を命じられる。)

シンガポールや湾岸諸国と日本では、憲法で保障され、実践されてきた人権意識というものが根本的に違うはずだと、僕は信じています。

しかし、「外国人は、自国民なら享受できる権利を制限されても仕方ない」「自己責任で来ているのだから、こちらの都合が悪くなった時に一定程度制限をかけるような制度にすべきだ」という感覚が、日本国内に拡がっているのではないかと感じることがあります。

合理性だけを考え、人間を鉄とか小麦のような「素材」として見ていいのでしょうか。人権を尊重し、人間をモノとして扱わないということが、日本という国が戦後、選んできた道だと思います。そして、日本人はそこを誇ってきたと思うのです。

日本人と外国人は「同等の給与」か「最底辺に合わせる」のか

ーー政府は1990年代、いわゆる単純労働者を受け入れない理由として、日本人の雇用を奪うことや、労働市場の二階層化が起きることを挙げていました。

すでに、そうなっている部分が、一定の程度で存在すると思います。

例えば労働市場の階層化。「上」と「下」に分かれてしまうという問題です。

特に技能実習制度というのは、その職場に基本的に張り付き、ずっと極めて低い賃金で最長5年間働くといういう制度です。キャリアを積んで工場長になるとか、別の会社に転職するといったことが全く想定されてないわけです。

一方、普通の労働者は違います。

例えば自分を例にとると、大学生の時にアルバイトで時給900円とかで働き、その時は低賃金の労働者でした。しかし、大学を卒業すれば、正規雇用で採用され、賃金が安定していきます。正規雇用の場合、一般的には年功序列で少しずつ賃金が上かることになります。

このルートから、特定の日本人を制度的に排除することは絶対にできなません。「人生は常にやり直せる」「すべての人は同じ権利を持っている」というのが、日本社会の建前ですから。

しかし外国人は、制度的にそこから排除されています。「その前提であなたたちは入国してるんだから、排除されても仕方ないですね」ということになっているわけです。特に技能実習生に対しては。

ーー安倍首相は「外国人労働者は日本人と同等以上の給与で」と言ってます。

「同等」の待遇をどうつくるのかは、極めて難しい課題だと思います。

「同等の賃金」ということと「最低賃金」を混同するケースも、おそらく生まれてくるでしょう。「だれであれ、最低賃金さえ払っておけばいいんだ」ということになるかもしれません。

財界が外国人労働者の導入を求めてきた背景には、人口バランスの問題があります。総人口よりも早いペースで現役世代の人口が減り、働ける人口の割合が少なくなっています。それが短期的には様々な職場で、いわゆる人手不足の状況を生み出しています。

一方、外国人であることによって、学校や病院など、さまざまな社会的なリソースから断絶してしまいがちな現状が日本にはあります。

彼らを受け入れるならば、しっかりと社会と結び付けていくための手段も、合わせて準備していかないといけないわけです。

例えば受け入れる外国人の数にあわせて必要な日本語教師は何人になるのかといった点も、一緒に考えなければなりません。


どれだけの外国人をどういうスピードで受け入れ、どんな社会統合政策を取るのかという議論を、政府や官僚に任せきるのではなく、社会全体で参加していかないといけないと思います。

外国人を社会で受け入れる準備は?

ーー日本語教育の公的な位置づけを求める「日本語教育推進法」の早期成立を求める署名活動が行われました。

子どもと大人と両方に対する教育は重要です。一方で労働者として入ってくる大人や、その家族への公的な支援が極めて乏しいという現状があります。

子どもは一応、義務教育の年齢であれば受け入れてもらえます。とはいえ、それで日本語をしっかり教えてもらえるかといえば、地域や学校によって違いがあります。

大人については自助努力を求める部分が強くあるので、そこはもうちょっと政策的にしっかり対応するということを態度で示したほうがいい。 政策として示し、かつ予算を投入する必要があります。

特に重要なのは、日本語の先生や教育施設といった、人的なリソースとインフラです。オンライン教育のようなものを含め、整えることに政府がコミットしないと、日本語教師になる側も、安心できないでしょう。

日本語教師の多くは非正規雇用です。外国人支援に関することの多くは、非正規雇用やNPOでまかなわれている現実があります。

そして日系4世は来なかった 日本は外国人が「働きたい国」であり続けられるのか

日本は外国人にとって今後も「働きたい国」なのか。そうではない可能性を示す兆候が、すでに出ている。

アジア各国で経済成長が続くうえ高齢化が忍び寄っています。日本の外国人労働者を国籍別に見ると、最も多いのは中国ですが、その比率は年々下がっています。代わりにベトナムとネパールが急増しています。

一方、韓国や台湾も外国人労働者の受け入れを強化しています。「外国人は日本で働きたがっている」と思う日本人は多くいますが、そういう状態であり続けられるのでしょうか。

将来を示唆する「日系4世受け入れ事業」

ーー日本にこれまで技能実習生を送り出してきた中国などで、経済成長が続いています。韓国や台湾も外国人労働者の受け入れを強化しています。日本は、これからも外国人が働きたい国であり続けられるのでしょうか。

2018年7月に始まった日系4世の受け入れ事業は、将来を示唆する話だと思います。

これは南米の日系人4世が日本で働けるという制度ですが、厳しい条件を付けています。年齢は18〜30歳までで、家族帯同は不可。滞在の上限は5年に限っています。

政府がここまで厳しい条件を設定した理由を、私は次のように推測しています。

90年代以降に入った日系の南米人で、日本に定住した方がかなり多くいました。家族を呼び寄せ、子どもたちも生まれました。しかし、政府は定住を促進するというようなかたちでの対応というのを積極的には取ってこなかった。


家族を呼べ、かつ更新回数に上限のない在留資格を与えると、こういうことが起きるんだという学習を、政府の側がしたのだろうと思っています。

だからこそ日系4世の人たちに対しては、単身限定で上限5年といった制約をかけ、「こんな人だったら、日本で働いてもらってもウエルカムです」と呼びかけたわけです。

日本政府が求めるような日系4世は、いなかった

ところが蓋を開けてみると、日系4世の2018年12月までの受け入れ人数は、4000人の枠に対し、わずか4人でした。


日本政府が求めるような日系4世は、実際にはいなかった、ということです。

そして、日系4世に対して課した条件と、技能実習生や特定技能1号に課している条件は似ているところがあります。特に単身で、数年で帰ることが前提という点です。

政府は、ドアの開け閉めを通じて、外国人労働者数に政策的な調整をかけようとしています。


「いつか帰国することが前提の外国人労働者をぐるぐる回していく」という、フランスやドイツにもできなかったことを、この国は自由民主主義を奉じながらも、実現できるんだと思っているのかもしれません。政策をうまくチューニングすれば、可能だと。

特に今の政策は官邸主導で動いていると思うので、命令を受けるそれぞれの役所の側は、必死になってとにかくかたちをつくったという部分はかなり大きいんじゃないかと思います。

外国人政策のインパクトの大きさを直視すべき

外国人に関する政策は、人間にかかわることです、だから、極めて長期にわたるインパクトがあるのですが、その政策を極めて短期的なロビイングや選挙対策などの中で、近視眼的な感覚の中で作ってしまっているのではないでしょうか。


こういうことの積み重ねが、学校に行けてない外国籍の子どもが出てくるという、取り返しのつかないインパクトを与えてしまっています。

仮に3年間、学校に行けなかったとします。それが例えば7歳から9歳の間だとすると、その子の人生全般に、極めて大きな影響が出ます。そういうことを本当に考えているのかは疑問です。

僕としては将来、問題が深刻化しても「知らなかった」とは言わせないぞというふうに思っています。

というのも、こういう形ですでに、30年やってきているわけです。それで、いろいろな問題は起きてきたことは、政府の側は知っているわけじゃないですか。

それでもなお、こういうご都合主義的な政策をとり続けるということが、あまりにも人権軽視というか、外国人を軽視しているような気がします。

人権を巡る建前と現実のずれは日本人にも

「人権」という建前と現実のずれが、外国人に対しては、露骨に出ています。私は、実は日本国民に対してもそういう側面があると思っています。


国家の合理性からすると、やはり低賃金で働いてくれる労働者がいたほうがいい。あるいはすごいコストのかかる医療は、できるれば削っていきたい。

特に最近、終末期医療の医療費の話が話題になってますが、国家の視点で見ると「無駄」に見えることに対して人権というものが制約になって言いづらいんだけれども、本当は言いたいことがいっぱいあると思うんです。

雇用の保障はコストがかさむ。できれば医療費や年金はカットしたい。こういうことが、移民・外国人の方たちに対しては、非常に露骨に表れていると感じます。

世界で深まる分断

これは日本だけの問題ではなくて本当は利害を共有してるはずの人々の間に楔を打つということが、世界で政治的にある種、流行していると感じます。

人々が互いに味方になりうるはずなのに、「敵」として煽り立てるようなことを、票集めや人気集めのために行えば有効性があるということが、欧州やアメリカで示されてしまいました。

ただし、今の日本では、そういうカードを使わなくても選挙で勝てる状況があります。

だからむしろ、政府の側には外国人の受け入れを、むしろ社会に気づかれないうちにやりたいぐらいという思いがあるのではないかと。これは、人気取りのためではなく、経済界からの現実的な要請に基づいたものですから。

とはいえ、日本で今、露骨な外国人排除の動きがないから、そういうことを考えなくていいんだ、寝た子を起こさないほうがいいんだという風には、思いません。


潜在的にリスクがあるのだからこそ、今のうちからしっかりことを受け止めて、そういうことが起きないように心の準備をして、「連帯」という考え方を身につけていくのは、すごく大事なことだと思っています。

大切なのは「連帯」を考えること

ーーご著書の『ふたつの日本』で、外国人を巡る問題は、「彼ら」ではなくて「私たち」の問題だと書いておられます。

それはもちろん、これは日本国籍の人の問題だという側面もあるのですが、それ以上に「私たち」の定義や境界線みたいなものの問題だという意味を込めてます。何が「私たち」なのか、ということです。


国籍でズバッと線を引いて、「こっちが私たちで、あっちは違う」という考え方自体をアップデートするというか、ほぐしていくことが、大切なのではないかと思います。

実際に日本で20年暮らしてる人が、なぜ「私たち」ではないのか、ということです。国籍に関わらず社会の一員として税金を納め、働いているわけですから。

日本社会の像を見つめ直す好機に

ーー日本には2018年度末で273万人の外国人が暮らしています。これは、欧州各国と比べても少なくありません。しかし日本の場合、総人口が欧州各国より遙かに多いという点で、外国人が相対的に目立たない部分はあるのでしょうか。

そうだと思います。しかし、総人口が減っているわけですし、割合だけを見て「まだ日本は日本人だけのピュアな国だ」「まだ外国人は2%しかいない」と言っていても、しょうがないと思います。

いま起きている変化は、サービス業に外国人労働者が入ってきて、生活動線のなかにあるコンビニや飲食店などで普通に外国人と接する機会が増えていることです。かつ、観光客も増えていますから、外国の人が増えているという感覚が、社会全体で共有されていると思います。

これはある種、チャンスとして捉えています。自分たちの国の自画像みたいなものを創造しなおして、更新するタイミングにすべきだと思います。


ーーこの本のタイトルにある「ふたつの日本」とは、どの「ふたつ」を意味しているのでしょうか。

これは、いろんな意味を掛け合わせています。建前の日本と現実の日本っていうのはもちろんあります。もう1つは、民族的に一体で、純血性が高く、同質性が高く、「一つである日本」ということと、それに対して、複数性とか複雑性みたいなものをはらみ、かつ、メンバーがどんどん入れ替わっていくような日本っていう意味も込めています。

そして、この国で暮らしている中での「安定か不安定か」、あるいは「上なのか下なのか」という意味での、ふたつという部分も込めています。

最後の「上か下か」で言うと、やはり外国人の方は多くが「下」に入れられています。

しかし、そこには外国人だけじゃなくて、日本人もたくさんいます。

だから、同じ構造に置かれた日本人と外国人が対立するのではなく、互いに同じような境遇にあり、かつ近いパワーバランスの中で働いているんだという認識を共有できるようになるといいな、と僕は考えています。
---ここまで----

後日、要点をまとめておきたい。

エマニュエル・トッドはこういったという話を自分なりに言ってみると

2019-05-20 00:00:00 | 多文化共生
以下は、フランスの歴史人口学者のエマニュエル・トッド氏の記事。
氏の提言は、「文藝春秋」の6月号に掲載されているとのことなので、関心のある方は、そちらをご覧いただきたい。

以下、ネット配信記事の引用で、引用元はこちら。
https://bunshun.jp/articles/-/11918

---ここから----
エマニュエル・トッドが緊急提言 外国人労働者受け入れにあたって日本が注意すべき『6つの過ち』

「このままでは日本の衰退を招く」

 人口動態や家族構造など社会の深層の動きに着目し、ソ連崩壊、リーマンショック、アラブの春、ユーロ危機、トランプ当選、英国EU離脱など数々の“予言”を的中させてきた仏の歴史人口学者エマニュエル・トッド氏(68)。

 トッド氏にとって「移民」は長年の研究テーマの一つだ。1994年刊行の『移民の運命』では、アメリカ、イングランド、ドイツ、フランスの移民政策と移民に対する国民感情を分析し、そこに伝統的家族構造の違いが決定的な影響を与えていることを明らかにしている。


 そのトッド氏は、日本の人口減少と移民政策に関しても、「このままでは日本の衰退を招く」とかねてより警告を発してきた。

日本を愛する一人のフランス人からの提言

 4月に改正入管法を施行し、外国人労働者の受け入れ拡大に一歩踏み出した日本。トッド氏はこれを「大きな一歩」と評価しつつ、「文藝春秋」の取材に応えて、「移民受け入れにあたって犯しがちな6つの過ち」を提示。「これを『日本を愛する一人のフランス人からの提言』と受け取ってもらえたらありがたい」とも述べている。

第1の過ち (移民受け入れ拡大によって)少子化対策の方をおろそかにすること
第2の過ち 外国人労働者はいずれ国に帰ると思い込むこと
第3の過ち 移民を単なる経済的現象と考えること
第4の過ち 移民受け入れにあたって多文化主義を採用すること
第5の過ち 非熟練労働者の移民のみを増やすこと
第6の過ち 移民の出身国をある特定の国に集中させてしまうこと

 具体的に見ていこう。今回の改正入管法で、新たに「特定技能1号」と「特定技能2号」という在留資格が設けられたが、これらは下記の分野に限定されている。

特定技能1号
介護、ビルクリーニング、素形材産業、産業機械製造業、電気・電子情報関連産業、建設、造船・舶用工業、自動車整備、航空、宿泊、農業、漁業、飲食料品製造業、外食業

特定技能2号
建設、造船・舶用工業のみ2021年度より試験を実施予定

 これは、「非熟練労働者の移民のみを増やすこと」という「第5の過ち」に該当している。

 また、今回の受け入れの大部分を占める「特定技能1号」では「家族の帯同は不可」とされているが、これは「外国人労働者はいずれ国に帰ると思い込むこと」という「第2の過ち」に当てはまる。

「同化主義」を採用せよという真意とは

「6つの過ち」でとくに興味深いのは、移民受け入れにあたって「多文化主義」を採用するのは「誤り」で、「同化主義」を採用せよ、との指摘だろう。

「いきなりこう申し上げると戸惑う読者が多いかもしれませんが、移民受け入れに必要なのは、『多文化主義』ではなく『同化主義』です。

『多文化主義』とは、『同化主義』よりも聞こえは良いですが、要するに『移民隔離』政策です。

 移民にとって可能な未来は、『同化』か『隔離』の2つしかありません。そして移民にとっての究極的な運命は、『同化』しかありません。長いスパンで見れば、受け入れ国にとって移民を『隔離』するのは、持続可能な解決策とはみなせないからです。

 ヨーロッパでは、かつて英国やドイツが多文化主義を唱え、『移民を無理に統合させようとせず彼らの自主性に任せる』という政策を採りました。しかし、結局うまくいきませんでした」

 その上でトッド氏はこう述べている。

「まず日本は自信を持つことです。日本の文化は、間違いなく、人類史の素晴らしい達成の一つです。実際、日本文化に魅了されて、多くの外国人が日本にやって来ています。

 そのようにやって来た外国人が長く定住するようになれば、次第に日本社会に属することを誇りに思い、さらには『日本人になりたい』と思うはずです。

 日本は、そのくらいの自信を持った方がいい。自信をもって外国人に寛容に接すれば、必ずや『同化』は成功するはずです」

 日本の外国人労働者受け入れに関するトッド氏の提言「『日本人になりたい外国人』は受け入れよ」は、「文藝春秋」6月号に全文掲載されている。

「人口減少」や「移民問題」をいち早く経験し、克服してきたフランス。かの国を代表する顕学の金言に、いまこそ耳を傾けるべきだろう。
---ここまで----

自分はこれまで10年以上、多文化共生の領域で活動をしているが、いわゆる「多文化主義」であったり「同化主義」であったり、特定の「主義」を採用すべきと語ったことはない。
という文脈で、トッド氏の論を見ていくと、自分がこれまで多文化共生なり共生社会を創っていくために必要なポイントのひとつとしてお話している「帰属意識」が持てる社会という視点が見て取れると思う。
こうした社会の在り方、こと国際問題の視点で帰属意識というものを考えると、どうしても国家であったり特定の民族に目が行きがちだが、そうではない。会社でもいいし、地縁組織やボランティア、サークル活動のようなものでもいい。さらにいうなら、ヒトとヒトとの関係性のみならず、気候や風土というものに愛着を持つということも立派な帰属意識を醸成させる要因だ。
「空気がきれい」だとか「魚が美味しい」でもいいのだ。
こうした帰属意識を持つことにより、社会に共通項が多く生まれ、よりきめ細やかで寛容な社会が構築されていく。
行政も学者も枠を作って物事を考える傾向が強く、もう少しゆるやかな視点で世界を眺めていきたいものだと思う。

明日の話で申し訳ないが富山県高岡市でムスリムとの交流イベントがあるという話

2019-05-16 00:00:00 | 多文化共生
引用元はこちら
https://www.chunichi.co.jp/article/toyama/20190509/CK2019050902000042.html
---ここから----
イスラム文化 理解深めて 高岡で17日 交流イベント 

ディスカッションや夕食会

 県内のイスラム教徒留学生らでつくる富山ムスリムセンター(TMC)が十七日、高岡市の瑞龍寺で「グローカルサミット」と題した文化交流イベントを開く。多文化共生による平和な社会の実現を目指し、日本人と外国人の相互理解を深める。参加者百人を募集している。


 東南アジアや中東など出身の留学生や県内の行政職員、アラブ首長国連邦からの招待客らが参加。ディスカッションを通して平和について考える。


 当日はイスラム教徒のラマダン(断食月)中で、日没後にとる食事「イフタール」を体験する夕食会も企画。イスラム教の戒律に従ったハラール食材を使ったカレーや肉料理のケバブなどを提供する。食事の後にはお茶会もある。


 TMCは国内の災害の被災地で炊きだしをしたり、シリア難民に支援物資を送ったりするなど支援活動を続けている。シリア出身のサリム・マゼン代表理事(45)は「みんな同じ人間で、つながっている。互いの間にある壁を少しでも壊したい」と呼び掛ける。


 午後五時四十五分~七時半。参加希望者はファクスかメールで申し込む。参加費無料。(問)富山ムスリムセンター080(1957)4321 (山中正義)
---ここまで----

先日のブログ記事でも紹介したが、富山県の射水市は全国の自治体の中でもパキスタン人が断トツに多く、おそらくムスリムの割合も同様に高いのではないかと思われる。
なので、せっかくの機会なので足を運んでみてはいかがだろうか。
自分の地域のことを知らないで多文化共生は語れまいて。

縦割り型行政からホロン革命を考える

2019-05-13 00:00:00 | 多文化共生
今回は佐賀新聞からご紹介です。
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/371474
友人の北御門さんのインタビュー記事です。
まずは引用。

---ここから----
<令和 さがへの伝言(5)>
共生社会 県多文化社会コーディネーター・北御門織絵さん
地域づくり、外国人と共に 5/9 9:07

 4月から、改正された出入国管理および難民認定法(改正入管難民法)が施行された。長く多文化共生事業に携わった立場から言えば、以前から「外国人住民」は存在していた訳だが、改正入管難民法により、確実に外国人が地域や職場で増えていくことになる。

 2015年度の「佐賀県における多文化共生に関する調査」で、県民の多くが「国際交流・多文化共生に興味はあるが、外国人住民とのふれあいなどに参加していない」との結果が出た。多くの人が、外国人の交流が外国語(特に英語)に通じていないと交流できないと思い込んでいる。

 要因として、外国人との交流が少なく、地域で暮らす外国人に関心が薄かったり、習慣の違いから、「日本人とは違う行動をするのでは」との誤解が生じていると考えられる。そんな状況を改めようと、県内では地域で取り組む日本語教室の発足が相次いでいる。

 地域ボランティアで設立された日本語教室は、語学の活動だけでなく、言語・文化的差異により生活上の問題を抱えた外国人参加者の相談の場にもなっている。その相談の解決に向け行政機関への橋渡しを行うなど、行政と一緒になって共生社会づくり行なっている地域も増えてきた。

 「生活者」として地域に暮らす外国人住民は、私たちと同じように災害や事故に遭い、病気にもなる。家を買えば固定資産税を払うし、40歳を迎えれば介護保険料も支払わなくてはいけない。そのため、行政機関では、外国人に関係のない部署はないはずだ。

 子育て世代の外国人の親は、自国と日本のシステムが異なるため、子どもの予防接種や検診、教育や学校生活、進学の場面で不安を感じるケースが少なくない。行政は外国人が、地域で生活している状況を意識し、「国際担当」だけが関係があるという認識ではなく、あらゆる担当課が関係するものだと覚悟しなければならない。

 毎年、佐賀に「定住」する外国人が増加している。外国人住民の「困った」を解決していくことは、県民の「困った」を解決していくことと同じと考えなければいけない。今後は、地域の外国人を「支援しなくてはいけない人」との視点だけで取り組むのではなく、外国人も地域の担い手であるとの理解を深めることで、より豊かな佐賀県づくりを目指すべきだ。
---ここまで----

ポイントは後半にあるこの部分だろう。

「行政は外国人が、地域で生活している状況を意識し、「国際担当」だけが関係があるという認識ではなく、あらゆる担当課が関係するものだと覚悟しなければならない。」

よく、縦割り行政の弊害云々について取りざたされることがあるが、縦割り「だから」問題があるのではなく、縦割りに限定して問題を解決しようという考え方に問題があるのだ。
もちろん、縦割り型の考え方に弊害ばかりがあるわけではなく、ある事象に特化して切り込んでいくやり方が有効である場合もある。
個を見るのか全体を見るのかというと、わかりやすいかもしれない。
しかし、全体と個の関係がよくわかっていないと、正しい理解には至らない。
このため、ヒエラルキー型組織とホラクラシー型組織を考えてみるとわかりやすいかもしれない。(一般的にはヒエラルキー型組織---上司がいて部下がいる階層型組織---の方が圧倒的になじみが強いため、ホラクラシー型組織にはフラットで階層がないとった説明がなされるが、それでは正しい理解に至らないので、注意が必要である。)

とはいえ、ホラクラシー型組織については、簡単な説明が難しい。というよりも、そうした考え方に馴染みのある人なら多くの説明を要しないが、課題解決型、対処療法的、個別還元主義的な考え方しか持っていない人が理解するためには、ホロンの概念を学ぶ方が理解が早いかもしれない。
ホラクラシー型組織というのは組織全体が目的を持ち、その目的達成のために個々のタスクが形成され、個々人が能力を発揮していくことで目的が達成され、組織全体もブラッシュアップされていくというものだ。

ホロンの概念については、アーサー・ケストラーの「ホロン革命」が古典的名著である。

多文化共生社会とは平たく言い換えると小学生にも通じる当たり前の社会だということらしいが。

2019-05-10 20:47:06 | 多文化共生
ネタは福井新聞記事だ。
こちら。
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/834903

とりあえず引用する。

---ここから----
 【論説】いろんな考えの人がいるけれど、みな平等。理解し合ってやっていこう―。「多文化共生社会」を平たく言い換えてみると、小学生にも通じる、当たり前の社会だということに気づく。

 不寛容さが大手を振る、偏狭な時代を終わらせたい。福井県内の市町で、住民に占める外国人の割合が最も高い越前市は昨年度末、多文化共生推進プランを策定、本年度から5年間で実行に移す。66施策から成るプランは「多文化共生の実現に向けた啓発」「子育て環境の充実」が2本柱。プラン策定委員長を務めた石川昭義・仁愛大人間生活学部長は「プランの根幹は人権とアイデンティティー」と言い切る。

 越前市の外国人住民の割合は1月現在で5・2%。「残り95%の日本人が、数の威を借りてルールを押しつけることは、マイノリティー(少数派)への迫害」と石川委員長は指摘する。「共存」は交流がなくても可能だが、目指すのは「共生」社会。「外国人も日本人も、互いの違いも含めて認め合う。ところどころで摩擦が起きても、それを粘り強く乗り越えることが成熟した民主主義」と言う。

 プランに基づき、越前市は本年度予算に1億円余を計上した。重点は、子育て・教育環境の充実と、言葉の壁を越えるためのコミュニケーション支援。▽学校と保護者の橋渡し役となるアクセスワーカー1人、日本語基礎指導員2人を増員▽多言語翻訳機を学校や保育園、児童センターを含む官民施設に約200台導入▽町内会からの連絡等の翻訳委託の拡充―などの具体策が並ぶ。

 市以外の取り組みでは、仁愛大が昨年度に行った、保育士を目指す学生や現役保育士を対象にしたポルトガル語入門講座を本年度も継続する方針だ。昨年度の講座では、「食事を全部食べられる?」と子どもに聞く文章や「お友達と遊んでいました」と保護者に活動報告する文章など、保育現場で必要な会話文を絵付きでまとめた資料を整備した。今後さらにプランを推し進めるには、産業界の参画が鍵の一つになろう。

 一方、改正入管難民法により外国人就労の拡大を目指す新制度が1日にスタートしたが、懸念された国の準備不足は解消していない。全国100カ所に国が設けるとした一元的相談窓口は、現在調整が進められている設置基準を前提に単純計算すると人口25万人以上の自治体に限られ、約8万3千人の越前市は対象外になる。法改正の主目的を、地方中小企業の人手不足解消といいながら、人口基準の設置でいいのか。地方切り捨てや丸投げと思わざるを得ない状態が続くなら、国への不信は強まるばかりだ。
---ここまで----

論点はいくつかあるが、まずは客観的事実を押さえておこう。
平成30年6月末現在の在中外国人人数は231万人。一方、人口推計での平成30年6月1日現在の概算値は1億2,652万人。異なる統計データを並べているので精緻な数値ではないのだが、外国人比率は、まぁ1.8%くらいだ。
なので、越前市の5.2%はかなり多い方である。

外国人を指標とした都市分類は存在しないのだが、自分が作ったものがこちらにあるので、これを参照すると、外国人集住都市に分類される。
http://www.clair.or.jp/j/multiculture/docs/33f9e4b38a42c5ebb7543d08b41b2b23.pdf
要するに、1741団体あるうちの269団体、外国人が集住して住んでいる約15%の自治体のひとつであるということだ。

次に、越前市は1億円あまりを計上したとあるので、その規模を確認しておこう。平成31年度の越前市の一般会計予算は366億円であり、そのなかの1億円というのは、0.27%である。これが多いのか少ないのか、なかなか自治体予算に敏感でない人にはわかりにくいと思うが、たとえば、富山県の一般会計予算に占める0.27%だとすると、15億円である。
国が全国100か所に設置するとしているワンストップ相談センターの設置経費は2,200万円。多言語自動翻訳機設置事業が545万円である。越前市、破格だよ。
富山県の重点施策はこちら。
http://www.pref.toyama.jp/cms_pfile/00019696/01220806.pdf

これをみると、いかに越前市が多文化共生社会の推進に力を注いでいるかということが手に取るようにわかるだろう。

後段で問いかけている「中小企業の人手不足解消といいながら、人口基準の設置でいいのか。地方切り捨てや丸投げと思わざるを得ない」というのが容易に理解できると思う。
外国人住民比率や急増自治体などの単純な指標で割り出すだけでも単純に計測することができるものなのに、それすら行わないのはいかがなものか?と思ってしまうのは無理からぬことだろう。

ということで、当たり前のことができていない制度も困ったものだと福井新聞と同じようなトーンで終わる。

ローカルネタでスマンが近所で多文化共生講演会が開催されるの件

2019-05-09 19:29:33 | 多文化共生
富山県の射水市にある射水市民国際交流協会で、今週末に、同協会の定期総会があり、その後、多文化共生の講演会が開催される。
講師は自分の友人でもある高木氏である。

〇講演会

日時 令和元年5月11日(土)15:00~15:40
場所 大門総合会館4階 402・403会議室
演題 「多文化共生のまちづくりに向けて」
講師 高木 和彦 氏
   (NPO法人多文化共生マネージャー全国協議会 副代表理事)

同協会の開催案内はこちら。
https://bit.ly/2H8qJWN

富山県の射水市と聞いて、「あぁ、あのコーランが破り捨てられていた事件のあったところだな」と思い浮かべる人は、それなりに年配の人だろうと思う。
平成13年のことだから、18年ほど前のことになる。
とはいえ、当時、全国ニュースにもなったことでもあるので、それなりに知ってる人は多いかもしれない。
ちなみに、そのことは衆議院で質問されている。
その質問主意書はこちら。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a151094.htm

当時のことを知る者としては、射水市の住民意識も外国人の生活状況や居住状況、なにより日本国内における多文化共生の状況も大きく変化してきている。(もちろん全然変わってないどころか、後退しているところも多々あるが。)
こうした状況で、どのような講演会になるのか、楽しみにしている人もいるだろうと思う。
お時間のある人は、ぜひ、足を運んでみましょう!

全国で外国人ワンストップ相談センターの開設が進められているようですが、だいじょうぶかという話

2019-05-09 00:00:00 | 多文化共生
法務省では2019年度から新たな外国人材の受け入れ体制へと移行することに伴い、外国人受入環境整備交付金により各都道府県等にワンストップ相談窓口を整備することとしています。(ワンストップって名称は、ホントにどうかと思うのだけど。)

外国人受入環境整備交付金の概要はこちら。
http://www.moj.go.jp/content/001286463.pdf

これを受けて、富山県でもとやま国際センターで相談員等を募集しています。

「富山県外国人ワンストップ相談センター」相談業務に係るコーディネーターの募集について
http://www.tic-toyama.or.jp/topics/post_89.html
「富山県外国人ワンストップ相談センター」相談員の募集について
http://www.tic-toyama.or.jp/topics/_612331.html

ご関心のある方はお問い合わせくださいませ。

募集期間は
平成31年4月26日(金)~ 令和元年5月17日(金)

お問い合わせ先は
(公財)とやま国際センター 稲垣
T E L :076-444-2500

となっています。